変える 試みる 小金井の人たち file24-1

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ドキュメンタリー映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』を製作した環境活動家・ジャーナリストの矢間(やざま)秀次郎さん(前編)


長編ドキュメンタリー映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』が公開されている。小金井市内では来年1月18日に上映予定だ。

 

映画の製作と脚本を担当したのが環境活動家・ジャーナリストとして知られる矢間(やざま)秀次郎さん。40年ほど前、仲間たちとともに「水辺の空間を市民の手に」という言葉を掲げ、悪臭を放っていた野川の再生に取り組み始めた。

 

この人の存在がなければ、子どもたちが野川で水遊びをしたり、水面を見ながらゆったりと川べりを散策したりという「水辺の空間」は実現しなかったかもしれない。

 原発をテーマにしたドキュメンタリー映画について聞く前に、まずは野川の再生について――。


――野川との出会いはいつ、どのように?

 

私が杉並区から小金井に引っ越してきたのが1967年です。東京都庁に入庁して3年目。美濃部都政が始まった年でした。

 

まだ、ハケの下の野川沿いには水田がいっぱいありました。犬の散歩で田んぼのあぜ道を歩いていたときに、顔見知りになったお百姓さんと話をしていたら、「この田んぼのお米は出荷しても、自分は食べていないんだ」と言うのです。驚いて「えっ、なぜ?」と聞くと、「ちょっときなよ」と野川に連れて行くのです。(田んぼへ水を送っていた)野川は、川底が見えないほど洗剤の泡が浮かび、悪臭を放っていました。ドブ川だったんです。

――小金井市に来られた後、1970年に法曹を志す若者たちが司法試験の勉強をする「小金井司法研究会」という勉強会を立ち上げられます。この小金井司法研究会が主催したイベントをきっかけに、野川問題に取り組む団体が生まれたそうですね。

 

そうです。小金井司法研究会は「市民としての責務を自覚して、地域民主主義の確立に寄与する」ことを目的としていました。市民派の弁護士を世に送り出すための活動です。97人が司法試験に合格しています。社民党党首だった福島瑞穂さんもその一人です。

 

1972年6月に「住みよい地域社会をめざして」という映画上映会・討論会を開催しました。「市民の知る権利と地域情報」をテーマにしたものです。この後、野川問題に取り組む「三多摩問題調査研究会」が発足しました。

 

1960年代の野川は台風豪雨のたびに氾濫を繰り返してきました。1965年5月の台風6号、1966年6月の台風4号・・・。このため東京都は防災対策として野川の川幅を広げ、川床や両岸をコンクリートにするという改修を計画していました。

 

一方、川幅の拡幅によって立ち退きを迫られる前原町などの住民は小金井市議会に「野川改修事業変更に関する陳情書」を提出しました。前原町2丁目から西3キロにわたって野川を深く掘り下げ、ふたをする。つまり暗渠(あんきょ)にするという内容です。

 

私たちが三多摩問題調査研究会を立ち上げた背景には、こうした野川の改修工事計画や住民による暗渠(あんきょ)案があったのです。

 

私たちは小金井市民が野川をどのように思っているかを探る意識調査をしました。1972年9月のことです。メンバーが手分けをして、野川流域の家だけでなく、小金井市内150世帯を対象に調べたのです。

 

「今の野川はどの程度よごれていると思いますか」という問いに対して、もっとも多かったのが「死んだ川(ドブ川)」という回答でした。60.7%の人がそう感じていたのです。

 

同時に、小金井市民が野川に何を求めているかを探るために、整備の方向性についても聞きました。「こんなドブ川はふたをして、上にできたオープンスペースを公園とか緑化に使うべきだ」と「子どもや孫たちのためにもドブ川をきれいにして魚がすみ、木の葉がかげをおとすような川を中心とした地域開発をする」という二つの選択肢で聞いたのです。

 

結果は、「ドブ川にふたを」が24.1%、「きれいにして魚がすみ・・・」が75.9%でした。市民の意識がはっきりと把握できたのです。


そうした活動をしていたころ、たまたま日本地域開発センターが月刊『地域開発』の100号を記念し、懸賞論文を募集していたことを知りました。意識調査などをもとに、6人のメンバーで「野川と社会開発 水辺の空間を市民の手に」というタイトルで共同執筆したのです。私はその時、32歳でした。残りの5人は司法修習生や大学院生らみな20代の若者たちです。

