変える 試みる 小金井の人たち  file32-2

(レインボーアフロヘア-の男性がマスター木村です)
(レインボーアフロヘア-の男性がマスター木村です)

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観光キャラバン「モダン劇場コガネ座」の座長にして

『コガネイ寄り道ホリディ』の作詞・作曲・歌手の《マスター木村》こと木村秀穂(きむら・ひでお)さん(後編)


地域密着型最強エンターティナーを目指すというマスター木村さん。だが、そのもう一つの顔は学生時代にメジャーレーベルでのデビューを果たしたプロ・ミュージシャン。

 

時にクール、時に熱いギターワークが多くの音楽ファンを魅了してきた。音楽世界での遍歴、そして名人芸の域に達しつつある大阪弁紙芝居の誕生秘話とは――。


――「マスター木村」というのは、木村さんの芸名と言っていいんでしょうか?


小金井市で活動している、レインボー・アフロヘア-のキャラクターが「マスター木村」という芸人ですね。


――自分で付けたんですか?


ええ。カフェ「シャトー2f」をやり始めた時に、カフェの人はどう呼ばれるのだろうと考えていました。店長? 大将? 自分では自称しませんからね。そんな時、初期のお客さんで、すごく応援して頂いた方が、何の気なしに「マスター、お玉ください」って言ったんですね。


マスター? うん、この響きはなかなか面白いなって思ったのです。良い意味で古臭くて、でも一発で何か分かるぞ、と。


そこで「何にもマスター(習得)していないマスター」というキャッチフレーズを自分で考えて、笑いを取り、いろんなイベントで「マスター木村です」と名乗り、それで定着していったというわけです(笑い)。


――シャトー2fは、NPO法人アートフル・アクションが運営するギャラリーとカフェですが、カフェ部門のマスターになられたのはいつ?


2012年5月ですね。2年半やり、今は新しい店長に代わっています。現在、僕は夜のイベント・バー担当です。


――イベント・バーというのは?


基本的には金曜日の夜プラスアルファで、月に2、3回、テーマを決めてイベントをやっています。地域発信型のパフォーマーを呼び、手を替え品を替えながら、という感じですね。


――シャトー2fのカフェ店長を引き受けた経緯は?


ミュージシャンをやりながら、吉祥寺でサラリーマンもしていました。働くバンドマンですね。サラリーマンの仕事をいったん辞めて、さあなにをしようかと考えていた時に、子どもの保育園で――僕は父母会の会長をしていたのですが――その保護者のつながりで、「地域発信の仕事に興味ある?」と聞かれたのですね。


話しを聞くと、あるスペースでアートフル・アクションというNPO法人がギャラリーをやっているのだが、本格的に稼働させるにあたり、カフェを充実させたい、という内容でした。ただし、カフェ運営へのおカネは出ず、「自活してください」と。


――なるほど。


特殊な環境でのカフェですから、少し考えました。しかし、新しい仕事を探している時期でもあり、「3か月はやってみますが、箸にも棒にも引っかからなければ辞めます」という約束で始めました。


――カフェの奥に、小さい子どもたちも安心して遊べる「キッズルーム」を設けました。あれは木村さんのアイデアですか?


そうです。僕がカフェを始めた時、奥のスペースはがらくた置き場でした。そこをきれいに片づけたんです。というのも、シャトー2fをまずカフェとして認識してもらうことが大事だと思ったのです。店の入り口は目に付きにくいですし。何かアピールするポイントがなくてはならない。平日の昼間にここにお客さんを呼ぶのは至難の業でしたね。


そこで、このカフェを「お母さんたちが子どもと一緒にゆっくり過ごせるスペース」にしようと考えたわけです。僕自身が子育ての最中で、お母さんたちの気持ちが多少とも理解できたという背景がありました。


最初は僕の知り合いが来てくれたのですが、次第に口コミでお客さんが増えてきました。市内にキッズルームを設けているようなカフェってあまりないですから、あっという間に広がって行きました。逆に「平日の昼間に行くお店」になっちゃいましたね。


――カフェのマスターをするのは初めて?


まったくの初めて。


――料理とかはどうやって覚えたのですか?


