変える 試みる 小金井の人たち  file12-2

小金井から《前掛け》を世界へ     西村和弘さん(後編)

 

 商談相手には野川沿いにある小金井のオフィスになるべく来てもらう。それも武蔵小金井駅で待ち合わせ、一緒にゆっくりと歩き、六地蔵の井戸の水を飲んでもらったり、はけの森美術館の裏の湧水をみてもらったり――というのが西村流。

 

 モノとサービスが大量に生産され、大量に消費されていく時代と社会だからこそ、こだわる方法論とその根っこにある哲学とは――。

 

――2006年7月に小金井の野川に近い場所へオフィスを移されるわけですが、その経緯は?

 
それまでは両国の国際ファッションセンターにいましたが、前掛けに(ビジネスで)見込みが出てきたので、最初からやりたかった飲食店がそろそろできるかなと考え始めました。

 

両国のオフィスは、3年間の期間が限定されているインキュベーション(起業支援)施設なので、どうせ出なければなりませんでした。そこを出るタイミングで、飲食業とTシャツ・前掛けの事務所の両方ができる物件探しを始めたのです。

 

飲食店は、お母さんが子どもに食べさせるような「おむすびや」にしたい。場所は、大学時代に多摩地域に住んでいたので、調布、府中、国分寺、国立あたりを探したのです。

 

国分寺で決まりそうだったのですが、最終的に条件が折り合わず、だめになり、国分寺から歩いて小金井の方に向かっている途中に入った不動産屋さんで、ここ(現在のオフィス)を紹介してもらいました。

 

もともと漢方薬局でしたので、中も良い雰囲気で、即決したわけです。ここが小金井市というのは後から分かったのです。

 

――このあたりの環境も決める理由に?

 
そうです。一番気に入ったのが「はけの森美術館」の裏の小さな森です。水が湧いているところですね。

 

「ああ、こういうところが近くにあれば間違いない。良い仕事ができる」。そう確信しました。あの、湧水にやられましたね。

 

野川が近くにあり、春には川沿いに桜が咲くから、その時には人通りも多いよと教えてもらいました。

 

野川に近いエニシングのオフィス前で
野川に近いエニシングのオフィス前で

――ここはAnything(エニシング)のオフィスでもあったのですか?

 
Anything (エニシング)のオフィスが基本で、その一部を「おむすびや」にしていたのです。分かりやすく外には「おむすび研究所」の看板を掛けていましたが。
*おむすびやは、現在休業されています。

 

――商談の際には、先方と武蔵小金井駅前で落ち合い、このオフィスまでゆっくり歩いて来られるという。これはどうして?

 
組織の中で仕事をしていると、どうしても「組織の顔」でここに商談に来られるのです。本当に僕らがやらなければならないのは、その会社とうちとで一緒にものをつくることによって――販促品が多いのですが――それをもらった人が本当に喜ぶもの、心から喜ぶものをつくることです。

 

ですけど、「組織の顔」として来ると、「予算がこれだけ」とか、「急ぎでこうしなければならない」とか、向こうの理屈ばかり言って、こっちはそれにあわせて、ただの下請けの仕事になってしまいがちです。

 

もっと(依頼する会社と)共通に《上》を見なければならない。未来を見なければならない。商品を手にした人が喜んで、結果的にこの商品が売れるというサイクルにしなければならないのです。もらって使う人、使って何年もたってどうなのか。それを見なければならない。

 

それには、「組織の顔」を一回まっさらにしてもらい、商談に入らないとこの話が理解してもらえない。都内に商談に行き、向こうの土俵で勝負するというのが最悪です。向こうは立派な、24時間空調が効いているようなオフィスでいつも仕事をしている。そこに我々がいったら、組織の論理の話にしかなりません。

 

僕らが徹底的に言っているのは「一度ショールームを見に来てください。駅で待ってますから」。そうすると、会社の担当者がやってきます。担当者は本当はやる気があるのですが、会社の中ではなかなかそれを出す機会がない。

 

会社の論理を一回、解くというか、そのような時間のために武蔵小金井駅で待ち合わせをして、ゆっくり歩きながら、「はけの森美術館」裏の湧水や、『借りぐらしのアリエッティ』の舞台になった『はけの小路』を案内して、エニシングに来て頂く。

