変える 試みる 小金井の人たち     file30-2

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「文明フォーラム@北多摩」設立発起人  大賀英二さん(後編)


 ある時はパレスチナで風に吹かれ、ある時はベトナムの子どもたちの笑顔に囲まれている。また、ある時は武蔵小金井の駅頭で政治ビラを配っていたかと思うと、ある時には「憲法カフェ」と称する集まりで、笑みを浮かべながらビールを静かに飲んでいる。


 飄々と、淡々と生きてきたように見える大賀英二さん。しかし、20代の終わりごろ、思いもよらぬ事件に巻き込まれ、人生は大きく変転してしまう――。


――前回はパレスチナに行ったお話を聞きましたが、最近はベトナムにも行かれているそうですね。


ああ、ベトナムの話ですね。学生時代の60年代後半、ベトナム反戦運動に関わっていたので、1985年の「ピースボート」に乗ってはじめてサイゴンとハノイを見てきました。その後、1990年代の後半になって私の連れ合いが「ふぇみん」のベトナムプロジェクトに参加しましてね。


――ふぇみん?


正式には「ふぇみん婦人民主クラブ」です。ベトナムプロジェクトとは、アメリカに加担した日本も、ベトナム戦争後に今もベトナムで困っている孤児たちを助けようという事業なのです。あれはいつ頃だったか・・・うちの連れ合いが小金井でベトナム語の勉強会に入ったんですね。その誘いで彼女はベトナム旅行に毎年、参加するようになって、私も2回目だったか3回目に付いていったのです。


ふぇみん婦人民主クラブとは:全国の女性によるNGO。佐多稲子、加藤シヅエ、羽仁説子ら8人の女性たちによって呼びかけられ、1946年3月に設立大会を開催。「女性自身が民主的な力をつけていく団体」として発足した。「ふぇみん婦人民主新聞」の発行や、環境に負荷をかけない石けんや食品などの販売を主な事業としている。》


――毎年行っているのですか?


いや、最近は隔年ぐらいですかね。ベトナム中部のダナンという町に「希望の村」という施設があり、そこに150人ぐらいの子どもたちが暮らしています。親がいなかったり、いたとしても片親でその扶養能力がなかったりという理由で預けられているのですね。そこでは2、3歳から18歳ぐらいまでの少年少女たちが共同生活をしています。


その子どもたちの里親になるのです。おカネを出す先が施設ではなく、里親になった子どもへの経済的支援という形を取っています。実際には施設運営のおカネをだすのですが。


――そういう形によって、子どもたちと継続的な関係になるということでしょうか?


そうですね。1997年か1998年に初めて里親になりましたので、そのころ6歳くらいだった子どもはすでに23歳か24歳になりますね。すでに施設は出て、自立した生活をしています。


――その子どもとの関係はまだ続いているのですか?


ええ、(ベトナムへ)行けば会います。タン君という青年です。今は二人目のニャット君という10歳の子の里親です。


当初、ふぇみんのベトナムプロジェクトは、在米ベトナム女性が立ち上げた団体と一緒に「希望の村」の応援だけしていたのですが、いまでは、その卒園生も支援しようという自立プロジェクトにも取り組んでいます。卒園後に日本の大学に留学した子どもたちもいます。


(「ふぇみん」のホームページ、「ふぇみんベトナムプロジェクト」のブログから)
(「ふぇみん」のホームページ、「ふぇみんベトナムプロジェクト」のブログから)



――話を小金井市とのかかわりに移したいのですが、2003年6月に制定された「小金井市市民参加条例」の策定委員をされていますね。この市民参加条例は前文で「市政の主役は市民です。市政をどのように運営するかによって、小金井市で生活する市民の暮らしは大きく左右されます」と高らかにうたい、市民の市政参加の理念や具体的な手法などを定めています。市民参加条例づくりにはどのような経緯から関わったのですか?