 

論文を締切直前に中央郵便局に持ち込み、郵送しました。論文の審査委員は、高山英華・東京大名誉教授らそうそうたるメンバーです。それに入選したんです。つまり客観的な評価を受けたんです。

 

その論文の良いところは、将来の「環境の時代」をすでに予見し、かつ市民の意識を徹底的に調査をしたところです。調査対象も、河川の「流域」の住民というのではなく、「水系」という発想から考えました。川沿いではなく、川全体、つまり三多摩全体に影響するという視野をふまえたのです。

 

私は「暗渠化をやってはいけない」と主張しました。野川は、1964年に東京オリンピックが開催される数年前まではウナギやアユまでいたのです。僕の近所に住んでいる人が「矢間さん。ウナギがいっぱい捕れてな。料亭にもっていくと、小遣いに不自由しなかった」と言っていました。

 

 

入選した論文を収録し、自費出版した「市民によるてづくりの本」
入選した論文を収録し、自費出版した「市民によるてづくりの本」

《入選した論文では最後の部分で、「”暗渠の思想”から”水系の思想”へ」との見出しをつけ、「自然環境の中の川、環境を形成する生きとし生けるものが、水と深くかかわっている。現行の行政区域や制度、地域エゴイズムにとらわれない、いわば”水系の思想”といもいうべき発想を基底にもたなければなるまい」と指摘している。》

 

「水系の思想」というのは流域で見てはいけないのです。たくさんの支流があつまって多摩川水系と呼ばれているのですから、野川にメスを入れる場合には「多摩川水系の野川」という位置づけをしなければならないのです。そのような発想は当時、ありませんでした。

 

野川は多摩川を汚し、汚れた多摩川は東京湾を汚染するのです。あらゆる水系の源流まで視野に入れなければ東京湾は甦らないのです。医学も福祉も環境も同じです。「系」でものごとをとらえるという思想が日本にはなさすぎますね。

 

《 論文は野川のあり方としてこう述べている。
「まず、水辺の空間――市民のための安全といこいの場を確保しなければならない。野川が清流によみがえることを前提として、都立武蔵野公園付近に遊水地がつくられてよい。ここには旧水田用地の6万5000平方㍍のオープンスペースがある。これは、かつて水田が洪水の規模をゆるめる機能をもったように、大雨への安全弁である。と同時に、市民にやすらぎを与える水の空間となろう。川の生態をそこなうことなく、改修が行われることを前提として、ホタルや魚の生息する場をも確保できるだろう」。

論文発表から40年後の現在の姿をみると、その先見性の確かさに驚くばかりだ。 》

――「水辺の空間を市民の手に」と訴えた論文は当時の社会にどのような影響をもたらしたのでしょう?

 

「水系の思想」を一人でも多くの方にわかってもらおうではないか。そういう声が会員の中から高まったので、論文を自費出版しました。それが『水辺の空間を市民の手に 水系の思想と人間環境』です。

 

東京経済大学教授の色川大吉さん、理想選挙推進市民の会代表幹事の市川房枝さん、東京大学助手の宇井純さんら多くの著名な専門家、学者が寄稿してくださいました。それが反響を呼び、野川をめぐってテレビ、新聞が注目し始め、どんどん記事が載るようになりました。私たちが水質調査をやるというと、記者が3社ぐらい来るとか。

 

《自費出版された『水辺の空間を市民の手に』へ、宇井純さんは「技術主義の破綻」というタイトルの原稿を寄せ、こう結んでいる。

「この野川の市民運動が乾ききった草原にともされた一つの火の如く、社会の行きづまりをつきぬける運動にならないとは誰にも言いきれないのである。もし病める都市の未来に希望があるとすれば、その基盤は住民の運動をおいて他にあり得ない」

 

野川を清流に戻すためには、社会のありようを変えないといけないと考えていました。工場の排水規制だけではなく、社会のあり方を変えていく。水という地球物理学的な要素に着目するのは間違いではないのですが、その背景にメスを入れないと清流には戻りません。

 

矢間さんたち三多摩問題調査研究会が野川流域の自然データを足で集めた貴重な資料集。ワープロがない時代、すべて手書き。
矢間さんたち三多摩問題調査研究会が野川流域の自然データを足で集めた貴重な資料集。ワープロがない時代、すべて手書き。

――何によって清流に戻ったのですか?

