変える 試みる 小金井の人たち file18-1

file18-1 『手づくり文房具』『ちょいワザ文具術』などの著者・雑貨デザイナー

                                                                       宇田川一美さん(前編)


 キャラメルの空き箱でつくったトランクのようなギフトボックス。コーヒーの紙フィルターに取っ手をつけた小さなトートバッグ・・・。

 

 世界に一つしかない手づくりのものには、思いが込められた温もりがある。費やされた時間がもたらした優しい重みがある。

 

 平板で乾燥しがちな日常は、魔術師のような彼女のアイデアによって、雨上がりに陽を浴びる葉群のように、みずみずしく輝き始める。

 

 一体どこからその発想は湧き出るのだろう。

 

――まずは雑貨デザイナーになられたまでの歩みをうかがいたいと思います。大学は、武蔵野美術大学で視覚伝達デザイン学科を卒業されたそうですね。この「視角伝達デザイン」というのは、普通のデザインとどう違うのですか?

 
ちょっと変わった名前ですよね。「視角伝達」というだけあって、目に見えるもののデザインなんですが、パッケージとか、広告とか、映画とか、写真とか、そんな授業がありまして。他の学校でいうグラフィック・デザインなんですが、表現の分野は幅広かったなあという気がします。

 

他にも「空間演出デザイン学科」というのがあって、それば舞台美術とかやるのです。割と細分化されていた学校でした。

 

(*武蔵野美術大学のホームページをみると、「視角伝達デザイン学科」については「『人に想いを的確に伝えるにはどうすれば良いか』を考えて実現させることが、デザインの原点だと思うのです。視覚伝達デザイン学科では、鋭い感覚と多岐に渡る媒体を駆使する力を身につけ、意のままにメッセージを伝えることができるデザイナーを育てたいと考えています」などと書かれていました。)

 

――受験するにあたってこの学科を選んだのはどうしてですか?

 

もともと絵が大好き。モノをつくるのも小さいころから好きだったというのもあり、「こっちの道」という以外は考えられませんでした。
そして、絵画とか造形という芸術表現よりも、もっと身近なもの、生活にまつわるもののデザインの方に心が惹かれていたからかもしれません。

 

――デザインを勉強していた学生時代に、レコードガイドブック「サバービア・スイート」で、レコードの説明を書いていたそうですね。選曲家やDJとして知られる橋本徹さんが主宰し、1990年代に発行されていた「サバービア・スイート」は、音楽好きの若者にとってレコードを選ぶ際の、極めて信頼性の高い手引書的な役割を果たしたと言われています。

 
すごくマニアックな話題ですね(笑)。今もその資料が残っているんですが(と棚を探して)・・・・。これです=写真。このレコードガイドブックを書くお手伝いをしていたのです。


音楽を聴いて、それを文章にする。編曲者がだれで、この映画のサントラを作っている人は、こっちの映画音楽もやっているとか。(ジャケットの)デザイナーが誰とか。そういう資料をもらったり、お話を聞いたりして。私は男の人が書いた硬い文体を柔らかくするリライトの仕事が多かったですね。

 

その時期に音楽をいっぱい聴き、映画もたくさん観て、こういうレコードジャケットもいっぱい見たことが、デザインの勉強にもなりました。

 

――どんなきっかけから「サバービア・スイート」に関わるようになったのですか?

 

これはフリーペーパーなんですが、手に取った後、主宰している橋本徹さんに「私の大好きなことがいっぱい載っています!」と手紙を書いたのです。大学1年か2年の時ですね。


そうすると、「手弁当でつくっているので、手伝ってくれませんか」というご返信が届きました。それがきっかけです。会社員で、若くてセンスの良い人たちが仕事とは無関係に、好きなことやイベントをやっているという感じでした。

 

――レコードを紹介する活動をしているうちに、映画のタイトルバックで20世紀を代表するアメリカのグラフィック・デザイナー、ソール・バス(1920年~1996年)に惹かれ、大学の卒業制作では16ミリフィルムで映画のタイトルバックをつくったそうですね。

 

