変える 試みる 小金井の人たち  file25-2

file25-2  「NPO現代座」代表/脚本家・演出家 木村快さん(その2)

 

「3年は成り行きだからやるけど、俺はずっとはやらないよ」
 そう言って新しく生まれた劇団を率いてきて、はや50年になろうとしている。
 彼はなぜ演劇の世界にとどまり、人間の存在の原点を探る作品を生み続けてきたのか。


 過去を振り返りながら、気負いのない声でこう語る。
 「世間一般の人が考える演劇と、僕らがやらなくてはならないと考えてきた演劇とは、はっきり違うのです」

 

 

――劇団員の大量解雇をめぐって起きた新制作座との争議はどうなったのですか?

 

5年間継続したけれど、向こうはまったく僕たちの要求を受け付けないからね、争議団は解散しました。多少得たものがあったかもしれませんが、勝てなかったということですね。

 

――その当時、(木村が)演劇界から離れようと思ったのはなぜですか?

 

僕個人は小説を書きたいと思っていたからです。演劇はどうも自分の性(しょう)に合わない・・・。今でもそう思うけどね。

 

争議団から始まった集団だから、いろんな考え方の人が集まっています。これを一つの芸術集団にまとめることはむつかしいと思った。だから考えが違う人たちはどんどん自由に独立すれば良いと思っていました。

 

構成員の独立を認めるリーダーは「分裂主義者だ」と批判する人たちがいますが、それはものの見方が見当違いなんです。劇団は芸術集団ですから、それぞれの芸術志向を強制することは出来ません。政党や企業の様な論理で組織統一することは無理なのです。

 

僕は「この劇団は『来るものは拒まず、去るものは追わず』だから、出ていきたければ出ていけばいいし、独立したいという意思があって、ちゃんと言ってくれれば援助する」ということで、ずっと通してました。だから、芸術的リーダーとしての信望はないんです。利用価値があるときには「快くん、頼むよ」となるけれど(笑い)。

 

――「3年は成り行きだからやるけれど、俺はずっとはやらないよ」と言っておきながら、1965年の統一劇場の創設から来年で50年です。木村さんに演劇を続けさせてきたものは何でしょう?

 

「演劇界で生きる」ということを考えてはいなかったから、新劇の仲間に入れてもらおうとしたことは一度もありません。「わが道を行く」ですね。

 

では「わが道」というのはどういうことなのか。僕は正統派ではないかもしれないが、劇団の全国巡演の活動で旅をし、各地を歩いてきました。

 

統一劇場になってからは、演劇鑑賞組織に頼れないから自分たちで地域に出掛けて行って(上演のための)実行委員会をつくってもらう方式をとってきました。(演劇界では)「バカが」と言って笑われていましたが、僕はその「バカな道」を歩いてきた。

 

実行委員会をつくると、その中で知り合って結婚したというカップルがいっぱいいます。そういう人たちが今、(現代座を)会費などで支えてくれているのです。

 

各地の青年団の実情を良く知っていることから、僕は青年団の全国組織である「日本青年団協議会」の審議委員をやっていたこともあります。ただ、そのころから出稼ぎなどで、いわゆるコミュニティの崩壊が始まっていました。高度経済成長期、1970年代のころですね。

 

僕は(劇団の公演では)労働組合や政治組織には一切お世話になっていないけれども、地域のそういう組織には大変お世話になり、育てられてきました。そうすると、地域の問題を他の人たちよりは多少考えるよね。その中にいる人は利害で考えるけど、傍目で見ているから地域を支えるのは大変だなと思うんですね。

 

演劇はコミュニティの原点であるお祭りから生まれまれた芸能です。早く言えば、劇場の仕事というのは、太古の昔からコミュニティの原点を支えてきたのではないか。

 

そうすると我々がやらなくてはならない仕事というのは、自分が有名になるというのもいいけど、これだけ全国すみずみ歩いているのだから、地域の人たちを助けていくことではないかと考えたんですね。実行委員会を組織して、青年たちがその中軸をになって、普段は顔を合わせることのない人たちも交じり合って、心を共鳴させていく――。これは実は大事なことじゃないか・・・。

 

――その思いが50年に及ぶ活動を支えてきた。演劇のパフォーマンスを提供するだけではなく、その場をつくる過程自体がとても大事なことなのですね。

 

そうです。上演への準備をすること自体が、地域コミュニティを活性化させていく重要な役割を果しているのです。幕が上がったら、もうそれ以上のことはできません。だから世間一般の人が考える演劇と、僕らがやらなくてはならないと考えてきた演劇とは、はっきり違うのです。

 

――山田洋次さんが監督された映画『同胞(はらから)』では、まさに上演までの過程がドラマとなっています。

 

山田さんという人はふしぎな人ですね。感性の人、感覚の人。(同じ松竹にいた)大島渚さんや篠田正浩さんとはまるっきり違いますよね。松竹では最初は全然地味だったし、僕が知り合ったころは「映画、やめようと思った時期もあった」と話されていましたね。それであのあの寅さんシリーズが生まれたのは、最初テレビのために書き始めたからだそうです。


 

 

――どういうきっかけで知り合いに?

 

たまたま彼が芝居を見に来たんだ。それで(芝居を見て)びっくりして、何度もここへ通ってくるようになったんだよね。

 

――そこから「映画にしたい」という話をされたのですか?

