変える 試みる 小金井の人たち  file3の2 

自主上映会が波のように全国各地に広がる映画「祝(ほうり)の島」の監督

 

纐纈(はなぶさ)あやさん           3回集中連載の第2回

 『祝の島』のパンフレットに作家池澤夏樹さんが寄稿し、その冒頭に次のように書いている。
《ものを考えるには、いきなり総論から入るという方法がある。話が派手になって展開が早くておもしろいけれど、入り口を間違えるととんでもない結論に行き着く。
 たいていは地道にゆっくりと各論から入る方がいい。そのことが起っている現場に行って、時間を掛けてみて、結論を急がない。
 この『祝の島』を見て、これこそゆっくりとした考えのお手本であると思った。》

 

 

――映画では原発建設の闘争や対立構造よりも、島で暮らす人々の営みを丁寧に描き、纐纈さんの温もりのある視線が注がれているように感じます。纐纈さんが言うようにある意味で「静かで地味な作品」ですが、そのような作品にしたいと思ったのは? 
 本橋さんの事務所にいた時から、原発問題の映画を扱っていたので、通常よりは原発に関して読んだり聞いたりはしていたのですが、ずっとジレンマがありました。

 原発に対して自分の言葉が持てないということです。
東京に住んでいると、少なくとも東京に原発が誘致されるとは考えられない。自分のまちに原発がくるかもしれないというところではないところで、原発が良いものか悪いものかを考える。私は原発は嫌だけれど、では賛成という人に対してどのような議論ができるのか、論破できるのかという思考にどうしてもなってしまって、原発に対して自分自身の言葉が持てないような感覚がありました。

 

 その時に祝島で、海がすぐ目の前にあって、山に畑があって、自給自足で暮らしているじいちゃんばあちゃんの姿を見て、毎週のデモを一緒に歩いて、「あっ、そうそう、これだったらわかるな」と思ったのです。
 「この暮らしをしている方たちにとって、原発というものは相いれないのだ」という感覚が、理屈ではなくて、身体で感じられたのです。

 

 島の人たちが反対し続けてきた原動力は何なのか。理屈や理論ではなくて、彼らの暮らしからその答えが見えてくるのではないかと思いました。

(祝島の反対運動について)「抗議行動で県庁前に座り込んでいる」とか「中国電力の人と衝突している」とか、そういう地元での報道がありました。それを見たときに胸が痛くなりました。そこまでして島の人たちが守っているものは何だろうと思いました。

 

 大切にしたいものがあるから、ここまで体を張っているに違いない。何に反対しているかよりも、何を守ろうとしているか、大切にしているのかを知りたい――。
そう思ったのです。

 

 マスコミというものは、問題を広く伝達する役割がありますが、それはどうしても問題ありきでものごとをとらえがちになります。こういう問題が起きている、かかわっている人たちはこういう人たちです、言い分はこうです――。そう伝えて、問題をとらえようとする。
 でも、あの祝島の人たちを、いわゆる原発問題で括りたくないなと思ったのです。

 

 問題があって人がいるのではなく、人がいてそこに問題が起きている。運動があって人がいるのではなく、人がいるから運動が生まれている。その順番がとても大事ではないかと思ったのです。
 私が心から魅かれた島の人たちを、原発を入り口にするのではなく、ずっと続けてきた暮らしがあって、その中で起きてきた原発問題とはどういうものなのだろうかということが見えてこないかと。よし、それを映像に写し取ろうと考えました。

 

 島の人たちが大切にしたいもの。それはすなわち日々の暮らしだろう。ずっと続けてきた暮らしだろう。そこで育まれてきた共同体のあり方だろうと思いました。

 

――日々の暮らしを丹念に撮り、一つの作品にするというのは映像、とくにドキュメンタリーだからこそ可能かもしれません。
 テレビではなかなか難しいアプローチだと思います。特に報道は、時間も予算も制約があってスポンサーが付いていると、どうしても効率を優先せざるをえないのではないかとおもいます。
 だからこそテレビではなかなかできないような、ある意味では退屈でドラマティックでもない日常とか日々の暮らしを、時間をかけて撮っていくということを、こういう自主制作の映画が大いにやっていくべきだし、そういう役割があると思います。

 

 それと、原発とかデモ、あるいは推進派反対派の対立といえば、こういう絵だろうとイメージができてしまっているということがとても多いと思います。

 

――定式化されているわけですね。
 ええ、もともとものは決まっていて、現場ではその絵を探していくということがあるですね。イメージを変えていく、変わっていくことの恐れがあるのではないかと思います。
 実際は、そのイメージ通りではなかったり、分かりにくかったり、あるいは真逆だったりということもあります。ある意味での混乱です。

