変える 試みる 小金井の人たち file4の2

施設を退所した若者たちのアフターケア相談所「ゆずりは」所長

高橋亜美さん

 

 

 虐待によって心に深い傷を残しながら、社会に送り出された若者たち。彼らを支えようと、アフターケア相談所「ゆずりは」が小金井市にオープンして1年が過ぎた。

 所長の高橋さんは社会福祉を専門とする大学の卒業生だ。しかし、在学時から児童福祉や社会的養護を将来の仕事と決めていたわけではない。むしろ「私のような甘ちゃんには無理」と考えていたという。彼女の心と人生を変えたものは――。

 

(2回連載の後篇です)

 

――所長になる前には、自立援助ホームの「あすなろ荘」(運営主体・社会福祉法人「子供の家」)の職員として社会的養護の仕事に取り組まれていたわけですが、そこで働くことになったのはどういうきっかけからですか?

 清瀬市に日本社会事業大学という福祉を専門にした大学があります。そこを卒業したのですが、在学中に実習で行ったのが「あすなろ荘」でした。

 私の実家は岐阜です。そこから東京に出たい一心で大学に入りました。福祉には興味がありましたが、美術にも関心があって美大も受けました。結局、社会事業大学しか受からなかったのです。

 社会事業大学は、福祉を本気で志す学生が集まる大学です。私にとっては学生も授業も自分とは別世界という感じでした。正直つまらないと思う授業もありました。


――どこがつまらなかったのですか? 真面目すぎるとか。

  真面目で、硬すぎる。私は、福祉の志もなくひどいダメ学生だったんです。停学にもなりましたし。退学寸前までいきました。

 

――えっ、どうして? 

 つまらない不祥事を起こしてしまいました。自分にとっては“こんな些細な事”という認識でしたが学校では大問題になりました。「社会事業大学の名を汚す不祥事」と捉えられ、こんな学生は置いておけないとなったのです。大学の会議にかけられて退学処分が決められそうになりました。

 私は「もう、どうでもいいや」と思っていたのですが、何人かの教授が助けてくれました。それでなんとか首の皮一枚でつながったのです。

 

 退学は免れたのですが、1年間は大学に足を踏み入れてはならないという罰を受けました。お金がかかるのが嫌だったので、私は4年で卒業したかった。だから4年生の時に3、4年生の単位がすべて取れるようにしてもらいました。その条件付きで3年生の時には足を大学構内に一歩も踏み入れないという文書を書かされたのです。

 

――では、3年生の時には何をしていたのですか?

  いろんな外国に行っていました。貧乏旅行です。アジアだとバリやベトナム、スリランカ。フランス、それにニューヨークは大好きで何度か。バイトして旅費を稼いで外国に行くという貧乏旅行です。

 

――充実した1年間でしたね(笑)。

  本当に充実していました(笑)。 でも、ある時、「高橋が大学に来ていたようだ」と言われて、また処分に関する会議が開かれるということもありました。私は「(指摘された)その時には日本にいませんでした」と、パスポートのコピーを出しました。

 

――それで4年生の時に実習に?

  そうです。みんなは3年生の時にやり、いろいろ実習先を選べましたが、4年生の私は「あなたを受け入れてくれる施設は『自立援助ホーム あすなろ荘』しかない」と言われて、「はい、どこでもいいです」と行ったのです。

 それが、運命の出会い。それまでは児童福祉なんてと思っていたのですが、現場でその当時のホーム長、スタッフの方々にすごい感銘を受けました。そこで生活する子どもたちと出会って、自分の甘さも見つめなおしました。

 児童虐待という言葉はよく聞きましたが、自分の身の回りにはそういう目にあった子どもがいなかったのですごく学ぶものがありました。実習が終わったあとも料理をつくりに行きました。

 

――実習はどれくらいの期間?

  8月から5カ月くらいですかね。毎日ではなく週に何回か。たまに宿直もしました。

――そこで初めて接した子どもたちのことを覚えていますか?

