変える 試みる 小金井の人たち   file17-1

file17-1 「緑の党」運営委員長 漢人明子さん(前編)

 
 「市民発、原発ゼロ、フェアな社会へ」という言葉を掲げ、日本で「緑の党」が誕生した。今年7月の参院選で国政進出を目指している。

 

 この3月までの16年間、小金井市議だった漢人明子さんは今、「緑の党」の運営委員長を務め、事務方トップとして采配を振るう。市民が主導する新しい政党づくりにかかわりだしたきっかけとは――。

緑の党ホームページから
緑の党ホームページから

――「緑の党」で、今はどんな役職と仕事をされているのですか?

 
緑の党は昨年7月の結成総会で全国協議会委員を34人選出しました。私はその一人です。この全国協議会委員から通常の運営を行う運営委員を互選で選んだのですが、その1人でもあります。

 

――運営委員は何人?

 

全国協議会委員から16人選び、4人の共同代表とあわせて20人になります。そこでさらに互選されて、運営委員長をしています。

 

――重責ですね。

 

重責なんです(笑)。党の規約では「運営委員長の下に事務局を置く」となっていますので・・・。


――事務方のトップということでしょうか?

 

まあ、そうですね。


――共同代表4人との役割分担は?

 

共同代表はスポークスパーソンということで、「党の顔」です。実務的な、事務的なところは私が担当しています。ただ、いわゆる党の幹事長というのは政治的な実務を担当するわけですが、その部分は副運営委員長にゆだね、私は事務に特化しています。


――事務というのは具体的には?

 

議員(小金井市議)をやっている間は、日常的な事務は把握しきれないところもあったので、組織的な運営ですね。会議を招集する、その資料を整える、報告を出すといったことです。


4月以降はほぼ毎日事務所に通うようにしているので、見習い事務局長のように事務の仕事を把握しつつあるところです。

 

――事務所はどこで、何人ぐらいのスタッフが?

 

高円寺にあります。無給スタッフは別にして、有給スタッフは常勤が4人。非常勤が2・5人ぐらいでしょうか。


――参院選を前に仕事が増えているのでは?

 

忙しいですね。これまでは通常体制ということで運営委員会があり、その運営委員長だったわけですが、今は、選挙対策本部をつくり、先日、副本部長兼事務局長にもなりました。


――緑の党の重要方針は全国協議会で決めるのですか?

 

そうです。重要な決定が増えたので、月1回ぐらいのペースで開催しています。


――全国から34人が集まる?

 

それはなかなか難しいので、事務所に10人前後が集まり、あとのメンバーはスカイプ(インターネット通信)で参加することが多いです。

緑の党HPから。昨年12月のドイツ緑の党大会に出席した(手前の写真の右側)
緑の党HPから。昨年12月のドイツ緑の党大会に出席した(手前の写真の右側)

――さて、「緑の党」には、いつから、どのようなきっかけで関わるようになったのですか?

 
1997年に初めて小金井市議になった時、無所属で、1人会派だったんですね。それで、無所属の環境派とか市民派とか女性とか、様々な議員のネットワークにすがるように参加したんです。

 

そのうちの1つに――私が議員になった後にできたのですが――「虹と緑の500人リスト運動」というのがありました。全国の無所属、市民派議員の政策情報を交換する研究会的な要素と、「無所属議員の政治的ネットワーク」としてつくられたものでした。

 

とにかく、政策的にも政治的にも「つながり」がほしかったので、色んなところに入りましたが、「虹と緑の500人リスト運動」は、「緑の党」をかなり意識したものということが分かりました。

 

なぜ「500人」かというと、「500人の地方議員が集まれば、国政(進出)ができる」ということを意識した名前だったようです。実際には当初、250人ぐらいで次第に減って100人という感じでしたが。

 

私は政策勉強会的なつもりで入っていたのですが、(俳優で当時参院議員だった)中村敦夫さんが代表委員を務めた「みどりの会議」が2004年の参議院議員選挙比例区で候補者10人を擁立した時に、「虹と緑の500人リスト運動」にも「一緒にやらないか」という声がかかったのです。「みどりの会議」も、「緑の党」を意識したものでした。

 

「虹と緑の500人リスト運動」の中では、国政を意識している人たちと、そこから距離を置こうという人たちがいました。私は「ええっ?」と思いながら、実際には参院選で選択を迫られ、議員の立場だとその表明も迫られるわけなので、「みどりの会議を支援して良いのではないか」と考えました。

 

その時には、後で「緑の党」をつくろうという考えはあまりなくて、「この参院選はみどりの会議で頑張ろう」と、その時だけというつもりでやっていたのです。

 

具体的には「三多摩で頑張ろう」ということで、無所属の議員や、市民活動をしている人たちに呼びかけをしながら、「こういう政治的な思いをつなげていくということが重要なのではないか。単に無所属だけをいうのではなく、《緑の政治》ということでつながり、国政に反映させていくことが必要なのではないか」と考えるようになったのです。特に選挙が終わった後にそう強く思うようになりました。

 

(注)「みどりの会議」は2004年の参議院議員選挙に比例区に候補者10人を擁立して約90万票を獲得したが、比例名簿1位の20万票を得た中村敦夫氏も当選できなかった。

 