 

 誰でもある程度の予測を持って撮り始めるわけですが、想定していたことがどんどん変わっていく。すなわち出会いによってどれだけ撮り手が変わっていくかを、変わっていけるかを自分の中でチャレンジしていくことが大事だと思います。

 例えば、抗議行動にしても本当に激しかったり、理不尽なことを言ってきて憤ったりしている様子もある。でも一日、抗議行動している間、それがずっと続いているかというとそうではないこともたくさんあります。叫んでいる時間の10倍ぐらいの時間、ずっと座り続けていたり、寝転んでいたり、話しの分かる警備員と和やかに談笑している姿もある。そのなかでどの部分を切り取るかで、全く変わってきます。何を伝えたいかで、抗議行動の描き方も変わってくる。

 

 どうしたら島の人たちの一部ではなく全体をつかむことができるか、一人ひとりが先祖から受け継いだものを背負いながら今島で生きている、その背景を含んだものをどう描けるかで終始格闘していました。

 

――島の人たちをインタビューするつもりもなかったとか。
 伝えるということは、どうしても分かりやすくしたいし、自分も分かりたい。でも、その島の人たちがずっと闘ってきた中で「一番言いたいことは、言葉にはできない」という思いがどこかにあるのでは、と思っていました。

 そんな30年近くの闘いの思いは、絶対に私に分かるわけはない。安易にまとめたり、言葉で表現したりしてはいけない。そう考えていました。

それと映像で表現するということはどういうことか。文字でもなく音でもなく、映像だからこそできることは何かということにすごくこだわっていました。

 今のテレビは何でも分かりやすい。言葉は聞き取りやすくテロップもつけ、ナレーションや結論も明確。観る側に委ねるというよりも、制作者側に答えがあってそれをいかに受け取ってもらうかという世界だなと思います。

 

 でも映画は、その映像から感じ取ったり、発見したり、考えたりするのはあくまでも見る側の作業であって、それをどれだけ喚起させる映像を撮れるかの勝負だなと。構成、編集もそのことを大切にしたい。ナレーションなしでも成立する映像であること。ガイドのようなインタビューはしたくないと最初から考えていました。

 

 それは本橋さんの影響があったと思います。本橋さんも「映像とは、いかに想像してもらえるものであるか」と常に言っていたんですね。答えはみんなそれぞれで違う。答えがあって映像表現、作品作りをするとは思っていない。私なりの答えがあったとしてもみんなの答えとは思っていない。答えはそれぞれで探して下さいっていうところはあります。


 

――「祝の島」のパンフレットには、「いただきもの日記」というコーナーがあります。それを見ると纐纈さんたち撮影スタッフは、毎日のように島の人たちから刺身や野菜など様々な食べものを頂き、島の方たちの暮らしと人間関係に溶け込んでいる感じが伝わりました。
 本当に、毎日でした! 「いただきもの」がない日はなかったですね。
島に入った時に、私自身は島の人間にはなれないのですが、島の人たちの生活みたいなものを感じ取りたいと思っていました。

 「お客様のように宿を借りて、撮りたいものを撮って帰るということでは、日常というか島の暮らしは撮れないだろうな」ということは頭の中にあって、それでまずカメラを島の人たちに向ける前、半年間は自分一人で島に通っいました。

 島の映画を撮りたい、島の日常を撮りたいんだと話して回ったんですね。それで島の人たちが全面的に協力しよう、後援会を立ち上げようとなったのです。今はIターンで島に移住している人たちが増えているのですが、私が島に通い始めたころは、島外の人間に家を貸すということは滅多にありませんでした。

 

 島外の人間対してある意味、閉鎖的なところもあるし、今は空き家になっているが4年に一回の神舞の時には戻ってきたいということで、使える家がない。その中で一つおうちをかして頂くことになり、私、撮影、制作デスクの女性3人で自炊生活をしながら撮影をしていきました。

 

 島の暮らしに入っていくと、毎日のように「いただきもの」をし、すごく色んなことが見えてきました。

 ひとつは島の経済は貨幣中心の経済ではないということ。
 ものとものとの価値で交換しあう。労働力についてもおカネではなくて、人手が足りない時に手伝ってもらって、そうじゃないときには人を手伝う。漁でも農業でも多くとれるときもあればそうでないときもある。そんな時は多くとった人から少ない人がもらい、自分が多く手に入ったら人に分けるという、そういうことでモノと人の力が流れているんですね。
もちろん買わなければいけないものもあるけど、それは都会生活から比べたらごくわずか。だから島で使うおカネは本当に少なくて済む。私たち撮影スタッフもその経済の中に入れさせてもらった。

