その12 幻の酒米と「山猿」

(永山酒造のHPから。幻の酒米「穀良都(こくりょうみやこ)」の穂は一段と高く、風で倒れやすい。農家たちのひたむきな情熱が、栽培を可能にしている)
(永山酒造のHPから。幻の酒米「穀良都(こくりょうみやこ)」の穂は一段と高く、風で倒れやすい。農家たちのひたむきな情熱が、栽培を可能にしている)


 山口の清酒が今、ちょっとしたブームだという。その代表格が、このコラムの2回目で取り上げた「獺祭」だ。「獺祭」の人気によって、山口の地酒に注目が集まっているらしい。


 そうした中、昨年末、山口に帰省した折に、地元の酒蔵・永山酒造を訪問する機会を得た。高校の同窓会で友人・N君と山口の日本酒について話していると、「あそこの社長は僕の従兄弟だよ」という。「それでは、ぜひ」と、年末の酒蔵見学をお願いしておいたのだ。持つべきものは友人である。


 永山酒造は、山口県では瀬戸内に面した側の山陽小野田市厚狭(あさ)にある。平成の大合併で、山口県内の自治体はがらがらと変わり、筆者の実家がある小野田市も、隣町の山陽町と合併して、「山陽小野田市」となった。(合併すると自治体の名前が長くなっていく。)


 山陽本線・厚狭駅から永山酒造までは、歩いて10分もかからない。その道は、かつての山陽道であり、両側には古い商店が並び、宿場町の面影を残している。


 途中、厚狭川を渡ろうとして橋から川面に目をやると、大きな緋鯉が悠然と泳いでいた。


 後で聞いたのだが、永山社長によると厚狭川の源流にカルスト台地の秋吉台からの水が合流し、カルシウム分を多く含む硬水になっており酒造りに適した水だそうだ。この水のために、かつて厚狭には7軒の酒蔵があり永山酒造も創業地の二俣瀬村(現宇部市)を離れ、現在の地にも蔵を持つことになったとのこと。


 和室に赤い絨毯を敷いてテーブルが置かれた部屋で、永山酒造5代目社長の永山純一郎氏とお会いした。


 永山社長は、まず蔵の歴史について語り始めた。それは、明治維新からの山口県の酒蔵の歴史だった。

(永山社長に話を聞く筆者=手前)
(永山社長に話を聞く筆者=手前)


 「明治時代、山口県の蔵元は約230蔵を数えました。これは、広島県(3大銘醸地の一つである西条を有する)と同じくらいの数なんです」


 「明治時代に、地主だった初代が自分のところで造っているお米から酒造りを始めました。江戸時代には、酒造りの許可をもらうのが難しかったようですが、新政府になり地主で酒造りを始める人が増えたようです」


 「二代目の頃は事業が拡大し県会議員を務め、学校を建てたり橋を作る等地域に貢献したと聞いています」


 「昭和30年~40年くらいまでは、灘・伏見の大手が普及し始めたテレビや新聞・雑誌などのマスメディアを使って宣伝し、売上が飛躍的に伸びました」


 その頃、山口県は樽売率が全国1位でした。大手の傘下に入り、委託を受けて日本酒を造って納入していました。販売のための卸売会社も作ったそうです。山口県は中央志向が強く、全国販売のものを扱ったようですが、そのために灘・伏見・広島に侵食されてしまったのです。昭和40年くらいまでは、お酒と言えば日本酒でしたが、日本経済の発展により所得が増え、ビールやウィスキー等も広がりました」


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 中央志向の強い県民性によって、自分たちのブランドではなく、灘などの大手のブランドの酒をつくるようになった、という話は興味深かった。山口県民の中央志向の強さは時折聞く。酒もまた然り、ということか。


 大手ブランドの下での酒造りを変えた転機は、危機によってもたらされた。


 「昭和40年以降日本酒以外のお酒も広く飲まれるようになり、日本酒は徐々に販売量が減少し大手が下請けを切り始め、販売ルートも集約されて行きました。山口県の7割くらいの酒蔵が、大手の下請けをしていたので、もともと造っていた地酒に切り換えようとしましたが、設備が合わず造れなくなってしまったようです。日本酒離れが進み地酒が売り難い状況でした。


 そういう中で、残った蔵は生き残りをかけて頑張ってきました。現在、山口県には24の蔵があり、そのうち3蔵が酒造りを復活しています。しばらくは酒造りをやめて権利を維持していたのですが、最近になり少量生産を再開したのです。現在、全国で日本酒販売量が増加しているのは山口県だけであり、5年連続で前年より伸びています」


 「私の父親は、自分の代で酒造りを止めようと思っていたようですが、私は東京農大に進みました。全国の酒蔵の跡取りが来ていて、色んな話をするうちに山口県は異常な状況であることが分かってきました。