 

うーん、それはだいぶ後だったね。あの人は(統一劇場に)関わること自体が楽しかったんじゃないかな。あの人は酒もあんまり飲めない人で、映画界の中での付き合いをあんまりしない人なんだね。

 

ある時、「こういう映画をつくりたいんだけど」と言うんだよね。「朝日座」という若者の劇団が登場するストーリーです。そのシナリオづくりを一緒に相談しながらやっていくうちに、山田さんが「こりゃやっぱり『統一劇場』でなきゃねえ・・・、実名にしましょう」という。

 

「いや、実名にしてもらうのはそりゃすごくいいんですけど、本当にいいですか」と聞くと、「いや、良いんです」と。決定稿が完成する直前でしたね。うちの公演そのものが、映画の素材に使われました。

 

――「統一劇場」から1990年に名前を「現代座」に変えます。これは?

 

さっきお話ししたように、劇団員たちが独立していくわけですが、「うちが本家」というのは避けたかったんです。互いに対等でいたかった。たまたま僕はリーダーだったけど、みんなでつくってきたわけですから。

 

「ふるさときゃらばん」と「希望舞台」が実際に独立するのは1985年です。そこに至るまでに3年間、独立していく人たちをどうサポートしていくかという会議をずっと続けてきました。3年目の結論なんですね。

 

周りからは「分裂だ」とかと言われるからここは慎重にやろうと話していました。十分なことはできないが、「別れたら、あとはそれぞれが自由にやろう」、「どのグループへ入るかは、それぞれが自由に選択すればよい」、「残りたい人は残れば良い」。そう話し合いました。

 

外部からはいろいろと批判されたけど、僕は最良の結論だったと思っています。

 

――さて、今年は2月から『約束の水』という作品を上演されています。この時期に、この作品を選ばれたのは?

 

2004年に作った作品です。僕には「徹底的に少数派でありたい」という思いが強くあります。僕の書く本(脚本)は、少数派からの視点による作品です。だから、立派な人を描くことはほとんどありません。

 

今回の『約束の水』は、高齢者を(テーマの一つとして)扱っています。自分も高齢者に近い・・・じゃなかった、とっくに高齢者を過ぎているのですが、「高齢者は庇護されるべきだというのはあなたたちの論理であって、高齢者は高齢者としてちゃんと生きていく権利があるんだ」というのが、僕の主張としてあるんですね。

 

(社会から隔離させられた)ハンセン病患者・元患者への扱いを考えると、憲法は第9条だけじゃなくて、権力任せじゃなく、もっと自分たちのものにしなければと思います。憲法があっても、主権者である私たちはハンセン病患者・元患者の人権を無視して、憲法の適用から除外してしまったわけですから。

 

国家主義者が考える憲法から、(憲法は)「民(たみ)のもの」にしなければなりません。大事なことは民自身がコミュニティを形成し、そのなかで原点に回帰して生きること。それが僕の願いです。

 

だから捨てられた自然の中で、捨てられた高齢者がいかに生きていくか。これは僕がずっと(ブラジル)移民の問題をやっていて思うのですが、異文化圏に入って行った移民たちはコミュニティを形成していくしか生きる道がなかった。

 

そういうものを見てきて、やはり日本の中でも実は同じことが起きているんじゃないかと考えます。日本人は今、都会の中で孤立して生きている。そうした時に無駄かもしれないが、村を築いた老人が自分のアイデンティティを取り戻すために闘う。理解されなくても、村に戻り、人生を全うしたい。それは大事なことです。

 

(作品の)シチュエーションとしては、捨てられた村、だれもいなくなった村。そこへ周りから理解されない老人が一生けん命生きていこうとする。それを現役の人たちが現在の水の問題などから、「じいさんたちが考えているのは、原点ではないか」と初めて見直すようになる。そしてこういう仲立ちをしたのが日系ブラジル人の女の子だった・・・という。まあ、ちょっと出来すぎた話しなんだけど(笑い)。

 

僕が今話したような理屈として受け止めてくれなくてもいいから、「良い話だね」と言ってもらえるようなものを作りたいと思っています。

 

――今回の再演にあたって「3・11」の影響はありますか。

 

僕自身が強く受けていますね。「民の自立」というのは、権力に依存しているうちは不可能なわけです。自分が原点に回帰できる条件とは、どんな時だろう。それは案外追い詰められたときですよね。依存する庇護者を失い、どうであれ自ら存在しなければならない。その時には覚悟もある。そうした「自立への選択」というのがひそかなテーマですね。

(続く)
*次回が最終回です。

木村快(きむら・かい)さんのプロフィール

1936年2月、日本が植民地支配をしていた朝鮮半島の大邱で生まれ、敗戦までそこで育つ。広島で中学卒業後、建設業や印刷業の仕事に。1958年にNHKの「青年の主張全国コンクール」で第1位となる。周囲の期待と自分の実像との調和に苦しみ、定時制高校を中退し、東京へ。友人に誘われ、新制作座の舞台を見たことがきっかけとなり、演劇の世界に入る。1964年秋に新制作座を解雇される。翌年3月、新制作座を解雇された仲間たちとともに「統一劇場」を創設し、小金井市を拠点とする。

1975年、山田洋次監督が、岩手県の過疎の村で若者たちが劇団公演を計画し成功させるまでを描く映画「同胞」(はらから)を制作し、公開。「統一劇場」がモデルとなり、公演シーンも演じた。1990年、 創立25周年を契機に「人間が直接人間に働きかけ、同時代に生きる者同士のきずなを共鳴させる劇場の創造」をめざして、劇団名を「現代座」に。

『約束の水』へのメッセージ
『約束の水』へのメッセージ

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
PDFファイル 5.3 MB

こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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