市民参加条例制定の前ですが、1990年代の後半に小金井市では市民参加による情報公開条例づくりがありました。この情報公開条例づくりの際に、市民として策定委員となっていた人から色々と相談をされたのです。その過程で、僕は情報公開だけでなくて、行政と市民との協働についても関心を持ったわけです。


2001年ころだったと思いますが、市民参加条例の市民策定委員が公募された時には、市議会議員と一緒に活動していた私たちの市民グループのみんなで一斉に応募したんです。私は仕事柄だったのですが、(選考のために提出した)作文がうまく(役人受けするように)書けたせいか、策定委員に当選したわけです(笑)。


――策定委員をやってみてどうでした?


うーん、仕事上で僕も特許庁の審査官たちとのやり取りはあったのですが、自治体の方たちと一緒に作業するのは初めてでしたから・・・。

 

特許事務所では僕は労働組合をずっとやっていて経営者との団体交渉は慣れていたので、そういうノリでやってしまっていたのかもしれません。だから、策定委員としての関わり方は、思っていたほどにはうまくできたとは思っていません。


――市民参加条例の出来栄えはどうです?


条例案の起草委員会というのを設けて、僕はこの起草委員に手を挙げてなったのですが、いくら意見を言ってみても最後には、「行政としては議会に出す以上、こういう風にしないとだめ」と押し切られてしまった。


つまり、市民が時間をかけて議論を重ねていっても、行政の都合に合わせた条文案に変えられてしまいましたね。あのようなやり方は・・・あんまりよくないんじゃないかな、と思いましたね。行政の都合で条例案をつくるのであれば、最初から市民公募の策定委員なんかは、無駄な出費になるわけじゃないですか。


――どのあたりが「行政の都合」で変えられたのですか?


住民投票の規定振りで対立したこと以外にも多くの対立点はあったんです。記録はとってありますが、残念ながら頭の中にそれ以上は残っていませんね。記録自体は天井裏にありますよ(笑)。また今度お見せしましょう。

 

 

――ところで先ほど労働組合の話がでましたが、大賀さんは大学卒業後はどんなお仕事を?


1971年に早大理工を卒業しました。電気通信専攻で半導体やコンピュータを学んでいました。


――就職は?


4年になって卒論を指導して頂いた研究室の教授が「お前、就職しろ」と言うのですが、僕は「大学に残りたい」と。でも、なぜか「いや、だめだ」と言われてしまいました(笑)。そこで、2~3年生で不勉強だった負い目もあったので、勧められるままに就職試験を受けたのですが、面接で言いたいことを言ったら、当然ですが落ちてしまった。


「すみません、落ちました」とその教授に言うと、「じゃあ、特別研究生でもいいかなあ」となって、大学院に残れたわけですが、やっぱり研究室の居心地が悪くなって、半年で辞めました。やっていた研究の中身は、当時僕にはすごく面白かったんですけどね。


――その後は何を?


家庭教師をやったり、日雇いの仕事をやったりしていました。それで卒業して1年半くらいたってからのことですが、1972年夏に大学の先輩で特許事務所に勤めていた知人が「ぶらぶらしていないで、俺のところへ来いよ」と誘ってくれたんです。「俺のところ」と言っても、彼が経営しているわけじゃなくて、彼の勤め先ということなんですけどね。


――特許に関する法律とか手続きは?


何にも知らない(笑)。僕は電気通信ですから。まあ、なんとかなるだろうと思っていました。


――いつまでそこで働いていたのですか?


4年経った1976年の秋にクビになりました。


――なぜ、また?


警視庁に逮捕されたんです。全国各紙が僕の顔写真入りでそれを大きく掲載しましたね。


――何の容疑ですか?


当時、過激派と言われていた人の「犯人隠匿」容疑ですね。


――隠匿した犯人というのは?


僕も新聞記事などで知っていたんだけど、どこかの交番にスポイト式爆弾を仕掛けて、未遂に終わった事件があって、その犯人ということで指名手配されたのが僕の知り合いだったのです。彼が逮捕された時に、僕の家が家宅捜査され、警察へ連れていかれました。


――立件されたのですか?


