変える 試みる 小金井の人たち file14-2

NPO「アートフル・アクション」代表理事 緒方恵一さん(後編)

 

「君はヒロシマで何も見なかった」。

 

あるTVドキュメンタリーで語られたジャン=リュック・ゴダールの言葉は、鋭い問いかけとなって、映像や建築を学んできた青年の胸を銃弾のように撃った。

 

その応答として彼は1995年、短編映像『Hiroshima Through Light  光から沈黙へ、沈黙から光へ』を制作する。この作品は、海外の映画祭、都市問題を考えるシンポジウムで上映され、シナリオの全文はアメリカの文芸誌MANOA(ハワイ大学出版部)に掲載された。


彼=緒方恵一さんは今、映像、建築、アートのそれぞれの領域を超える新しい表現を求めようとしている。

(緒方さん、それにしても「映像的建築」って何ですか?)

 


――大学では日大芸術学部の映画学科で映画づくりを学ばれていたとか。

 
日大芸術学部の映画学科はどちらかというと劇映画が中心で、講義を受けていたのはヨーロッパ映画専門の先生です。

 

最初は理論と評論コースで学び、その後演出コースに移りました。実務経験の後、しばらくしてからロンドンに渡ってアーキテクチャアル・アソシエーション(AAスクール)のディプロマスクールという建築とアートスクールが一緒になったような大学院に留学し、「シネマティック・アーキテクチャー」、つまり「映像的建築」を研究しました。

 

――「劇映画の演出」から「映像的建築」へという転換はどのような経緯で?

 

映画評論や演出を学んでいたのですが、同時に、ブラッドベリやディックの小説も含むサイエンスフィクションがすごく好きだったので、次第に映画のセットデザインに興味を持ち始め、空間デザインをやりたいなと考え始めました。


それも映像の中の空間、つまり建築や都市デザインへと自分の嗜好が向いて行ったのです。日芸(日大芸術学部)も結局美大ですから、そういう環境が自分のなかに映像から建築への転換という、大胆なアーティスティック的思考を芽生えさせてくれたのかもしれません。

 

――AAスクールを選んだのは?

 

建築家レム・コールハース、ナイジェル・コーツ、ベルナール・チュミなどユニークな建築家、都市デザイナーが多く輩出しているうえに、各研究室がそれぞれとても個性的、実験的な研究をしているからです。


それにもうひとつ、自分が学んできた映像表現をどこかで活かせないだろうかという思いもありました。AAスクールにパスカル・シェーニングというドイツ人の教授がいて、彼が建築と映像を融合させる研究していたので、そこに入ろうと決めました。哲学、美学、現代思想の本もイギリスでたくさん読みましたね(笑)。

 

映画『マトリックス』みたいですが、虚像と実体についてジャン・ボードリヤールだとか。バルト、ドゥルーズ、ヴィリリオ、ベンヤミンも。現象学のメルロ・ポンティとか。

 

僕の修了時の審査員の一人は、新国立競技場の設計コンペで選ばれたOBのザハ・ハディト女史でした。彼女は僕の卒業作品が映像であるにも関わらず、とても丁寧に観てコメントしてくれました。

――ロンドンにはどれくらい?

 

のべで5年ぐらいですね。大学院を終わった後、そこで働いたりもしたので。ロンドンへ行く前に働いていた事務所がそこにも事務所を持っていました。大学院での研究を終えた後「手伝ってほしい」と言われ、僕もロンドンで少し実務をしたかったのでそこで働いたわけです。

 

余談ですが、その後東京に戻ってから、再びその建築家から声がかかりました。彼女が東京大学で研究室を持つことになり、授業を手伝って教えてほしいというものでした。1年ほどでしたが良い経験でしたし、他でも教えるきっかけを与えてくれました。

 

《「その建築家」とは、キャサリン・フィンドレイさんのこと。現在ロンドンのUshida Findlay Architects代表として活躍中》

 

ウシダ・フィンドレイのホームページから
ウシダ・フィンドレイのホームページから

――「映像的建築」というのが今一つ良く分からないのですが。

 
言葉だけで、実はそれほど難しくはないのですけどね(笑)。でももし、どこかに映像を強く意識させるような空間があったとすると、楽しいと思いませんか(笑)。

 