それは私だけではなく、「虹と緑」の中でも初めてそう思った人たちがいました。「みどりの会議」の党員は少人数で、選挙が終わったら党員だけであっさり解散を決めたのです。選挙を懸命にやった人たちからすれば「ええ!」という感じでした。

 

 

特にその時に30代で立候補した若い人たちがいたのですが、そういう若い人たちや一緒に頑張った人たちが、私たちも含めてですが、「やはり、続けよう」ということになったのです。

 

そこで、「みどりのテーブル」を選挙の翌年の2005年2月につくりました。「テーブル」というのは、「ラウンドテーブル」で、とにかくそういうことを考える人たちが次を目指そうという場でした。

 

「みどりのテーブル」が発足した翌月、小金井市議選があり、私は3回目の当選を果たすことができました。1、2期目は地域の課題に取り組むことで精いっぱいでしたが、2期目の最後に国政選挙にかかわり、3期目を迎えたということで、役割としても「市内だけで頑張ります」だけでは許されないような関係や、自分の思いが出てきたのです。

 

「みどりのテーブル」にも、「虹と緑の500人リスト運動」にも、一会員として積極的に関わるようになりました。


――「テーブル」と「虹と緑」は両方、存在していたのですか?

 

そうです。「虹と緑」はほぼ議員のネットワーク。「みどりのテーブル」は市民が主体で、それに議員も入っているという感じでした。「みどりのテーブル」は明確に国政を目指しており、「虹と緑」はそれについてはまだ意見が分かれている状態でした。


――2004年の参院選の後、「やはり、続けよう」と思われた。その理由は?

 

自治体レベルでは解決できない問題は当然ですが、あります。そう分かっていても「でも国政は手が届かない。選択肢がない」と思っていたのですが、「選択肢は自分たちでつくればいい、つくることはできる」と思うようになったことです。

 

それに、そういう(国政を目指す)さまざまなネットワークが全国各地にあるということを実感しました。ここをちゃんとつなげれば、力になるということを感じられたことも大きな理由です。

 

――「みどりのテーブル」はどのような活動を?

 

志を維持しながら、ニュースの発行や学習会など様々な活動をしていたのですが、運営体制が弱かったと思います。

 

川田龍平さん、今はみんなの党の参院議員ですが、彼は「みどりのテーブル」の運営委員でした。「みどりのテーブル」としては次の2007年の参院選挙での国政進出を目指し、比例区で10人擁立することも検討しましたが、そこまでの力がないということで、選挙区でまず1人仲間を出して、そこからつなげていこうという方針を取りました。

 

そのなかで、川田龍平さんが東京選挙区で無所属で立候補し、当選させることができたんです。

 

選挙では、「みどりのテーブル」が人的にも金銭的にも全力で担いました。私も選挙の事務局長を務めました。

 

この選挙を経て大きくネットワークを広げて「緑の党」の設立に向かうという道筋を立てていたのです。ところが、川田龍平さんが当選後、1年も経たずに私たちから離れてしまったのです。

 

――川田さんからの説明はどのようなものだったのですか?

 

公式な挨拶としては「自分は無所属で当選したので、無所属を貫く。だから、みなさんの先頭にたってほしいという要請には答えられない」という趣旨でした。


――「みどりの未来」はどのように発足したのですか?

 

川田議員の離脱は大きな打撃でしたが、やはりこのままではいけないということで改めて仕切り直して、「虹と緑」と「みどりのテーブル」による新団体準備会議を重ね、2008年の秋に「みどりの未来」を発足させました。私は準備会議から参加して「みどりの未来」の運営委員長になりました。


――素朴な質問ですが、その時点で団体名を「緑の党」にしなかったのはなぜですか?

 

政治団体として「緑の党」を名乗るのはいつでもできるのですが、実際に選挙をやる過程で名乗るのが有効だろうという考えがずっとあったのです。団体名は会員の投票で決きめたのですが、「緑の党」をつくる準備過程では、その名前は名乗らない方が良いという判断の方が多数だったのです。


――「みどりの未来」が発足した後、2010年の参院選で国政を目指すという考えはなかったのですか?

 

そういう意見もありましたが、全体としては「一定の条件が整わなければできない」という判断でした。

 

――「一定の条件」とは?

 

選挙では供託金や運動資金で1億円は必要になります。また、選挙を戦うための会員の熱意と層も必要です。そうした要素を総合的に検討し、「まだ無理だ」と判断したのです。

 

*後編は5月4日発刊の第28号に掲載します。

 

こがねいコンパス第27号(2013年4月20日更新)

 

漢人明子(かんど・あきこ)さんのプロフィール

 1960年5月、静岡県の山奥、天竜川のほとりで生まれる。

1965年に府中市に引っ越し、幼稚園から中学校時代を過ごす。80年に東京学芸大学に入学、障がいを持つ子どもたちの普通学級への就学問題などに取り組む。83年から95年まで、「どろんこ保育所」で保育者として働きつつ、「小金井市放射能測定器運営連絡協議会」(放射能測定室)の立ち上げなどに関わる。97年から4期16年間、小金井市議。

著作に「『内部被ばく』こうすれば防げる」(2012年、文芸春秋)。緑町5丁目在住。

好きなことは「ふらっとひとり旅」。

 

*緑の党運営委員長として7月の参院選に取り組む漢人明子さんのお話を、直接聞きたい方は下記のような催しが5月11日に小金井市内で予定されています。

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

写真をクリックすると大きくなります
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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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