いえ、不起訴でした。


――逮捕された時は驚きました?


びっくりしましたね! その知人が指名手配されていたことは知っていましたが、こちらは何もかくまったりする義理はありませんでしたからね。


――かくまっていなかったんですか!


そう。彼とは60年代の終わりごろに友人から紹介され、その後も彼の所属する団体の機関紙などを読んで話をしていたんですね。そんなに親しくもないけど、拒絶するほどでもないという間柄でした。だから彼が逮捕された時に、僕も一緒に逮捕されるなんて思いもよらなかったですね。


――彼の交友関係から大賀さんの名前が出てそれで、ということでしょうか?


ということでしょうね。当時の大新聞は、どこでも警察発表を垂れ流しですから。職場の仲間はびっくりしたようですが、組合運動で対立していた経営者はどうだったでしょう。


――しかし、自分にまったく非がないにもかかわらず、不当な逮捕によって特許事務所をクビになってしまう――。人生が大きく変わってしまう出来事ですね


これには当時の新聞報道に大きな責任があると思いますね。それで、会社側とは不当解雇ということで裁判で7年間争い、結局は、高裁の段階で和解して解決しました。


――それからはどうされたのですか?


また、やはり別の特許事務所で働きました。


――国会議員の秘書の経験もあるそうですが、どんな経緯で?


大学時代の友人の紹介です。市民グループの支持を受けて1990年の総選挙で、東大の医学部を卒業された外口玉子さんという人が、杉並・中野・渋谷を選挙区とする旧・東京4区で当選しました。無所属で立候補し、当選後に社会党に公認されました。


彼女の東大の先輩から僕の友人を介して、「秘書をやりませんか」という話が来たのです。90年前後は大衆運動の高揚の時期でもあり、「気分転換に」と思って引き受けたのですが、連れ合いには反対されたんですね。


その頃も小金井に住んでいましたから、朝早く家を出て地元の事務所に行き、そこから国会議員会館へ。帰りはまた地元の支援者のところなどに寄って小金井に戻るという生活でした。1993年選挙で議員が落選するまで、1年と少しだけ社会党員として秘書の仕事をしていました。


――議員秘書の仕事というのはどうですか?


仕事ですか・・。社会党員をはじめ労組活動家から市民運動の活動家まで、中野、杉並、渋谷では多様な人たちが応援していたので、彼らとの間で連絡調整役として活動でき、それなりに面白かったですね。国政と地域での運動との矛盾や、相互連携のあり方についても考えさせられましたから。


――その後は?


また小さな特許事務所で働きながら、最初お話ししたように、小金井市内での市民運動に取り組んでいました。




――最後になりますが、小金井にお住まいになったのはいつからですか?


1976年の夏だったと思います。友だちが(小金井市)貫井北町で一戸建ての借家に住んでいて、彼がそこを出ていくときに「次に入るやつがいないらしいから、お前、どうだ」と(笑)。


すでに結婚していて2人子どもがいたので、そこに落ち着いたのです。子どもがいると保育園や学校の関係で、そんなに気軽には引っ越することができない。でも小金井のなかでは何回か引っ越しをして、今住んでいる家は・・・4軒目ですね。


――小金井に住んでほぼ40年というわけですね。住んでみてどうですか?


小金井に来た頃、最初は畑があったり、道路が砂利道だったりしていて、のどかでしたね。住んだ1軒目、2軒目とも家の周辺は畑だったんですよね。最近の小金井は、畑はなくなるし、住居が建てこんできて日当たりは悪くなったし・・・。でも、今の住居は近くに緑の多い多磨霊園や野川公園があるし、まあいいか(笑)。


(終わり)

こがねいコンパス第59号(2014年10月4日更新)

大賀英二(おおが・えいじ)さんのプロフィール

1948年、目黒区で生まれる。1971年早稲田大理工学部卒。特許事務所や衆院議員秘書などの仕事を経験。1974年9月から小金井市へ。現在は前原町在住。趣味は読書、山登り、オートバイ、自転車。

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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