 

そうするとなぜエニシングがこの場所でこういう商売をしているのか、どういうメッセージを伝えながら前掛けをつくっているのかが理解してもらいやすいのです。その時間を共有することによってお互いに良い仕事ができるかなと思って、やっています。

――2007年から米・ニューヨークで前掛けを売り始めました。

 
卒業したのは中央大学の貿易学科です。もともと日本の良いものを世界の人に見てもらいたいという気持ちがありました。日本だけで売らなければならないという理由もありません。そういう仕事をしたいなと思っていたので、自分の中では「いつか世界に向けて売りたい」という思いを持っていたのです。


タイミングとしては小金井に引っ越した2006年の12月に、フジテレビから電話があり、前掛けがオーダーで作れ、保険の営業マンも前掛けをすることによって怪しまれずに営業できるという番組が2007年1月に「めざましテレビ」で放映され、すごい反響を呼びました。

 

それを見た日本テレビからも話があり、3月にワイドショーで放映されました。その番組の効果によって100万円分ずつ前掛けが売れました。それで売上の200万円を前にして、「これを何か『次』に使いたいな」と思ったのです。まぐれというか、ご褒美のようなものだから。

 

その『次』がニューヨークでした。昔から「世界で売りたい!」と考えていたので翌4月にニューヨークに向かったのです。「ニューヨークに行ってもいいかな」と、会社のスタッフの承諾は得ましたが。

 

――なぜニューヨークへ?

 

パリかニューヨークかと思っていました。中国は全然頭にはなかったですね。しかし、パリでは言葉ができないので、ニューヨークへ。世界に影響力があるところではその二つだなと思っていました。

 

――「一番忙しそうなところから攻める」という方針だそうですが。

 

そうです。なんでもそうなのですが、一番影響力があったり、販売力があったりするところから行きます。一本の電話をかけるのも、一か所を訪問するのも労力は一緒ですから。

 

――具体的にはどのように売り込まれたのですか?

 

日本食の居酒屋さんです。友人に15件リストアップしてもらい、それぞれオリジナルの前掛けをつくり、「こういうオリジナルの前掛けがつくれますよ」と持って行ったのです。

 

――反応は?

 

やはり自分のお店のオリジナルをつくって持ってきたので、すごく喜ばれました。そこで分かったのはお店にいる人と経営者は別だということです。実は15店舗のうち4店舗は同じ経営者がやっていました。そうやっているうちに、ある人から「こうやって頑張っているところを(ニューヨークの)新聞社に取材してもらったら。新聞社さんはそこにあるから」と言われ、行ったのが日本語新聞の『週刊NY生活』でした。

 

行くと「面白いね」と言われ、「まず自分たちが注文するよ」となりました。彼らはフリーペーパー(無料紙)で、運ぶのも自分たちでやってらっしゃる。その時に服が汚れるのを防ぐのにぴったりだし、宣伝にもなるということで。

 

『週刊NY生活』さんの前掛けを6枚作らせて頂きました。彼らは(書店の)紀伊国屋さんや、居酒屋さんに新聞を配達しています。それを見て「オリジナルで前掛けを作っているの!」「格好いいね。どこでつくっているの?」という声が増え、そこから定期的にニューヨークに行くようになりました。

 

――ニューヨークの紀伊国屋の展示スペースで展示会をやるというのも、そこから?

 

そうです。2009年の4月か5月にニューヨークに行った際、紀伊国屋さんから9月に展示会をやらないかという話があったのです。ただ、その時に、何を発表すれば良いのか全く分かりませんでした。

 

今から振り返れば、前掛けを誰もやっていないから、ぱっとやったら、マスコミに取り上げてもらい、お客さんが増えて行ったわけですが、「前掛けとは何か」を知らずにやっていたのですね。

 

何をアメリカで発表すればよいのか。すごく考えました。原点とか歴史とかをちゃんと伝えないとアメリカでは分かってもらえない。(前掛けの産地の)豊橋で80代の(職人の)おじいさんたちにこの機会に全部教えてもらおうと豊橋へ向かったわけです。