映像的建築、いわゆるシネマティック・アーキテクチャーとは、転じて建築的映像も含みます。もともと、欧米には建築と他の分野とか、アートと他の分野、音楽と他の分野など、異なったジャンルのものを結び付けて、新しいものを生みだそうと実験しているケースが非常に多いのです。

 

けれど、その礎となるのは意外と思えるほど古くからの理論や作品だったりします。日本は何でも消費が早いけれど、例えば映画「La Jetée」や「去年マリエンバードで」などは、1960年代初頭の実験的劇映画で、建築的映像と言えるのですが、未だに高い評価とともに何冊も本が出版され、常に話題にもなっている。

 

それに、日本語に翻訳されていないだけで、実際は映像と建築を結びつける書籍はとても多く出版されています。

 

例えば、ハーヴァード大学のジュリアナ・ブルーノや、南カリフォルニア大学のアン・フリードバーグ、それにクーパー・ユニオン(NYCにある先端科学芸術大学)のアンソニー・ヴィドラーらによる空間と映像についての著書は有名ですし、建築家コールハースは元々オランダで映画を勉強した後、AAで建築を始めています。

 

最近のコープ・ヒンメンルブラウによる釜山のフィルムセンター、チュミやジャン・ヌーヴェルやスティーブン・ホール、それにヘルツォーク&ド・ムーロンの一連の作品は映像理念を大胆に採り入れている実践作品と言えるでしょう。

 

僕の研究室は、建築空間を言葉で表現したり、グラフィックや写真で表現したりするなど、様々な試みに取り組んでいました。ヨーロッパでは新しい建築を建てにくいという背景もあり、そのなかで常に「新しいもの」を追求していこうとする哲学があります。

 

アカデミーの場ではそういう研究がなされていて、そのなかで僕の教授も、違ったジャンルのものを取り入れて表現してみようと試行錯誤するなかで、映像的建築に行き着いたわけです。

 

僕の場合は、もっぱら建築的な思考に基づく映像を制作し、そこから映像的な空間を導き出す実験をしていました。

 

僕がその研究室に所属したのは94年から96年で、教授が大学に在籍していた2008年まで研究室はあったわけですが、映像的建築の定義はまだ確立されていませんでした。

 

教授の退官後、彼と研究室の業績を回顧するイベントがロンドン本校で催され、僕も研究室出身の一人として日本から呼ばれました。そこでも、たとえ理論的に成就されずとも建築的映像を考えるプロセスが建築表現と思考の可能性を広げ、教育において意義があると、参加したみなさんは結論づけていました。

 

また、この理念に基づいたワークショップやギャラリー展示を東京で過去2回開催しています。

 

名称は「都市・建築ワークショップ」というものです。これは、僕がディレクターとなり、デザイナーやアーティスト、ITスペシャリストなど異分野の人たちとともに現在も継続中です。

 

「都市・建築ワークショップ2012」のチラシから。クリックすると大きくなります
「都市・建築ワークショップ2012」のチラシから。クリックすると大きくなります

 

《緒方さんは「映像的都市建築デザイン 他分野との融合」と題した文章のなかで、「映像的建築とは、デザインだけでなく、文学性、また映像の視覚や心理的特性を備えたものも含む。ランドスケープ・デザインの分野における物語性は、洋の東西を問わず、古くから京都の修学院離宮や、英国のストウアヘッド庭園などの回遊式庭園に具現化されている」と述べている。》


――緒方さんが設計された建物が日本にいくつもあるわけですが、そういうところに映像的建築の考え方は反映されているわけですか?

