平素、わたしたち小金井市民のためにご尽力をいただいていることに感謝申し上げます。
さて、知人から小金井市議会の今3月定例会に、自民党小金井市議団から「従軍慰安婦」に関する意見書案が出されるとの話を聞きました。他会派からの意見も踏まえ以下のような文面になるとのことです。
意見書案を要約すれば1)朝日新聞が「吉田清治証言」を虚偽と判断し、関連記事を取り消した 2)誤報に基づく世界の人々の認識で、先人の名誉が著しく傷つけれたとともに、国際社会において日本人の名誉と尊厳が著しく傷つけられ、日韓関係にも悪影響を及ぼしてきた 3)国会と政府に対し、「先人の名誉を回復し日本人の誇りを守るためにも」対応を求める――という内容です。
そこでみなさまにお尋ねしたいのですが、「誤報に基づく世界の人々の認識」によって《先人の名誉》と《国際社会での日本人の名誉と尊厳》が傷つけられ、《日韓関係》に悪影響を及ぼしているというのは、どのような事実に基づくのでしょうか?
「吉田清治証言」を伝える報道は、「世界の人々の認識」に、どのような経路で、どのような影響を与えたのでしょうか。その根拠となるデータをお示し頂けると大変助かります。
小金井市民を代表する小金井市議会の意見書は、小金井市民の認識を反映したものと理解される可能性もあります。市民の一人として、ぜひご教示頂きたく、お願い申し上げる次第です。
このようなことをあえてお聞きするのも、朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会が昨年12月にまとめた報告書では、そうした事実は指摘されておらず、むしろ否定的な意見が多かったと理解しているからです。
ご存じかもしれませんが、第三者委員会の委員長は、元名古屋高裁長官で弁護士の中込秀樹氏。委員は、外交評論家の岡本行夫氏、国際大学学長の北岡伸一氏、ジャーナリストの田原総一朗氏、筑波大学名誉教授の波多野澄雄氏、東京大学大学院情報学環教授の林香里氏、ノンフィクション作家の保阪正康氏の6人でした。
これもご存じかもしれませんが、報告書の51ページからは「国際社会に与えた影響」、つまり「世界の人々の認識」への影響について報告がまとめられています。そのエッセンスをご紹介したいと思います。
委員会では、委員数名がそれぞれの専門的立場からアプローチし、3つの異なる側面から検討した結果が報告され、3つとも「委員会の本問題に対する報告」という位置づけにしました。
第1は、岡本委員と北岡委員によるものです。両委員は「韓国における慰安婦問題に対する過激な言説を、朝日新聞その他の日本メディアはいわばエンドース(裏書き)してきた。その中で指導的な立場にあったのが、朝日新聞である」と指摘しています。
一方、吉田証言については「(日本軍が直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦したという)イメージの定着に、吉田証言が大きな役割を果たしたとは言えないだろうし、朝日新聞がこうしたイメージの形成に大きな影響を及ぼした証拠も決定的ではない」と述べています。
(*太字は筆者による。以下同)
お二人の専門家の見解は、自民党のみなさまが原案を作成された意見書案の内容とは大きく違うものです。
第2は、日本政治外交史がご専門の波多野委員の見解です。
波多野氏は1980年代の報道を検証し、「要するに、82年の朝日新聞報道の以前から、韓国内では『吉田清治』はある程度知られており、80年代の韓国の著作にも少数ながら、これらは引用されている」「いずれにしても、80年代の吉田清治氏に関する韓国内の報道は、朝日新聞が最初ではない。こうした意味では、朝日新聞の吉田氏に関する『誤報』が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない」と結論づけています。
これもまた、みなさま方の意見書案で示されている認識とは大きく異なっています。
ところで、波多野氏はこの問題に関連して「吉田清司氏の『亡霊』」というタイトルで、興味深い分析を提示しています。
すこし長くて恐縮ですが、重要な指摘だと思いますので、以下にその中心部分を引用します。
「確かに、吉田氏はほんの一時期、日本のマスメディアにしばしば登場したが、むろん、加藤談話や河野談話を支える証拠として採用されたわけではない。
では、このような認識(筆者注=「吉田証言が二つの談話を支える証拠」という認識)がどのように形成されたのであろうか。