 

いろいろ話を聞き、戦前の前掛けも見せてもらい、これもお借りして展示しますという話をしていたら、豊橋の職人さんたちも「アメリカに行きたい」と言われ始めました。

 

アメリカで展示することで得た大きなものの一つは、前掛けの歴史と原点をきちんと知ることができたことです。もう一つは、70代、80代の職人さんたちとの、本当の意味での共同作業を展示会を通じてできたことです。

 

――最初の展示会。職人さんたちはずいぶん喋られたそうですね。

 
1人3分間で自己紹介をするはずでしたが、ある職人さんが30分喋ったのです(笑い)。それまでは「俺らは職人だから、喋ることはない」と言っていたのですが、その場面になると、どんどん喋り出す。

 

僕は40人から50人の聴衆を「きっと話に飽きるだろうな」と思いながら彼らの表情を見ていたのですが、日本語で語り続ける職人をじっと見つめているんですね。80歳の職人さんがぽつぽつ喋るのに引き込まれていくのです。

 

終わった時に、「職人さんと握手をしたい」という行列ができました。その後、(アメリカ人たちが)僕のところにも来て「君がやっていることは素晴らしい。応援するよ」と言うのです。今考えても、大きなターニングポイントの日でした。前掛けというよりは、人の思いは人に伝わるんだ。そう確信したのです。

 

――2009年からの展示会は2010年、2011年と続け、2012年はニューヨークの総領事館のギャラリーで『日本伝統の前掛け展』を開催しました。

 
2009年にやった時に、総領事館の担当者が会場に来てくださいました。その方がずっと覚えてくれていてのです。

 

総領事館のギャラリーはそれまで領事館が企画したものを展示する場所でしたが、今年から一般にも開放するようになり、「エニシングさんも出してみたら」と連絡を頂き、実現したのです。2009年からつながっていたことで、実現できた展示でした。

 

ニューヨークで展示された作品
ニューヨークで展示された作品

――そうしたニューヨークでの展示、販売はエニシングのビジネスにどのような効果をもたらしているのですか?

 
我々が商売をするときに大事だと思っているのは、一つは研究開発。もう一つが営業活動、広報・広告活動です。

 

ニューヨークやスペインのバルセロナで展示会をやってきましたが、「商品」をつくっているわけではなく「作品」をつくっているので、染めにして生地にしても、売ることを考えずに、つまりコスト面の制約なく、できます。(前掛けづくりの)腕を最大限発揮して頂ける。それができることによって、今度は「商品」に落としこめるのです。

 

――ハイエンド(最上級)なものをつくり、それを通常の商品へかえていくということでしょうか。

 
みなさん、ハイエンドなものをつくるときに、そういう気持ちを経験してもらえるので、商品に落とし込むときに非常にやりやすいのです。うちとしては来年以降に売り出す商品開発ができている。商品開発の基ですね。

 

もう一つは実際に、前掛けを知った人から発注が来ます。例えばニューヨークですと、日本の寿司に革命を起こしたと言われているガリさんという方がいらっしゃいます。今マンハッタンに「Sushi of GARI」を5店舗出されているのですが、ある方にご紹介いただき、沢山の注文を頂きました。あとはキャンペーに使いたいという注文を頂いたり、実際に売り上げにつながっています。

 

Sushi of GARIのホームページから
Sushi of GARIのホームページから

――さて、西村さんのチャレンジ精神はどこから来ているのでしょう?

 
やはり(出身地の)広島なんですよね。生まれたときから被爆3世という自覚。それと、広島からアメリカに移民に行かれた方が多く、親戚でもロスアンゼルスに移民した人がいます。その人たちが夏休みになると広島に帰り、その人たちとの話の中で海外へのあこがれ、海外を身近に感じてきたわけです。

 

広島で生まれて、アメリカ、原爆を小さいころから感じながら、ということがベースにあるんだろうなと思います。あとは家業としてやってきたパン屋というのは、(社会に)役に立つ仕事をしていたのではと勝手に思っています。

 

――パン屋さんは戦後は?

