その11 憲法はそんなふうに変えてはいけないよと憲法の前文が言っているらしい


 2月8日の首都圏での大雪の前、東京・多摩地域では立春の日にも少し雪が降った。その翌日、僕は朝から夕方近くまで、憲法の前文を「書き換える作業」に没頭してしまった。

 

 他にもやらなければいけないことはいくつもあったのにもかかわらず、そして誰からも「ねえ、今の憲法の前文、ちょっとわかりにくいから、やさしく書き換えてよ」と頼まれてもいないのに、なぜそれに夢中になってしまったのか?

 

 我ながら不思議でしようがないが、そういうこともある。人間だもの。ことの経緯というか流れをごくかいつまんで話すとこうである。

 

 立春の日の午後、特定秘密保護法に関する勉強会に出たら、「沖縄密約をめぐる西山事件って何ですか? どなたか教えてくださいませんか」と聞かれた。勉強会の講師ではなかったが、大学の後期の授業で取り上げていたこともあって(事件の概要はまだ頭に入っていた)僕が、差し出がましくもご説明した。

 

 家に帰った後、国家公務員法違反とされたこの事件について改めて最高裁決定や1審と2審の判決文などを読んでいるうちに、最高裁の役割が気になり始め、それを憲法の条文や解説書で確認していたところ、これもかねてから気になっていた前文にふと目が移った。前文を読んでいるうちに、にわかに「やさしく、わかりやすい日本語に直したい」という衝動を覚え、ことに及んだ――というわけである。

 

 では、前文のどこが気になっていたかというと、この下りだ。

 

「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」

 

 ご存じの通り、一昨年(2012年)12月に誕生した第2次安倍晋三政権は、現在の日本国憲法を改正しようという意欲を隠してはいない。この3月上旬には、憲法改正手続きを定める国民投票法改正案が自民党と公明党などによる議員立法として提出され、今国会中の成立を目指す、と報じられている。

 

 憲法改正に向けた法的な整備が着々と進もうとしており、そんなこんなで憲法の前文の一節が気になっていたのだろう(と自己分析をしてみる)。


 では、あそこの一節は何を意味しているのか。


 僕が知る限りで最もやさしい言葉で解説しているのは、文部省が憲法施行の翌年1947年8月に発行した「あたらしい憲法のはなし」だ。

 

 これは、全国の中学生1年生向けの教科書としてつくられたもので、現在では復刻版が多く出されているし、国立国会図書館のデジタルコレクションにも収められているので、インターネットで読むことができる。

 

 「あたらしい憲法のはなし」は、先の一節についてこう説明してくれている。

 

 「これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。」

 

 なるほど、分かりやすいですね。
 これは憲法の解説書などには「憲法改正権の法的な限界」といった言葉で表現されている。

 

 日本国憲法には、昨年かなり有名になった第96条に改正手続きがあるわけだから、将来の改正を十分に想定している。その一方で、「だからと言ってなんでもかんでも変えられるわけじゃないよ」と、前文でクギを刺してもいるわけだ。

 

 こうした「クギ」は、ドイツの憲法である「ドイツ連邦共和国基本法」でも、ぐさりと刺さっている。第79条3項がそれで、第1条の「人間の尊厳」の尊重や第20条の国民主権など原則に関わる改正は許されないと定めているのである。

 

 憲法学者たちはこの点についてさらに詳しく説明し、様々な説も紹介している。

 

 例えば、長く憲法学の第一人者とされてきた宮澤俊義さん(故人)が著した『全訂 日本国憲法』(弟子の芦部信喜さんが補訂)では、「甲」「乙」「丙」の3つの説を紹介している。

 

 甲説というのは、「国民主権」と「基本的人権の尊重」という二つの原則は憲法改正手続きによって変えることは許されない、という説である。宮澤さんはこれが「正当だ」との立場だ。

 

 一方、乙説というのは、「甲説よりもさらにすすんで、多くの原理を憲法改正権の限界としてあげる。特に戦争の放棄と軍備の廃止は、前文にうたっている平和主義の精神からいっても、憲法第9条の『永久にこれを放棄する』という言葉からいっても、憲法改正の手続きによっては、改正できない」というものだ。この説によれば、憲法第9条改正なんてとんでもないということになる。

 

 また、丙説というのは、憲法改正手続きに関する憲法の規定、つまり第96条については、「国民主権に関する憲法の規定と同じように、いわば根本規範に直接にもとづくものと考えられるから、それを、その改正手続きによって改正することは、論理的に不能である」という内容だ。憲法第96条を変えるなんてできないよ、という説なのである。

 

 どの説をとるかは別にせよ、僕が感じるのはこうした「憲法改正の限界」が、憲法改正をめぐってかまびすしくなっている今日、どこまで知られているのだろうという疑問だ。

 