レコードの中でも特にサントラが好きだったこともあり、映画の短いタイトルみたいに音と映像が同時に、ぽんぽんと進行するみたいな、音を目で見るような作品をつくりました。


当時の16ミリフィルムで撮影するために、1秒間に24コマの絵を描く必要がありました。(コンピューターでデザインできる)マックとかがまだない時代でしたから、わずか1分45秒の作品ですが、すごく大変でした。

 

――1秒24コマだから、105秒×24コマ、つまり2520枚の絵を描かなくてはならなかったのですね。

 

そうです。それを一枚一枚、固定したカメラでかちり、かちりと撮影するんです。音楽も1秒ごとに解析して、それに絵を合わせていく。ずっと学校に泊まり込んでつくっていました。


――ソール・バスのどんなところが良かったのですか?

 

表現自体に無駄がなく、インパクトがあるんです。それでいて衝撃的というほどでもなく、すっと心の中に入っていく。例えば映画「シャレード」のタイトルバックでは、線のデザインがヘンリー・マンシーニの不安そうなメロディとともに、渦巻きとなったり様々に変化したりして、見る人の心をつかんでしまう。グラフィックの力強さを感じました。


――卒業制作で映画のタイトルバックをつくったわけですが、就職したのは雑貨メーカー。映画関係の仕事につこうとは考えなかったのですか?

 

雑貨はそれこそ幼稚園、小学生の時からずっと好きだったんです。就職活動の時にはまったく迷わずに雑貨メーカーばかりを回っていました。映画は学生の時でないとできないからと割り切っていました。担当してくれた教授には申し訳なかったですが。

 

――雑貨メーカーにはすんなりと?

 

はい。当時――1993年ですが――バブルがはじけた後も、その余韻がまだ残っている時代でした。

 

就職状況は厳しくなり始めていたのですが、私が入りたかったところは大手ではなかったので・・・。大手企業の名前よりも、とにかく雑貨が企画したかったんです。

 

最初の会社に入るきっかけは、美大予備校の時の先生の友だちが仕事をしている取引先が、その雑貨メーカーでした。「その会社の常務を知っているよ」と。その紹介で、私は、その常務さんにいきなり作品を見て頂く機会を得ることができました。

 

それまではいくつか大手企業の採用面接も受け、何次かまで進んでいたのですが、それをお断りをして、その小さい雑貨メーカーに入りました。


会社説明会で、大手の担当の方が説明されるには、仕事は例えば外国のキャラクターの輸入ライセンスをとって国内でデザインをして、チェックを本国の会社にしてもらう、という話だったのですね。

 

それを聞いて「あらかじめある有名なキャラクターを使うのでなく、一から雑貨を企画したい」と思うようになり、なるべく小さい会社でやってみたいと。

 

――「小さい会社」というのは、従業員が何人ぐらい?

 

私がいた東京支社は、商品企画が5人ぐらい、営業が10人ぐらいだったでしょうか。

 

(これが宇田川さんの文房具三部作。写真をクリックすると大きくなります)
(これが宇田川さんの文房具三部作。写真をクリックすると大きくなります)

――どんなお仕事を?

 
今も変わらずやっているのですが、まず、デザイン画を描いて、例えばポーチだったら、ここの素材が何でできているとか、ファスナーが何センチとか、縫い糸はこの色とかを決めて、それを業者さんにファックスで送り、製作費の見積もりをもらいます。

 

それを営業にデザイン画とともにコストを示し、いつごろいくらで売りたいとかを検討し、「ゴー」が出たら、生産に入り、校正とかチェックをし、納品へという流れの仕事でした。

 

――雑貨とは具体的には?

 

最初の会社でつくっていたのは、くつ下やお弁当箱から、ノート、シャープペン、レターセット、シールまで、ファンシーショップ向けのものをすべてつくっていた、という感じです。

 

――楽しかったですか?

 

楽しかったです。とっても忙しかったですけど。

 

――どれくらい忙しかったのでしょう?

 

朝は午前9時半から始業、夜は毎日終電で帰るという日々でした。会社に泊まり込むというのもしょっちゅう。

 

でも、デザイン業界というのはどこもそんなものなのですね。だから、それが当たり前だと思っていました。20代の時は、仕事ばっかりで、合宿をしているかのような時代でした。

 

――遊ぶ暇もなく?