 
私の祖母は被爆して、昭和23年に父を生むのですが数年後に白血病で亡くなります。父は母親の顔を知らないのです。そういう中でパン屋の経営もいろいろと後継者問題もあり、廃業せざるをえなかったようです。

 

しかし、そういう家業について子どものころからずっと聞いているので、自分も、ひいじいちゃんみたいに役に立つ仕事をしたいと思っていました。

 

*昨年(2011年)の8月6日、西村さんは自分のブログにこう書いた。

《66年前の今日、朝8時15分、広島に原爆が落ち10数万人の市民が亡くなった。西村家は当時パン屋をやっていて、曾ばあちゃんは従業員さんや家族の朝ごはんを終え、台所で洗い物をしていた。そのとき、ドーンと大きな音がして、とっさに洗い場の下の隙間に入り込んだので助かった。と小さなころから聞かされた。爆心地からわずか1キロ。平和記念公園はうちの犬の散歩道になっている、くらい近い距離。親父のお母さんも(私のおばあさん)や、そのほか多くの身内が原爆で無くなっていて(いつも書くが)僕は生粋の被爆3世(第3世代)。それをアイデンティティに生きているところは多分にある。

 

数十年間は草木も生えない、と言われたが、広島人の意地、もあり、3日後にはチンチン電車(市内路面電車)を走らせた。広島の学校では、平和教育が頻繁に行われているので、当時を知る人に、小学生、中学生時代にいろんな話を聞いたが、そのうちの一人の方は「わしらはアメリカの爆弾には負けん。そんなもんに負けてたまるか、いう思いじゃった。」と言われていた。その何くそ、という想いは、今の僕にもあるし、広島人の友人たちにも今もあるような気がする。(後略)》

 

――ビジネスのなかでチャレンジしていく面白さをどう感じてきましたか?

 
ビジネスと日常の差を全然つけていません。人の役に立ったり、人のためになるというのは一緒だと思っています。

 

会社の経営を見てくれる税理士さんによく怒られるのですが、僕は「売り上げが上がったら幸せ」とは、まったく思っていないのです。そういうのは江崎グリコ時代にさんざん経験していますから。例えば何千億円と売っている会社でも、社内をみるといろいろと病気の方が多かったりとか。

 

人間としてというか、生き物として、一番、すっと力が出せるといいのかなと思います。今の人を人間として考えると、難しいことをわざと難しくして、足をひっぱりあったりとか、会社のなかでも多いじゃないですか。

 

ああいうのは本当に無駄だなと思います。みんながせっかく同じ時代に生まれてきて、それぞれが100%、チカラを出せばもっと世の中は良くなるのになという思いがあります。

 

特に仕事とかおカネとかになると、余計なことを人間の頭のなかで考えたがるので、そいういうものじゃないと思っています。

 

NYで。右端は今回の作品を制作した画家の諏訪間千晃さん
NYで。右端は今回の作品を制作した画家の諏訪間千晃さん

――エニシングという名前は、人と人との出会い、つまり縁(えにし)を大切にし、役に立つ仕事をしたいという思いで命名されたそうですが、その思いに変化はありますか?

 
今も人と人との出会いから始まると思っています。

 

(会社の)名前をつけた時には分かっていなかったことが一つずつ、自分の中で確信に変わっています。間違いないな、と。時間がたつにつれ、深い確信に変わるのと同時に、変わっていけばいくほど、もっとやりたいことができてきます。腑に落ちて行くと同時に、次が生まれていく。そんな感じですね。

 

「こがねいコンパス」第19号(2012年12月15日更新)

西村和弘(にしむら・かずひろ)さんのプロフィール

 1973年7月広島生まれ。2000年11月、江崎グリコを退社し、エニシングを創業。漢字Tシャツを路上などで販売。2006年7月、小金井市中町1丁目に移転。漢方薬局店だった一軒家を改装し、オフィスに。

 

2007年4月、「前掛けを世界へ売る!」と宣言し、米ニューヨークへ行き、一人で飛び込み営業を始める。中町2丁目在住。2児の父。

趣味は「旅をすること。良い仕事をし、うまい料理と酒を大勢で楽しむこと」

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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