  全員覚えています。仲良くなった子もいれば、男の子からは「帰れ」とか「お前のつくったものは食わない」とかいろいろありました。

 

 一番仲良くなった女の子は、小学生の時に児童養護施設に入所して、16歳で「あすなろ荘」に入所した子でした。それまではずっと家庭で生活した子でした。彼女の入所理由は兄弟からの身体的な暴力でした。

 

 私が「養護施設に入って一番うれしかったことはなに?」と聞くと、彼女が「生まれて初めて靴下をはいたんだ」と言いました。

 「自分は生まれてからずっとはだしで生活していた。はだしで靴を履いていた」と言うのです。靴下を職員の人が初めてはかせてくれた。それがすごくうれしかったという・・・。

 

 私たちは靴下をはくのが当たり前、歯を磨くのが当たり前、服を着るのが当たり前だけど、それは自分で獲得していたのではなくて、親に育てられ、そういう環境の中で育まれていくことなんだ、と身にしみて感じました。

 私は生意気盛りで「自分で生きてきた」と思っていたのですが、全部本当にうちのめされました。「自分も育てられてきたんだ。靴下をはくことすらもできないままずっと生きなければならない子どもたちの存在があることを絶対に忘れてはいかんなあ」と本当に思いました。

 

――忘れられない体験ですね。そうした子どもたちと出会って、では児童福祉の道に進もうと思ったのですか?

  それが思わなかったんですね(笑)。「あすなろ荘」に当時いたスタッフの人たちは、尊敬できるすごい人たちでした。でも、彼らのようにはとてもできない。私はまがりなりにいろんな仕事をみてきたが、こんな大変な仕事はないというのが正直な印象でした。やはり私のような甘ちゃんでは無理だな、と。

 「あすなろ荘」では「あなたはこの仕事に向いている。やってみない?」と言われたのですが、やってもすぐに辞めてしまうと思いお断りしました。

 

 大学を卒業し、岐阜の実家に戻りました。趣味がお菓子作りなので、就職はせずに、自分でつくったお菓子を喫茶店やカフェに置いてもらったり、色んなアルバイトをしたりして、お金を稼いでは外国に行くという生活をしていました。 結局、自由にやりたい生活を3年半続けた後、ある時、「もうやりきった」と思ったのです。

 その時に、「社会的養護の仕事をやりたい。やるなら『あすなろ荘』で職員として育ててもらいたい」と思い、いきなり「あすなろ荘」に行って「なんでもいいから仕事をさせてほしい」とお願いしたのです。

 

――3年半の気ままな生活を経て、いきなりスイッチが切り替わったような感じがしますが、何があったのでしょう?

  たぶん、ずっと社会的養護の問題が心にあったのだと思います。その間、虐待のニュースもありましたし、「あすなろ荘」で出会った子たちはその後もずっとつながっていたんです。今もそうですが。ずっと気にはなっていました。何か自然な感じで、「この時が来た」という感じでした。

 

――押し掛けで「あすなろ荘」に行ったのですね。

  みんなにびっくりされました。でも、ちょうどその時、職員を一人増やす時期にあたっていて、良いタイミングで時期にも恵まれました。

 

――アフターケア相談所「ゆずりは」の運営についてうかがいたいと思います。こちらには東京都や国から補助金は出ているのですか? 

 ここにはまだ補助金がついてはいません。社会福祉法人「子供の家」が、無い予算のなかでなんとか支援してもらっています。決してお金がありあまっている法人ではありませんが、私たちの思いに共感してサポートしてくれています。法人には本当に感謝しています。

 

――この小金井で「ゆずりは」を開こうと考えたのは?

  「あすなろ荘」がある清瀬市内でやると、「あすなろ荘」の子ばかりのたまり場になってしまう。清瀬からも近くて、小金井市に住む自分がやりやすいということで決まりました。小金井市は「子どもの権利条例」があり、子どもに関する市民の取り組みも活発で受け入れてくれるのではないかという期待がありました。

 

――小金井市にはいつからお住まいですか?