何にも考えていませんでしたが、ただ、吉祥寺のアムリタ食堂をやっている安達亜紀さん(元「雨デモ風デモ・ライフラボ」代表)に弟子入りして「タイ風汁なしソバ」というのを教えてもらいました。それとあともう1品。料理メニューはその2種類だけで最初の1年ぐらいはやっていましたね。


――カフェというのはやってみて面白かったですか? いろんな人との出会いという展開もありましたが。


とてつもなく色んな経験をしましたね。やる前とやった後の自分は別人と言ってよいぐらい、人との接し方が変わりました。それまでは社会を知りませんでしたね。


――でもサラリーマンもやっていたわけですよね。


自営業というのは、サラリーマンの見方とは全然ちがいますね、良くも悪くも。


――サラリーマン時代のお仕事というのは?


紅茶を販売する小さな会社です。バンドマンでしたから、アルバイトでその仕事をやり、気が付いていたら正社員に。さらに社長、副社長の次、という立場になっていました。就職活動を一切したことがない人間なのに、採用面接までしていました(笑い)。


――シャトー2fのマスターを辞められたのはどういう理由ですか?


なかなか休みがとれなくなったことです。自営業ですからね。休むというのは時間を買うということです。イベントもやっていると、一日ずっと家族と過ごす日というのが月に2回ぐらいになってきました。家族への負担もあるので、「そろそろいいんじゃない」という結論になったというわけです。

(ギタリスト・木村ヒデヲとしての木村さん。ユーチューブの画像から)
(ギタリスト・木村ヒデヲとしての木村さん。ユーチューブの画像から)


――木村さんの本業である音楽の話しに移りたいと思いますが、学生時代にデビューされたか?


立命館大学の音楽サークルで組んだバンドで、渋谷パルコが主催した「パルコ・ライブ・アワード」で優勝したんですね。司会していたのが、その時は無名で今は超有名なクリス・ペプラーさんでした。審査員が渋谷陽一さんとか萩原健太さんとか。


――それが89年?


89年? 88年かな? 忘れちゃいました(笑い)。「チキンダンサーズ」というバンドです。


――その後、テイチクでメジャーデビュー?


思い出しました。89年に優勝し、翌年に割と有名なインディーズ・レーベルでミニアルバムをだし、その後にテイチクでメジャーデビューしました。学生をしながら、でしたね。


――ご卒業は何年?


ええと・・・90年に中退です。


――中退ですか。


ええ。親に学費を払ってもらっていましたので、心を入れ替えて、授業に出よう、試験も受けようとしたのですが、試験の日がことごとくアルバムの収録の日と重なってしまったのですね。


「ああ、これは神様が音楽をやれということやな」と思い、親にそう話しました。当然、「ばかもーん」と言われましたが、そのままレコーディングへと行ってしまった(笑い)。


――東京へはその後で?


91年に上京し、チキンダンサーズで活動していました。ただ、デビューして1年もたたないうちに「音楽的な意見の違い」によって解散しました。他のメンバーはとっとと関西へ帰ったのですが、僕は残りました。ちなみに最近、チキンダンサーズの音楽がが再評価され、「未発表音源などあれば是非ともCDリリースしたい!」と、某レーベルからオファー受けたばかりで、すでに動いています。これは嬉しいですね。


でも、その後で「生活するために東京に来たんじゃない」と思い直し、僕も関西へ戻ったんですね。「セブンデイズ」というバンドを組んで、京都の老舗ライブハウス「磔磔(たくたく)」で定期的にワンマンライブをしていました。


94年だったかな・・・テイチクレーベル時代に一緒だったバンドから「ギタリストが抜けたから、どう?」という話があって加入しました。それが「シェイディドールズ」です。東京ではすごく人気がありましたね。


――それが2000年まで?


そうです。2000年に解散しました。


――その後、「監獄ロック」というバンドに?


監獄ロックは僕が関西でライブハウスにがんがん出ていた時に、あこがれの存在だったブルースロックバンド「KING SIZE」のバンドメンバーから「一緒にやろうぜ」と言われて加入しました。中央沿線沿いのライブハウスでがつんがつんとやっていました。それと並行して、僕がボーカルをやる「スモール・ハーツ」というバンドもやっていました。

(スマートソウルコネクションのHPから)
(スマートソウルコネクションのHPから)


――2006年からは現在の「スマートソウルコネクション」ですね。これは主宰者のコハ・ラ・スマートさんから・・・。


誘われました。コハ・ラさんのバーレスクエンジンというカルト的人気があったバンドがあったのですが、僕はかねてからその大ファンだったのです。良く見に行ったり、対談したりしていました。バーレスクエンジンのCDについている付録のラジオ番組があり、その脚本を一緒に書いたりとか出演したりとかしている仲でした。クレイジーケンバンドのケンさんもラジオ番組に一緒に出ていましたね。


――なかなかカッコ良いサウンドですよね。


分かりやすく言うと、昭和テイストな歌謡インストですね。好きな人は多いですね。マニアですけどね。


(大人もこどもも大阪弁紙芝居に聞き入る。話しがどう展開するか予想がつかない)
(大人もこどもも大阪弁紙芝居に聞き入る。話しがどう展開するか予想がつかない)

――再び話しがマスター木村に戻りますが、名人芸の域に入りつつある「大阪弁紙芝居」のパフォーマンスはどうやって誕生したのですか?