 

 だから毎日毎日「いただきもの」をするのですが、それに対して、自分たちが何を返せるのか。島でなかなか手に入らないものをお土産に携えて行ったり、それじゃとても追いつかないので、労働力として、撮影以外の時は仕事を手伝ったりしました。そういう関係性の中に私たちも入れてもらった。

 

――島の人たちの結びつき、絆があるから、そうしたことが可能なのでしょうね。
 島にいると良くわかるのですが、絶対に一人では生きていけないんです。それは共同体として協力しあっていかないとあの島の暮らしでは成り立たないし、人間自身が生きていけない。それだけ厳しい自然環境の中で暮らしが継続されてきたのです。そのことはみんな嫌というほど体にしみ込んでいる。人間がつくりだした世界ではなくて、あの自然の中で暮らすことが基本だからです。

 

―そういう結びつきが強いところだからこそ、原発建設をめぐり賛成と反対に島の人たちがわかれたのは辛かったでしょうね。
 そうですね。電力会社はいかに共同体を分裂させるかで動く。だから不信感を募らせるようなことをどんどん積み重ねていく。島の人たちは推進派の方も反対派の方もみなさん心に傷をもっていらっしゃいます。

 

 ある方に「あやちゃん、人にとって一番辛いことって何かわかるか。信頼を奪われることだよ」と言われました。その言葉に込められた無念さがずっと私の心の中にも残っています。


――撮影に入ってからの1年10カ月で最も苦労したのは何でしょう?
 日常を撮るということはどうしたらできるだろうとずっと葛藤していました。
 撮る題材は「日常」なのでありとあらゆるものがあるわけです。山に、海に、家の暮らしに、家族関係に。映画に登場するのは、一人を除いては撮影をしながら出会った人たちでした。

 

 最初は「見たい、聞きたい、知りたい」が私の中に全面的にあるので、撮影しても待てないし、「何をしているのですか」とすぐに聞きたくなってしまう。前のめりになり、(撮影対象に)近く近く、カメラも前に出ていく。それがずっと続きました。

 

 10カ月ぐらいたった時に、自分たちが島にいるのが特別なことではない、という感じになってきたんですね。島の人たちも私たちがいるのが特別なことではなくなってきて、「大体、今この時間だったら、誰々さんはあそこで何をしていて、今日はここで何が起きて、さっきここを通りすぎた人はあそこらあたりにいるだろう」と、島で起きている全体のことが何となく把握できるようになった。自分たちが島にいることが非日常ではなくなってきた。そこから撮り方が全く変わりました。

 

 一歩距離をもって広めの絵で撮ることができるようになったのです。何かが起きるまえに焦ってカメラを向けるということがよくありますが、それをせずに待てるようになりました。そこから、カメラを回し始めると面白いように次から次に引き寄せられるように物語が起きるという感覚になりました。その瞬間を、撮影の大久保千津奈さんと同時に、「これだね」と思いました。

 

 島にいるのが日常的になった頃のことです。カメラを向ける時、よく気にするのは相手が拒否しないだろうかということですが、そうじゃないということに気がつきました。相手がカメラを受け入れているかが問題ではなく、自分が相手を受け入れているかどうかだということに気がついたのです。

 

 すごく不思議な話ですよね。自分は祝島の人を撮るという目的があってここにいるはずだから、当然自分は目の前の人を受け入れているつもりなのですが、それは表面的なことで、本当に目の前の人を受け入れよう、受け止めよう、発せられた言葉を全身で聞こうという覚悟ができているかどうかは別の話なのです。
 それができると思った瞬間から、カメラを向けることが怖くなくなったし、相手がそれにどう反応するかは自分の中では大した問題ではなくなっていったんです。

 

 相手と言うのは自分の鏡のような存在なんだなとすごく思うようになりました。
と ても不思議な発見でした。色んなことを見ているつもりだし、受け入れているつもりと思っているが、本当にそれ見ているのか、受け入れているのかをもう一度自分に問い直す。そういうことだと思いました。

 

 

(続く)

 

纐纈(はなぶさ)あやさんのプロフィール◇
*1974年12月生まれ
*杉並区で生まれ、4歳の時に小金井市へ。東町に在住。
*経歴:自由学園を卒業。2001年ポレポレタイムス社に入社。映画「アレクセイと泉」(2002年)の制作、配給、宣伝を担当。映画「ナミイと唄えば」(2006年)ではプロデューサー。
*仕事:フリーの映画監督。

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
PDFファイル 5.3 MB

こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

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*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

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イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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