  子どもが生まれた時からですから7年前です。2005年に小金井に引っ越してきました。夫が「小金井が子育てに良いらしい」と言って。でも、それで大喧嘩になったのです。

 

――なぜ?

  それまでは中央区に住んでいました。私は東京の東側が好きなんですね。お産で岐阜に帰っている間に、清瀬にも近く、子育て環境がいいのは小金井だと言って、私を喜ばせるつもりで、黙って引っ越したんですね。「サプライズ!」という感じで。わたしは「ばかやろ―」と言って大喧嘩をしました。

 

――住んで7年の小金井はどうですか?

  子どもがゼロ歳の時から保育ママや、保育園でお世話になり、すごく良かったと思います。それに学童保育で結びついた親の関係が素晴らしい。「夜中に緊急のことがあった場合、うちで見とくよ」と言ってくれる。岐阜の田舎や、自分が子どもだった時代だと当たり前にできたことが、最近はできそうでできないじゃないですか。そういう点でもいいなあと思いました。

 学校もいいんだけど、虐待への関心とかまだまだ疎いなと感じることがあります。就学援助とか母子家庭への支援とかも実態を反映しているのでしょうか。声が上げにくいというところもきっとあるのではないかと思います。

 

――それにしても退学問題といい、なかなかワイルドな性格ですね。

  そう。この大雑把な性格があって、やってこれていると思います(笑)。私たちの仕事では、辞めてしまう人はすごく多く、精神を患ってしまう人もいます。

 

 私は、支援することは対等な関係のうえで成り立つことだと思っています。立場の強い者から弱い者へ、大人から子どもにと、上から下へと偉そうにする人が大嫌いです。私は支援者であると同時に声を発せない人たちの代弁者でありたいと思っています。いばる人にはすぐにカッとなる性格なので、色んな相談機関では良い印象はもたれていないかもしれません。(笑)

 

――最後にお願いがあります。高橋さんがあるイベントで紹介された、援助ホームにいた子どもが書いた「嘘つきと呼ばれた少年」と題する詩と、高橋さんのメッセージ「子どもが子ども時代にしなければならない思いっきり大切なこと12こ」を、ぜひここで紹介させてください。

  はい。

 

「嘘つきと呼ばれた少年の話」 

 
僕は嘘つきだと云われて育った

両親からも学校の先生からも友達からも皆僕を嘘つきと呼んだ

 

気付くと僕は嘘をついていた

自分の口が違う人の口になったように嘘が次から次へとスラスラとでてきた

「こんな嘘云ってどうするんだ、その嘘のためにまた大きな嘘をつかなくちゃならないんだぞ」と僕は僕につっこみながら、でも嘘をつくことは止められなかった

 

僕の一番幼い日の記憶は5歳の頃のことお父さんとお母さんと僕の3人で飛行機に乗ってアメリカを旅行したこと

でもそれは僕の中で作り上げた幻想だったと小学校2年の時初めて知った

旅行のこと友達に話したら「どうせまた嘘だろ!」って云われたから、お母さんに聞いたんだ

 

「お母さん、僕が5歳の時家族3人でアメリカに行ったよね?!」

「はぁ?アメリカどころか家族で旅行なんて一度だってないよ。あと3人って誰のことを言ってるの?」

「お父さんとお母さんと僕の3人だよ!!」

「お父さん?お父さんはお前が生まれる前に家を出て行ってるんだ!お前はお父さんを見た事も会った事もないんだよ」

アメリカ旅行は僕の中でたった1つ嘘じゃない出来事だったのにそれも嘘だった

アメリカ旅行はたった1つのお父さんと過ごした記憶だった

アメリカ旅行はたった1つの家族で過ごした僕の楽しい思い出だった

自分が自分に嘘をついていたことに僕は何年も気付くことが出来ず愕然とした

 