それは安倍氏自身が述べているように、問題が多いとされた従軍慰安婦の教科書記述について、『自民党議員だけで60名近い議員が勉強会を重ねてきた』結果であったことは想像に難くない。
その一人であった板垣正議員も、97年3月18日の参議院予算委員会で『吉田清治と称する全く無責任な男』の証言が問題の発端だったとして、安倍首相と同趣旨を発言している。
問題は、内外政治に強い影響力をもつ集団が、誤った認識を共有していたことである。」
さて、第3の報告は、林委員によるものです。メディア論が専門の林委員は冒頭部分で「そもそも特定の報道機関による個別テーマの記事が、いかに国際社会に影響を与えたかを調べることはほとんど不可能である」と断っています。
林氏によれば、メディア研究の歴史では、性急な「メディアの効果論」を持ち出すことは禁物だと見られてきたそうです。というのは、「社会に悪影響を与える」という理由は、特定の小説や芸術作品を弾圧する方便とされ、また弾圧とまではいかずとも言論の自由を委縮させかねないからです。
林氏はさらに「もともと、日本語というローカル言語で発信された情報が、他言語の異文化空間においてどのような影響を及ぼしたかとする問いの立て方も、それ自体に無理がある」とも指摘しています。
そうした前提に立ったうえで、林氏は「慰安婦問題の議論に一定程度の共通基盤が生まれ、今後さらなる国民的議論と問題解決への一石を投じること」を願い、英・米・独・仏・韓国5ヵ国の主要15紙の1990年代からの新聞記事をデーターベースから抽出し、定量的方法から「国際社会への影響」を調べています。
まず、英米仏独の10紙の報道ですが、「吉田証言は、欧米の慰安婦報道の内容に影響を及ぼしたとは言えない」との結論を下しています。
というのも、調査した欧米の新聞記事のうち、吉田清治氏が言及されていた記事は全期間にわたって5本。そのうち朝日新聞が2014年8月5日に取り消しを発表する以前のものは3本であり、そのいずれもが朝日新聞からの引用ではなかったからです。
では、韓国メディアへの影響はどうだったのでしょうか。90年代以降、朝日新聞の慰安婦に関する記事は合計827本でした。このうち吉田清治証言に関する記事16本を、朝日新聞に掲載された後8日間のうちに引用したのは、韓国日報の記事1本だけでした。
こうした事実から、林氏はこう結論づけています。
「この国際報道調査のもっとも端的な結論は、朝日新聞による吉田証言の報道、および慰安婦報道は、国際社会に対してあまり影響がなかったということである」
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私もまた、みなさまの意見書にある通り、「国際社会に向けて多言語で積極的に正しい情報を発信する」「慰安婦問題に関して正しい歴史認識を得る」――ことを願うものです。
しかし、それには「慰安婦とされた女性たちの名誉を回復し、彼女たちの尊厳を守る」ことが同時に必要ではないでしょうか。
おそらくはそうした認識に立って、小金井市議会のみなさまも、2009年6月に「日本軍『慰安婦』問題に対する国の誠実な対応を求める意見書」を採択したのではないでしょうか。
同じような認識に立って1996年から4代にわたって日本の首相(いずれも自民党)が、慰安婦にされた女性たちに「おわびの手紙」を送ってきたのではないでしょうか。
なお、この手紙は公開されており、すべての慰安婦に向けられた日本の首相の《公式な謝罪》であることを改めて強調したいと思います。
こうした事実を踏まえ、先の私の質問に対して、明確で、説得力のある回答がなされなければ、今回の意見書採択は見合わせて頂くことをお願い申し上げます。
最後に、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんので、首相の「おわびの手紙」の全文を引用し、こうした手紙が書かれたこと自体が戦後日本の達成の一つであり、現代の日本社会に暮らすものの一人として「誇り」に感じていることをお伝えしたいと思います。
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元「慰安婦」の方への総理のおわびの手紙
拝啓
このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。
敬具
平成8(1996)年
日本国内閣総理大臣 橋本龍太郎
(歴代署名:小渕恵三、森喜朗、小泉 純一郎)
こがねいコンパス第68号(2015年3月17日更新)
参考資料(ダウンロードしてお読みください)