 

自分のなかにはその考え方はありますが、直接的に大胆に反映した作品はまだありません。自分としては、その理念も含め未だ探求中と感じています。様々な条件、要素に恵まれないと、そういうものはなかなか難しいのです。逆に建築的映像はいくつも作っているのですが。単に個人的なアートインスタレーション作品としても表現できるので、悩みどころです。

 

建築家の役目というのは、クライアントさんの求めに応じ、彼らの言葉を翻訳し実践することです。映像的建築というのはあくまで僕が個人で、あるいは研究室にしてもそうですが、社会に対し問題提起するためのデザイン手法の理念の一つなので、すべてに対応できるわけではありません。

 

ただ、最近、これまでの建築作品をまとめる作業をした時に感じたのですが、たとえ無意識的にでも、空間の回遊性や光と影の関係、そして記憶を印象づける物語性のある空間構築や、先に述べた個別の建築作品としては様々な方法で試みられていると思います。

 

僕にとっても、ご理解があり、一緒に創って行こう思ってくださるクライアントさんと意気投合すればいつの日かぜひ成し遂げたいですね。

 

また「映像的建築」を理論的に体系化するために、今、ちょうど論文を書き始めているところです。映画や建築、それに文学やアートの分かりやすい実例を交えながら誰にでも分かるような形にしたいですね。

 

《建築的映像作品として制作された短編映像『Hiroshima Through Light 光から沈黙へ、沈黙から光へ』は、海外の映画祭だけでなく、都市の問題について考えるシンポジウムでも上映されていて、シナリオ全文がアメリカの文芸誌MANOA(ハワイ大学出版部)に掲載された。》

 

MANOA (日本文学特集号「日本そして戦争の影 沈黙から光へ」)University of Hawaii Press 発行(2001年) オリジナルシナリオ『Hiroshima Through Light 光から沈黙へ、沈黙から光へ』全文

記録映画『Hiroshima Through Light 光から沈黙へ、沈黙から光へ』(1995年)film+arc都市/映像 国際ビエンナーレ出品上映 (オーストリア、グラーツ/1996)

 

*下の写真も同作品から

 

――小金井ではアートフル・アクションの代表理事のほか、小金井市環境市民会議の事務局長を長くやられていますが、環境をテーマにした市民活動への参加は、どのようなきっかけですか?

 
93年からイギリスに住み始めました。その頃のヨーロッパは経済的に下降線をたどっていた時代でした。バブルを経験した日本から見ると、ヨーロッパの建築家たちはどうやってメシを食っているのだろう、何をやっているのだろうと不思議でした。

 

ところがヨーロッパの建築家はまちづくりなど社会の様々な分野に関わっているのです。たとえ建物の設計はしなくても、社会的な地位というのが確立されているので、まちの方向性をデザインするうえで様々な発言をします。

 

建築物、つまり建物が立つということは、経済性はもちろんあるのですが、それ以上に社会のニーズ、その場所に最も適した解決策として最後にやってくるもの。その手助けをする都市計画家や建築家は、都市の一部としての敷地への干渉が許される専門家である、という考え方が、重い歴史もあるヨーロッパの基本理念です。

 

彼らは時には異分野の人たちとお互いの能力を生かすコラボレーションをしています。そうしたヨーロッパの建築家の姿をみて、デザインというのは建物や都市だけではないと感じました。

 

彼らは、コミュニティや社会環境までデザインしているんですね。環境というのは「まち」を考えるうえで、一番近いところにあると思っています。

 

僕の場合は、僭越な言い方かもしれませんが、人がつながり、良いネットワークができることで、まちが良くなる。そのためのお手伝いをできればと考え、始めたわけです。コミュニティやネットワークをデザインをするという、形体だけでなく社会へもコミットするヨーロッパの建築家から影響をうけたものがあると思います。

――東日本震災復興支援では宮城県南三陸町に行かれたそうですね。

 

自分からやりますと言って手をあげて乗りこんだわけではありませんし、「支援」というほどの大それたことでもないかもしれません。


南三陸町を支援している、あるまちづくりのNPOから「映像をとりにいってくれないか」という依頼をうけたのがきっかけです。被災された女性が自分の家族を扱った紙芝居をやっているので、それを記録してくれないかという依頼でした。

《緒方さんが撮影した紙芝居を作ったという女性は、工藤真弓さん。町内にある神社の禰宜(ねぎ)で、五行歌(5行という以外には制約のない詩歌)の歌人でもある。家族4人で津波から避難する姿を五行歌で30首つくり、さらに1首ごとの場面を絵にして、紙芝居として完成させた。2012年5月には「つなみのえほん ぼくのふるさと」という絵本として出版された。》