 

はい。最初の会社だったので、「これが社会なんだ」と思っていました。すごくがんばって働いていたのです。その後で、これだけじゃないと気付くのですが。

 

――最初の会社はいつまで?

 

7年ぐらい勤めていました。30歳になる直前に辞めたのです。

 

――辞めるきっかけは?

 

少し休みたかったのと、自分の名前、「宇田川一美」という看板でいつか仕事ができればいいな、とずっと思っていたのです。

 

しかし、20代の時にはどうやれば良いのか、さっぱり分かりませんでしたし、コネもキャリアもありませんでしたし。ただ、仕事に打ち込むだけでした。

 

――会社員時代は、「宇田川一美」の看板で仕事を始めるまでの蓄積期間でもあったのかもしれませんね。

 

そうかもしれません。いろんな経験ができました。素材にさわったり、工場に行ったり。自分のお父さんよりも年上の、おじいちゃんがやっているようなシャーペンのクリップ工場に行ったりするわけです。そこで色々と教えてもらったりとか。

 

(インテリア・スタイリスト時代の仕事)
(インテリア・スタイリスト時代の仕事)

――会社を辞めてからはどんな生活を?


ちょっとのんびりしようと考えて、友だちのいるニューヨークに遊びに行ったりとかしていました。

 

その一方で、会社員時代に、その会社でバイトをしていた学生さんが女の子のファッション雑誌のレイアウトのデザイン会社に勤めはじめ――その人と仲が良かったのですが――会社を辞めたらすぐに「宇田川さん、会社辞めたの? 雑誌でスタイリストを探しているから、フリーになったんだったらやってくれない?」という電話がかかってきたのです。

 

『キューティ』という女の子向けのファッション雑誌で、当時、お部屋のインテリア改造がすごく流行っていたのですね。

 

そのインテリア・スタイリストの仕事を、会社を辞めた次の日からやることになり、結局忙しく仕事をすることになりました。

 

――お部屋の改造というのは? 

 

「自分の部屋を可愛くしたいと考えている中学生~高校生ぐらいの女の子に提案する」という企画でした。会社員時代に、雑貨ショップの立ち上げやディスプレイをしていた経験が生きた仕事でした。

 

まったく何にもない部屋を「アジア風気分の部屋にしたい」という時には、布やテーブルを雑貨屋さんから借りて飾るという仕事です。何軒もの女の子の部屋に行ったり、スタジオに行ったりとか、企画して、モノを集めてスタイリングして・・・すべてやりましたね。

 

――どのくらいこの仕事をやっていたのですか?

 

29歳から33歳頃まで。3~4年間ぐらいでしょうか。そのうち私の個人でのイラストの仕事の量が増えてきました。

 

――イラストの仕事はどんなものですか?

 

お部屋改造とはまた別のジャンルで、知り合いから依頼されることが多かったです。

 

友だちが、編集者のお姉さんに「宇田川さんは、こんな絵が描けるよ」と言ってくれ、「じゃあ作品ファイルをみせて」という感じで。他の編集の方も使ってくれたりとか。人とのつながりで今もお仕事を頂いている気がします。

 

――雑貨をデザインするうえで、イラストを描く機会が多いから、自然にイラストも描けるようになった?

 

そうですね。イラストレーターと名乗るのは、自分で全然しっくりこなくて。自分では(イラストレーターとは)言ってはいないんです。雑貨デザイナーという方が自分の中では腑に落ちるのです。

 

他の方の文章にイラストを添える仕事もするのですが、その時には「私で本当にいいんですか」という気持ちです。

 

独立した文章に添えるイラストよりも、全体的にわさわさとなっているものの方が得意な気がします。

 

――文とイラストが切り分けられているのではなく、ある種一体となっていて、全体として伝わっていくもの、ということですか?

 

そうそう、それが言いたかった(笑)。見る側もどれがイラストで、どれが文章なのか分からない感じ。こういう方が私は好きです。

 

――2011年に出版された『イラストとクラフトで手づくりライフログノート ~日々のあれこれを記録する”わたしだけ”の採集帖 』という本もそんなスタイルですね。ライフログノートはご自身で日々の記録をやっていた?