 灘・伏見といった全国区のメーカーは、東京・関西・西日本で活動しており、山口県もその動きに含まれていましたが、それ以外は案外地酒が強いのだと知りました。東京では実際にどのようなお酒が売れているのか調べるために酒屋さんを回り、情報やヒントをもらいました。東京農大ということで、珍しがられて店頭販売にも立たせてもらいました。


 在学中に新潟のお酒で淡麗辛口ブームが起こっており、日本酒が食と合わせてやって行ける雰囲気がありました。そのような経験から、その後大手問屋と組んで県内では一番早く純米酒造りに取組みました」

(清酒を仕込んでいるタンクの前で)
(清酒を仕込んでいるタンクの前で)

                  □

 話は「山口の酒」の歴史から、永山酒造の歴史に再び移る。それは、挑戦の歴史である。その過程で幻の酒米に出会う。


 「当社は、明治時代から『男山』というブランドでした。明治20年に灘の男山が廃業し、その権利を購入したのです。この男山で事業が発展し、明治時代後半から大正・昭和・平成と続けてきました。昭和40年代から日本酒販売が減少する中で、昭和57年に始めた『寝太郎』という米焼酎により、日本酒離れの間をしのぎ地酒ブームにつながって行きました」


 「男山ブランドは全国で17種類もあり、日本酒販売が減少する中で頑張っても、違いを理解してもらいにくい状況が昭和40年代から平成に入っても続いていました。


 そのなかで、出会ったのが幻の酒米『穀良都(こくりょうみやこ)』です。これは、戦前に建国米とも呼ばれ西日本や中国東北部で作られていましたが、戦後はほとんど見かけませんでした。


 県の酒造組合も地酒ブームへの対応のため、山口県の特徴を出す必要があり平成になる少し前に『酒米からの取組み』を始めました。『長州ロマン』というブランドに統一して、穀良都のお酒を出しましたが上手く行きません。


 そこで、永山酒造は『穀良都』を栽培する契約農家と一緒に、独自ブランド『山猿』として取り組むことにしたのです」


 「『山猿』ブランドは平成14年からスタートさせました。山猿の『山』は、永山・男山・山口からですが、『猿』については、(言葉が自分の中に)降りてきたような感じです。


(ブランド名を)考えているうちに『薬師如来の化身という俵山温泉の白猿伝説』や『山猿(止まざる=続く)』という言葉、『猿の能面』のイメージなどが湧いてきました」


 清酒の名前としては奇妙にも感じる「山猿」が、「止まざる」の掛け言葉となっていること。そこに「絶え間なく努力を続けること」という思いが込められるていることに、胸を打たれた。


 インタビューを終え、酒蔵見学の後は、待ちに待った試飲である。


 最初は、「純米吟醸あらばしり」。栽培が難しい酒米の「穀良都」を使った、無濾過の生原酒だ。


 いきなりがつんと来てしまった。ぐっとくる勢いと果汁のような爽やかな酸味の流れの後から、ほのかな吟醸香が鼻腔を微かに通り抜けて行く。


 次は、「大吟醸」。山田錦を使い、無濾過の斗瓶取り。口に広がる旨みと甘味とふくよかな果実の香り。実に美味しい。すでに完売している、というのが残念だ。


 さらに、「純米大吟醸にごり酒 春の雪舞」。口当たり柔らかなとろっとした感じが何とも言えず、甘味とフルーティーな香りが広がっていく。春の柔らかな光のなかで、雪が舞う情景が眼前に浮かび、消える――。


                □

 それにしても5代目、永山純一郎社長の話を聞きながら改めて感じるのは、良い酒は人々のひたむきな熱意と努力によって誕生する、ということだ。それは、幻の酒米を復活させようという農家の人たちも含めて、である。


 いやむしろ、酒米づくりに取り組む人々の流した汗がなければ、これらの美酒が生まれることはないだろう。そうした思いは、永山純一郎氏が社のホームページに掲げている次の言葉(「指針」)にも込められている。

                 □

 永山酒造の近くに大福寺というお寺がある。筆者の実家は、この寺の檀家である。きっとご先祖様も永山酒造のお酒を飲んでいただろう。次に帰省したときには、山猿をお供えすることにしよう。


(続く)

こがねいコンパス第68号(2015年2月23日更新)

(永山社長にインタビューする筆者=左)
(永山社長にインタビューする筆者=左)


筆者・上村紳一郎(かみむら・しんいちろう)のプロフィール

 1957年、山口県に生まれる。小学から剣道を始め、旧大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)では剣道部主将。五段。某大手電機メーカーに勤めながら、地元の朝霞市剣道連盟で子どもたちを指導。そのかたわら、独自に日本酒探訪を続け、酒と歴史とのつながりの物語を紡ぎつつある。時折、小金井市に遊びに来る。


 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

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脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

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*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

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イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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