 正直に言えば、僕は今回様々な文献を読むまではそのような認識を持っていなかった。ドイツやフランスの憲法にそうした規定があるのは知っていたが、日本の憲法にもそのような趣旨が盛り込まれているとは思ってもいなかった。念のため、周りの立派な大人たちの何人かに聞いても「へえ、そうなの? 知らなかった」という反応だった。

 

 なぜそんなことになってしまったのだろうか。恐らくは義務教育の段階で、きちんと教えられてこなかったからではないかと思う。

 

 最近使われている中学校の「公民」の教科書(東京書籍版)を見ると、第2章で『人間の尊重と日本国憲法』というタイトルで、38ページを割いて憲法について詳しく説明している。

 

 日本国憲法の基本原理は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義である――。そうしたことなどが、明確に述べられているのだが、残念なことに立憲主義についての解説や、憲法改正の限界などは触れられていない。(もちろん教科書に触れられていなくても教室ではきちんと説明されている先生方は少なからずいるとは思うので、原因のすべてを教育のせいにしてはいけないかもしれない)。

 

 憲法前文を「やさしく、わかりやすく」書き換える作業は、特段、上記のような問題意識をもっていて始めたわけではない。解説書を読みながら、GHQの起草過程を調べながら、前文の英語バージョンによって意味を確認しながら、書き換えていく作業のなかで「憲法改正の限界」を見つけたのだった。

 

 「やさしく、わかりやすく」書き換える作業は、実はすでに何人もの人によってなされている。なかには大胆な意訳を試みられている方もいる。作家の池澤夏樹さんや、ドイツ文学翻訳家の池田香代子さんのものなどはなかなかチャーミングだ。

 

 そうした「作品」を参考にしつつ、僕としては、前文の持つ意味を可能な限り正しく表現し、その魅力を引き出そうと試みたつもりだ。

 

 さて、読者のみなさんはどうお感じになるだろうか。

  編集長による「日本国憲法 やさしく、わかりやすくした前文」

 

わたしたち日本国民は、
選挙で正しく選ばれた国会の議員たちを通じて行動し、
わたしたちとわたしたちの子孫のために、
すべての国々と平和に協力して手に入れる成果と、この国にあまねくいきわたる自由によって得られる恩恵が失われないようにし、
わたしたちが、政府の行いによって再び戦争の恐怖に襲われないようにすることを固く決意し、
主権がわたしたち国民にあることを宣言し、
この憲法を制定します。

 

国の政治とは、その国民の信頼を何よりも重く受けとめてなされるべきものです。
だからこそ、その権威は国民から生まれ、その権力は国民の代表者が行使し、そこからもたらされる利益は国民が受け取るのです。
これは人類に共通する原理であり、この憲法はこうした原理に基づいています。

 

わたしたちは、こうした考え方に反する憲法改正や法律、条例などを拒否し、いまあるものは廃止します。

 

わたしたち日本国民は、平和がいつまでも続くことを望み、人と人との関係を律する崇高な理想を強く意識しています。
だからこそ、わたしたちは、世界中で平和を愛する人たちの公正さと信義を信頼することによって、わたしたちの安全と生存を保とうと決意しました。

 

平和を維持し、暴君と奴隷制、圧迫と不寛容さをこの地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、わたしたちは、名誉ある地位を占めたいと望みます。

 

わたしたちは、世界中のすべての人たちが恐怖や欠乏に怯えさせられることなく、平和に暮らす権利をもっていることを確認します。

 

わたしたちは信じます。
いかなる国も自国のことだけを考えてはならず、政治道徳の法則は普遍的であり、この法則にしたがうことは、独立国家としての主権を維持し、他の国と対等の関係でありたいと考える国にとっては責務である――ということを。

 

わたしたち日本国民は、わたしたちの国の名誉にかけて、この崇高な理想と目的を達成するために力をつくすことを誓います。

 

 

こがねいコンパス第46号(2014年2月15日更新)

編集長 佐藤和雄(さとう・かずお)のプロフィール

1957年8月生まれ。獅子座。血液型はAB型。

朝日新聞社で政治部記者時代には、首相官邸、自民党、外務省、防衛庁、旧自治省などを担当。国連本部担当のニューヨーク特派員、政治部次長、大阪社会部次長、紙面委員などを務める。米ワシントンのシンクタンク、ブルッキングス研究所の客員研究員だったことも。著作に『検証 日露首脳交渉』(岩波書店、駒木明義氏との共著)など。

2011年4月27日から同年11月11日まで小金井市長。現在は「こがねい・市民のチカラ」共同代表、首都圏にある某大学の非常勤講師。小金井に住んで20数年。 趣味は安ワインと料理研究、そして映画。

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
PDFファイル 5.3 MB

こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

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脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

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後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

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イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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