はい。毎日、スープを飲んでいた時期があって、それを描いていたんですね。それをある新聞社が取材して、その記事をみた(出版社の)編集者の人が声をかけてくれたんです。

 

人の紹介でお仕事を頂くパターンと、仕事が仕事を連れてくるパターンと、そういう二つがあるんだなあと感じています。

 

――『手づくり文房具』『気持ちを伝える手づくり文房具』『封筒でつくる手づくり文房具』という3冊の手づくり文房具シリーズの本を書かれています。そのきっかけは?

 

最初の『手づくり文房具』は2008年の春に出ました。私は日ごろから手帳の後ろにコーヒーフィルターのポケットをつけていたりとか、ページが足りなくなったら小さいメモ帳をはさんだりとか、しおりは太い方が良いのでリボンをつけたりとか、何かしらカスタマイズ(=利用者の意思に沿うような変更)していたんですね。

 

それを友だちの編集者がみて「面白いから、もっと可愛くしてまとめたら本になるよ」というアイデアを言ってくれたのです。それで一冊目の『手づくり文房具』が誕生しました。

 

――『気持ちを伝える手づくり文房具』で1つ例をあげると、プレゼントを贈る際のギフトボックスとして「キャラメル箱トランク」という作品があります。これはどのようにして生まれたのでしょう?

 

そうですね・・・。私は空き箱とかが大好きなんですね。今もコレクションというか、とっていますし、箱の再利用をいつも考えています。

 

キャラメル箱もちゃんとスリーブ(内箱)が入っていき、すごく無駄がなく、機能的じゃないですか。でも、キャラメルを食べてしまうと捨ててしまうのがもったいない。そういう気持ちがあって「なんとかならないか」と思い、とっておいたものの一つでした。

 

封筒もそうです。封筒も2方に糊付けしてありますが、一回お手紙を運ぶとお役御免になってしまう。すごくシンプルなのに働いているもの。


一回で命が終わるものたちを、もう一回使ってあげないともったいないと、いつも思うのです。

 

(前編・終わり)

(『気持ちを伝える手づくり文房具』から
(『気持ちを伝える手づくり文房具』から

 

*後編では、宇田川さんの創作の秘密や、長期入院している子どもたちとワークショップするボランティア活動などについて聞きます。6月1日発刊のこがねいコンパス第30号に掲載予定です。


こがねいコンパス第29号(2013年5月18日更新)

 

◆宇田川一美(うだがわ・かずみ)さんのプロフィール

 1970年生まれ。結婚をした最初の時期を除き、ずっと小金井市で育ち、暮らす。緑小、緑中を卒業。

武蔵野美大視覚伝達デザイン科を卒業し、雑貨メーカーの企画室へ。現在はフリーで、雑貨の商品企画、手づくりに関わる仕事や、女性やこどもの暮らしに関するイラストを描いている。

緑町3丁目在住。雑貨メーカーで知り合った夫と二人暮らし。

 

雑貨メーカーとの商品企画、雑誌や書籍の手づくり企画の仕事を基盤とし、手づくりにまつわるワークショップなども行う。著書は『手づくり文房具』(池田書店)、『手づくり歳時期12ヶ月』(幻冬舎エデュケーション)、『ちょいワザ文具術』(ポプラ社)など。これまでに共著も含めると9冊。イラストでは『料理上手の魔法のひと匙』(宝島社)、『医師が教える冷え取り生活のすすめ』(アスペクト)、『国立行政法人アートカードセット』(独立行政法人国立美術館)など。宇田川さんのしごとブログはこちらから   

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

写真をクリックすると大きくなります
写真をクリックすると大きくなります
全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 5.3 MB

こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから

小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

こちらから

メルマガ登録をどうぞ!

「こがねいコンパス」からのメルマガをご希望の方は以下にメールアドレスをご入力ください。新しい「市政フラッシュ」の掲載や、次号の主な内容などについてご連絡します。

コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

 ご連絡は koganeicompass@gmail.com まで。