パフォーマンスとして始めたのは、シャトー2fのカフェマスターになった直後に「関西弁で紙芝居をやったら受けるかな」と思ったからです。なんでそんなことを始めたかと言うと、きっかけがありましてね。


息子が風邪をひいて、病院に行きました。風邪が流行っている時期ですごく混んでいました。処方箋をもらってすぐ近くの薬局に行ったんですが、そこも混んでいる。息子はげほげほしていて、しんどそうで、本を読んでくれという。その薬局にあったのは、「桃太郎」でした。桃太郎をただ読んだだけでは面白くないだろう。それで適当に大阪弁でめちゃめちゃに読み始めたんです。


・・・むかしむかし、おじいちゃんとおばあちゃんがおったんやけど、おじいちゃんはシバ刈りに行くのがめんどくさいからホームセンターに行ってきました。おばあちゃんは「なんやねん! そんなおカネがあるんやったら、洗濯機をうちに買うてくれや。わたしとこだけやで、洗濯機ないのは」と言いながら川に洗濯に行きました・・・。


そうすると、子どもがケラケラ笑いだす。その話しを進めているうちにですね、薬局で待っている人たちから何か気配を感じるのです。なんだろう? ふっと顔をあげると、みんなこっちをみている(笑い)。みんな、くすくすと笑っている。まずい、受けてしまった。これはオチをつけて終わらないと・・・と考えていると、オチに行く前に「木村さん」と薬剤師さんに呼ばれました。


ああ、よかった。「さあ、いこいこ」と本を閉じて、子どもを連れてカウンターに行くと、薬を渡してくれたおばちゃんが「最高に面白かった! 明日も来て、続きをやってちょうだい」と言う(笑い)。「いや、明日にはもう治っていたいですね」と言って帰ったんです(笑い)。


それで子どもを自転車に乗せて帰る道で、「ひょっとしてこれはニーズがあるんとちゃう?」と思いながら帰ったのです。それが頭に残っていたというわけです。


――「マスター木村」として地域密着型の最強エンターティナーをめざしていらっしゃるとか?


うーん、そうですね。目指してはいますが、それがどんな状態なのかはよく分からない(笑い)。まちのイベントに出ている名物おやじ・・・。要するに大阪生まれの、小さいころから、ちょっとだけ人と違って目立とうということばっかり考え、そのまま歳をとっただけなのです。


せっかくカフェマスターをやり、人とのつながりがたくさんできたので、「オモロイことをしたろうやないか」と思っています。でも、ここまでまちのイベントに出るようになるとは思ってもいませんでしたね。


(終わり)


こがねいコンパス第63号(2014年12月8日)



木村秀穂(きむら・ひでお)さんのプロフィール

1966年10月生まれ。大阪の3大商店街の一つ、千林(せんばやし)商店街がある大阪市旭区で生まれ育つ。この商店街は価格競争の激しさから「日本一安い商店街」とも呼ばれていた。立命館大学を中退し、ミュージシャンに。

1989年、ロックバンド「チキンダンサーズ」のギタリストとしてテイチクよりメジャーデビュー。その後、「SEVENDAYS」、「シェイディードールズ」、「監獄ロック」などを経て、2006年からは謎の近未来ブルースバンド「スマートソウルコネクション」のギタリストとして活動中。

その一方、2012年から、地域密着パフォーマーとして小金井市を中心に街イベントや保育園、幼稚園などで出張ライヴを多数こなす。昔話や童話をその時々で自在にストーリーを変えてしまうアドリブ大阪弁紙芝居は子供のみならず大人にも大人気。また、武蔵小金井駅南口のカフェ&ギャラリー「シャトー2F」では現在、BARマスターを担当。月例イベント「あんぽん祭り」などを企画、自らも出演している。

趣味は特撮映画とノンフィクション、プロレス。2001年から小金井へ。東町に4人家族で在住。


 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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