変える 試みる 小金井の人たち  file22-1

file22-1 「狭山事件」から50年  ドキュメンタリー映画「SAYAMA  みえない手錠をはずすまで」を制作したプロデューサー・陣内直行さん

 

 事件発生から50年。「殺人犯」という汚名を背負ったまま、無実を訴え続ける石川一雄さん(74)とその妻を、寄り添うように見つめたドキュメンタリー映画が10月31日から全国で上映される。

 

 作品を誕生させたプロデューサー・陣内直行(じんのうち・なおゆき)さんは、40年以上も多くのドキュメンタリーやテレビ番組を制作してきた。だが、この作品では初めて経験した《大きな問題》にぶつかる。それは――。

同映画のHPから
同映画のHPから

――狭山事件の発生からちょうど50年という節目の時期に、このドキュメンタリー映画が完成したわけですが、そもそもプロデューサーとして映画づくりに関わったきっかけは?

 

4、5年前、「人権」をテーマにしたビデオシリーズをつくっていました。神奈川人権センターが企画し、僕がプロデューサーとしてずっと制作を担当したものです。その中で、冤罪被害者である石川一雄さんをインタビューをしました。

 

シリーズはそれで終わって完成させたのですが、その出会いがきっかけとなって、取材した監督の金聖雄(キム・ソンウン)さんと僕とで「石川さんを撮ろうか?」という気持ちになったのです。最初にインタビューしたのが2010年の夏、、映画のお願いをしたのが2010年の冬でした。

 

――映画のプレスリリースでは「50年 殺人犯というレッテルを背負いながら、泣き、笑い、怒り、日々を凛と生き抜く夫婦の物語!」とあります。映画製作の承諾を求めた時は、石川一雄さんだけでなく、お連れ合いの早智子さんもご一緒だったのですか?

 

そうです。神奈川人権センターのビデオもご夫婦でインタビューをさせて頂きました。

 

石川さんは1994年に仮出獄し、翌年に早智子さんと結婚されました。そのあとは二人三脚で歩んでこられた。その夫婦の思いも含めて、石川さんの生の声を、そして石川さんの日々の暮らし、暮らしの底にある思いを撮りたいと考えていました。

 

だから取材対象としてはご夫婦と考えていたこともあって、映画化の件はお二人に伝えたわけです。

 

――そうした映画の基本的なコンセプトというのは、金監督とはどのようにすり合わせたのですか?

 

議論をするというよりも、「撮ろう」という思いの中に、ある方向性としては共通のものがあったと思います。

 

「やろうか」「やりましょう」という段階で、すでに僕と監督との意思疎通の基礎は形成されていたような気がします。

 

――「やろうか」と言ったのは陣内さん?

 

たぶんお酒を飲みながら話していた時だと思うんですが、それぞれが半分以上やる気持ちになりながら、「やりましょうか」と。それぞれが心のうちでもう決めていたという感じはありますね。

 

別に(事件発生から)50年だからという記念日的な思いはありませんでした。ただ、再審に向けての動きが少し出てきたという情報はありました。再審(の決定)への良い時もあれば悪い時もあるし、心が動揺したり、乱れたりするときもあるだろうから、それも含めて、ここ数年は色んな問題が出てくる可能性がある、という判断も正直あったことは間違いないですね。

 

金聖雄監督(右)との打ち合わせ
金聖雄監督(右)との打ち合わせ

――狭山に行って石川さんに「映画を撮りたい」と伝えた時に、石川さんの反応は?

 

人権ビデオで石川さんにインタビューをしたことを話しましたが、僕たちがドキュメンタリーで撮るインタビューというのはその場に行って、ぱっと撮るというのではありません。その前に何度か会って、話をして、人間関係をつくる必要があります。

 

石川さんの場合も、インタビューまでに(金監督との)最低限の信頼関係はできていたと思います。「映画を撮らせてください」と突然行くと、やはり先方も警戒されるのではないでしょうかね(笑い)。

 

石川さんも早智子さんも「いいですよ」というご返事でした。交渉をしたりとか、何かの条件をつけられるということは特段ありませんでした。

 

恐らく、それは(再審に向けての)運動なり、再審決定のためにプラスになるだろうというご判断もあったでしょう。同時に、僕たちへの信頼のようなものも、最低限あったと思います。

 

――そこから取材が始まるわけですね。制作が決まり、映画プロデューサーとしては何をするのですか?