 

4つあると思います。水質汚濁防止法によって工場からの排水垂れ流しができなくなったこと。野川の源流は日立製作所の中央研究所の森にある「大池」ですが、その周辺には工場がありましたから、源流付近からすでに汚れていたのです。

 

2番目は、下水道が普及し、生活排水が野川に流れ込まなくなったたことです。この地域は日本でももっとも下水道が整備されたところです。ただ、整備された下水道は雨水が合流する方式ですから、雨量が多い時には野川に放水されます。下水処理能力に制約があるからです。したがって野川は完全な清流には戻りません。

 

3番目は美濃部都政で「東京に青空と清流を」という掛け声の下、東京都公害防止条例をつくったんです。日本一、規制が厳しいんです。マスコミが美濃部都政の取り組みを積極的に報じることによって、反公害の思想が次第に当たり前になっていったことです。

 

4つめは、そうした世論が形成されたことです。メディアの役割は非常に大きかったですね。私がメディア戦略で半歩ぐらい先に行っていたのは、東京都広報室に勤めていたことが大きいと思います。私は美濃部都政がスタートした1967年に広報室に異動しました。美濃部さんはマスコミをうまく使った、イメージ戦略にたけた人だったですね。

 

「野川を清流に」という世論が形成されると、(清流にするための)国家予算がつくんですよ。役人はやっぱり、世間の目を気にしているんだね。

 

――1993年に三多摩問題調査研究会がATT流域研究所に移行しました。これはどのような経緯から?

 

ATTとはA(荒川)、T(多摩川)、T(利根川)の頭文字です。これをつくったのは、現代科学がたこつぼに入っているという問題意識からです。分野ごとに細分化されている。公害を無くすのは総合科学です。物理学、生物学、社会学がばらばらにやっていても問題は解決しません。

荒川水系も多摩川水系も利根川水系も、関東圏を支えている生命線。この3つの分水嶺を越えない限り、関東平野の明日を描くことができないというのが私の発想です。言葉を変えれば「分水嶺を越えよう」です。

 

――具体的にはどんな活動を?

 

例えば、柏崎刈羽原発から高圧電線によって電気が首都圏に送られてきています。この電線は分水嶺を越えています。権力や企業ははるか前から分水嶺を越えて社会の仕組みをつくっているのに、住民、市民は分水嶺を越えられていない。尾根の向こう側に関心がないのです。これでは対抗軸をつくれるはずはない。それが私の考え方でした。

 

分水嶺を越えて提携しなければなりません。今回の私の映画では、分水嶺を越えた連携を描いています。原発立地計画を断念させるために、徳島県阿南市椿町と和歌山県日高町の住民が、紀伊水道をはさんで手を結び、情報を交換しあう。そういう連携ができたところは、原発立地を断念させることができたのです。四国電力と関西電力に打ち勝ったわけです。

 

だから「分水嶺を越えて、総合的に考える」という思想を、ATTに象徴させたのです。

『水辺の空間を市民の手に』の巻頭言。「野川の濁りは、多摩川を汚し、東京湾を死の海にする」と、「水系の思想」から清流の復活を訴えた。それは人間性回復への試みでもあった。
『水辺の空間を市民の手に』の巻頭言。「野川の濁りは、多摩川を汚し、東京湾を死の海にする」と、「水系の思想」から清流の復活を訴えた。それは人間性回復への試みでもあった。

(続く)
 後編は2014年1月4日発刊の「こがねいコンパス第43号」に掲載します。

矢間秀次郎(やざま・ひでじろう)さんのプロフィール

1940年6月、大阪府生まれ。大阪空襲を受けて、5歳から16歳まで疎開先の徳島県小松島市で育つ。12歳の時、透きとおった海の底を見ていると、大きなカニがタコにあっという間に食べられる場面を目撃。「生きるというのは一期一会だ。絶対はなく、常に相対的に生きるか死ぬかだ」と痛感する。
1964年、東京都庁に入庁。渋谷区教育委員会、広報室、公害研究所、生活文化局、主税局等。在職中から野川の再生・保全運動に取り組み、1972年に「三多摩問題調査研究会」を組織。市民の手による科学的調査・研究の積み重ねから水環境を守る活動を展開し、「市民環境科学」を実践。現在は、「千曲川・信濃川復権の会」共同代表。『奔流』編集長。中町2丁目に在住。

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

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*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

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イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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