――映像作家として関わられたわけですね。

 
「YATAI HERE YATAI THERE」というワークショップにも関わりました。ロンドンのAA スクールと在英日本大使館が主催したものです。

 

《このワークショップは、レクリエーションのために特別に制作された屋台が、「遊び」という媒体を通し都市や町の姿を記録しながら、東北地方をめぐるというもの。記録された都市をペインティング、ドローイング、映像、音楽などに編集し、"LONDON FESTIVAL OF ARCHITECTURE" で展示することで、9000 キロ離れたロンドンに東北の今を伝えることが目的だったという。》

 

ロンドンの建築フェスティバルでも被災地と同じ屋台がつくられ、僕がまとめた南三陸町の映像がロンドンの屋台に来た観客に上映されました。3・11の1年後ぐらいの時期ですね。

 

1年が過ぎたので、あの日本なのだから、被災地ではかなり復興が進んでいるのだろう、というのが、ロンドンの人たちの予想でした。しかし、僕が映像で切り取ったのは、様々な問題があってなかなか復興が進んでいないという現状でした。

 

――自分のなかに映像作家としての緒方恵一というのが強く残っているのでしょうか?

 

映像にこだわらず、その時その場で自分が創るものがあればそれを表現することを続けているだけです。映像、建築、教えること、自分では常に作家のつもりではいます。映像的建築を探求しているというのも、そういった部分に負うところが大きいと思います。


――緒方さんの映像作品を見ると、「記憶」「光と影」がテーマのように感じます。

 

「記憶」と「光と影」は、映像にも建築にも共通するキーワードです。自分にとってその二つが大きいのです。
建築というのは物理性がある存在ですが、同時に例えば自分が生まれ育った家の記憶が、生き方や考え方にいろいろと影響している存在でもあります。


9・11で失われたニューヨークのツインタワービルは今では存在していないわけですが、その建物についてはみんなが共通の像を持っています。そういう意味でも記憶というのは建築にとっても大切だと思っています。

 

マルセル・プルーストは自分が隠遁生活をしている空間から、過去の記憶のなかの映像だけを頼りに一大文学作品を創り上げましたよね。

 

――ところで小さい頃は、どんな子どもでした?

 
小学校のころはサッカー少年です。地域のクラブチームに入っていました。中学では剣道部でもやっていました。チームワークと、それに日本人の礼や敬う心を学ぶことができて良かったですよ。映画や文学や美術に興味を覚えたのは中学から高校生の頃ですね。

 

――小金井へはいつごろ、どういうきっかけで?

 

2003年ぐらいでしょうか。東京で妻と住むところを探した時に、西武多摩川線に乗っていて電車の中から野川公園と武蔵野公園を見たのです。その時、目に映ったイメージがとても良くて。


勝手な思い入れなんですが、僕も妻もロンドン市内の北側に住んでいて、その近くにあったハムステッド・ヒースという公園に野川公園が良く似ていて、それが決めるポイントとなりました。緑に恵まれた素晴らしい場所だと感じたわけです。やがて自分の子どもが野川の水の中に入り、遊びながら育っているというのが、とてもうれしいことです。
(終わり)

 

こがねいコンパス 2013年2月16日更新

 

緒方恵一(おがた・けいいち)さんのプロフィール

 
1961年4月生まれ、神奈川県相模原市出身。日本大学芸術学部で映像を学んだ後、ロンドンのアーキテクチュアル・アソシエーション・ディプロマスクール(AAスクール)で、映像的建築“シネマティック・アーキテクチャー”Cinématic Architecture”を研究。建築事務所Ushida-Findlay Architects (東京およびロンドン事務所)などに勤務。

帰国後、東京でインサイト(inSIGHT)を設立。映像制作の他、都市プランニング、建築、インテリアの企画・デザイン、建築・都市・映像などに関する執筆など。

都市・建築ワークショップ主宰。NPO法人「アートフル・アクション」代表理事、小金井市環境市民会議事務局長。日本都市計画家協会会員。アーセナルFCサポーター。

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

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脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

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*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

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イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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