 

僕は、今回だけでなく、映画そのものをつくる現場には基本的に出向かないプロデューサーです。

 

どうしても必要な時にはもちろん行きますが、基本的には監督やカメラマン、様々なスタッフが現場で動いてもらい――もちろん僕は彼らが動くための環境を整えるということですが――その現場に行くことはまずありません。

 

実は今回は、(制作のための)おカネをどうするかという問題が、とても大きかったのです。僕はこれまで何本もドキュメンタリーをつくってきましたが、それは僕が所属していた会社、つまり昔だと岩波映画、今だとアズマックスがおカネを出してきたわけです。その条件の下でしかやったことがありませんでした。

 

今回の石川さんの映画についていえば、よりどころとなる所属会社から離れようとしていた時でもあり、財政的な手立てをどうするかが、僕の役割としては一番大きかった。

 

そこで「じゃあこれは市民の人たち、狭山(事件)を思う人たちのカンパでつくれないか」と考えたのです。どこまでおカネを集めることができるかは分かりませんでした。

 

集めた金額に合わせて、という自転車操業的なところはありましたが、でも、ともかくカメラを回して行こう、と決めていました。

 

人件費については、カメラマンと録音たちスタッフにはボランティア価格ですが、少額の報酬をお支払しましたが、言いだしっぺの僕や監督へは、最近までほとんど出ていません。

 

――カンパの目標額は?

 

1000万円集まれば制作に支障をきたさないかなと思っていました。結果的には800万円を超えることができました。それでスタッフにボランティア価格レベルですが、(報酬の)支払いができたわけです。

 

「石川さんは特別な存在として、自分の中にありました」
「石川さんは特別な存在として、自分の中にありました」

――狭山事件についてはどのように捉えていたのですか?

 

「狭山闘争」というのは――僕は来年で65歳になり、ちょうど学生運動が一番盛り上がっていた時期に学生時代を過ごしたわけですが――当時の大きな社会テーマの一つでした。

 

就職した後は距離を置いていましたが、僕は学生時代には「現地調査」にも行きましたし、集会にも出ました。高裁判決の時には、日比谷公園に多くの人が集まりましたが、その一人でもあったわけです。

 

その時には石川さんは獄中にいたので、「闘う人」というか「獄中から常に人々にメッセージを発する人」「権力に真っ向から向き合う人」だったわけです。それなりに――偶像視ではありませんが――特別な存在として、無意識のうちに自分の中にあったと思います。

 

会社に就職した後は、運動的な場には自分としては行く機会がありませんでした。先ほど申し上げた人権ビデオの制作で、仮出獄したナマの石川さんを見るのは初めてでした。

 

――なぜ、学生時代に狭山事件に関心を?

 

なぜ、なんでしょうかね。何でも関心をもっていましたね、あの頃は(笑い)。

 

それこそ学内の問題から、社会的な問題まで。「世の中には、色んな人が、色んな思いで生きているんだな」ということで。例えば三里塚闘争であれば、そこで生きている農民の人たちに目が向くんです。だから、「石川さんが今、どんな思いで獄中にいるんだろうか」ということは考えていました。

 

ただ、それは・・・。集会に行くと彼のメッセージは読み上げられます。それは生身の彼と接しているというのとはまた少し違う、闘争の場で闘争のためのメッセージだったかもしれず、勝手に石川さんの像をつくっていたのではないかと思います。

 

だから、そのあたりを今回は映画で、実際に、冤罪で死刑判決、無期懲役判決を受け、再審を求めて生きざるを得ない、その中で生活をしなければならない、訴えていかなくてはならない、楽しいこともしたいだろうし、そういう一人の人間として、あるいは結婚されたご夫婦として、どんな思いでいるんだろうと考え、それを伝えたかったのです。

 

それは自分自身の発見が、(映画を見る)みなさんの発見につながっていけば、いいのかなと思います。

 

3回連載の(上)終わり

こがねいコンパス37号(2013年10月5日更新)

陣内直行さんのプロフィール
1949年生まれ。大学卒業後、岩波映画製作所へ。1989年、番組制作会社のアズマックスを設立。会社代表などを経て、現在は監査役。制作した主な映画作品に『ヒロシマナガサキ 核戦争のもたらすもの』『あぶあぶの奇跡』など。テレビ番組では『野生の王国』(TBS系列)、『週刊ブックレビュー』(NHK-BS)。

小金井市中町に在住。小金井市では「市民自治こがねい」を発足させ、運営委員などを務めた。

完成上映会は下記の日程で。このほか全国各地で自主上映会が開催されようとしている。詳しくは『SAYAMA 見えない手錠をはずすまで』のホームページをご覧ください。こちら から

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

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*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

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民主党小金井支部幹事長

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イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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