僕にとって家は自分を閉じ込めて生きなければならない場所だった

いつだってお母さんは怒っていたなぁ。

怒ってる顔しか思い出せないなぁ

怒って僕を叩いたり、殴ったり、蹴ったり、裸にしてベランダに一晩中正座させたり、パンツだってはかせてもらえなかった、トイレだって行かせてもらえなかったよ…

それは毎日毎晩のことだった

地獄があるのならこんなふうなのかな、僕ん家よりは地獄の方がいいよね?神様…

叩かれながらそんなことをいつも思っていた
腫れ上がった顔で学校に行くと友達は皆びっくりして心配してくれた

でも友達にはお母さんに殴られたなんて絶対に言えなかった、言いたくなかった。

何でだったのかな

小学1年生の僕のプライドだったのかな。

お母さんが僕を傷つけることを僕は認めたくなかったのかな
先生、先生にも言えなかった。

でも先生には気付いてほしかった。

「先生僕にもっといろんなことを聞いてよ、僕からこの腫れ上がった頬の理由を聞き出してよ、先生にしか今の僕を助けられないよ、先生僕の家は地獄だよ、先生助けて、先生助けて」

心の中で僕は叫んでいた、いつもいつもいつも
でも僕は声にして「助けて」とたったの一度も言えなかった。僕の口から出る言葉は嘘ばかり
そして先生は僕を叱る。

「何で嘘ばかりつくんだ、嘘だけはつくな!」「嘘をついたら誰も君を信じてくれないぞ!君を大切に思ってくれないぞ!」

そうなると僕は先生に酷い言葉を言ってしまう、暴れてしまう。席に座って授業なんて聞いていられなかったよ、自分が自分でコントロール出来なくなるんだ。

 

僕の口から出ることは嘘だけだった

嘘は僕の抱く幻想、唯一の逃げ場だったからだろうか

僕のおかれた現実では決して起こることのない嘘をつくことで、僕の世界が一変することを心のどこかで求めていたからなのか

 

引っ込みのつかない嘘をつき親や先生に叱られ、ときに罵倒され、友達には呆れられ見放されていった

それでも僕は嘘をつくことが止められなかった
嘘をつくことを止めることが怖かった

 

だから小さい頃の僕を知っている人は皆僕のこと、「嘘つき」としか覚えていないよ

嘘ばっかりついてる奴がいたなぁって、何かあるとすぐキレる奴がいたなぁって
僕自身も小さな頃の記憶は「僕は嘘つきだった」ってことしか思い出せない」

 


「子どもが子ども時代にしなければならない思いっきり大切なこと12こ」

 

1 思いっきり笑うこと

2 思いっきり泣くこと 

3 思いっきり怒ること

4 思いっきりドキドキすること

5 思いっきり食べること

6 思いっきり遊ぶこと

7 思いっきり歌うこと

8 思いっきり好奇心を持つこと

9 思いっきり友達とケンカすること、そして仲直りすること

10 思いっきり大人に大切なこと・正しいことを教えてもらうこと

11 思いっきり大人に優しく大切にされること

12 思いっきり思いっきり思いっきり愛されること

 

 大切なこと12こは、子ども自身の力ですることではなく、私たち大人が 子どもたちに保障していかなければならないことです。 まっさらで柔軟な子ども時代に、人間が本来もっているシンプルな軌道を体と心に作っていくことが何よりも大切で不可欠なことだと思います。私たち大人がぶれないように、見失わないように…   いつだって自身の心に確認していきましょう 。

 

◇高橋亜美(たかはし・あみ)さんのプロフィール◇

*1973年5月生まれ

*子どもが生まれたのをきっかけに小金井市へ。本町在住。

*趣味はお菓子作り、映画鑑賞、読書。

*家族は夫と小学生の娘1人。 

 

◎「ゆずりは」の連絡先◎

住所:東京都小金井市中町3-10-10

電話・ファックス:042-315-6738

(日曜と祝日が定休日です)

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
PDFファイル 5.3 MB

こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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