変える 試みる 小金井の人たち file12-1

小金井から《前掛け》を世界へ  西村和弘さん (前編)

 

 ものを売るのではなく、思いを届けたい――。

 

 こう考えた青年は、大企業を辞めて1人で会社を興した。それまで無かったユニークな漢字Tシャツを売り、さらには日本から消えようとしていた伝統の仕事着「前掛け」に新しい命を吹き込んでいく。小金井から「世界に前掛けを売る」という30代の若き経営者、Anything(エニシング)社長の西村和弘さんが変えようとするものは何か。

 

――大学を卒業して大手食品メーカー(江崎グリコ)に入社し、わずか5年で独立、起業されたわけですが、その動機ときっかけは?

 
入社した当初から、いずれは脱サラして自分で何か商売したいという気持ちがありました。広島の実家が商売をしていた家系でしたから。

 

10年から15年ぐらい勉強し、35歳から40歳ぐらいまでの間に独立できればと思っていたのですが、かなり早まってしまいました。

 

その動機を一言では説明するのはなかなか難しいのですが、大きな組織である企業がやりたい仕事と、僕がやりたい仕事の間にギャップが出てきたからです。大手というのは量販の考え方なのです。たくさんの量を全国、世界に同じものを売る、さばいていく。

 

一つずつの商品に愛情がなくはないのでしょうが、感じにくい仕組みになっています。「ああ、ここで勉強するものは終わったかな。5年で十分だな」。そう感じたわけです。

 

――最後はどこの部署だったのですか?

 
芝公園にあった「首都圏量販支店」にいました。大手スーパーを担当する部署です。私の得意先さんで一番売り上げが大きかったところは「いなげや」さんでした。

 

――そもそも就職で食品メーカーを選んだのは?

 
生活に密着したものを仕事にしたいという気持ちからです。曾祖父が広島でパン屋をやっていました。そういう話を小さいころから聞いていたので、食品というものに一番関心がありました。

 

――脱サラ後は、まず「漢字Tシャツ」の企画・販売を始めるわけですが、辞めるときにはすでに「漢字Tシャツを売ろう」と考えていたのですか?

 
そうですね。飲食店をやるか、漢字Tシャツをやるか。どちらかだと思っていました。その当時、自分が書いたビジネスプランを持って、有名な経営者や経営コンサルタントの方にお会いしました。自分が気になる経営者の方たちに会って「自分のビジネスプランを見てください」と。辞める前後の頃ですね。10人ぐらい、色んな方たちに聞きに行ったんです。

 

みなさん、おっしゃったのが「最初から無理はするな」でした。「借金をせずに、3年間は自分一人で、できることをやりなさい。まだ、27歳。最初から勝負をするのではなく、もっと勉強することがある」というアドバイスです。

 

飲食店だとどうしても資金面で借金する必要がありました。なかなか一人ではできない。それで、まずはてっとり早く、始めやすい漢字Tシャツをつくって売るということで、商売を勉強しよう。そう考えたのです。

 

――お会いになった会社経営者、シンクタンクの方というのはお知り合いだったのですか?

 
いえ、まったく。東洋経済とか日経ビジネスというビジネス誌を読んでいて「あっ、この人は面白いことを言っているな」と感じた人たちに、アポをとってお会いしたり、アポなしでいきなりお会いしたりして。

 

エニシングのホームページから
エニシングのホームページから

――「漢字Tシャツ」の発想はどこから?

 
根底にあるのは、一つは「伝えていかなくてはならない」という気持ちです。物販というよりは、何か大事なことを伝えたい。そういう思いです。
もう一つは、自分でもあまり分かっていないのですが、「日本をどう伝えるか」という思いがありまして、それで一番伝えやすかったのが、「漢字」であり、メッセージを発信しやすいTシャツだったわけです。


その考えがぱっと思い浮かび、自分でプリントごっこを使って漢字Tシャツをつくり、原宿の路上とかでテスト販売をしたら反響が良かった。それで「まずはこの辺からスタートしようかな」と。

――漢字Tシャツの第一弾が「無駄飯 Fuck'n Junk Food」ですね。これにはどのようなメッセージが?

 
まだ江崎グリコで働いていた時のことです。大手のハンバーガーショップでお母さんたちが子どもを遊ばせ、ハンバーガーを食べさせている姿を見て、「日本は大丈夫か」と思いました。その印象が強く、もっと食の大切さを考えてほしい、という意味でつくったのです。

 

――第二弾が坂本龍馬の有名な言葉、「我がなすことは我のみぞ知る」。

 
大学時代からの一番仲の良い友だちがいます。その当時、彼が資格試験に落ちて引きこもりになっていたんですね。1年ぐらい全然外に出ていなかった。彼のところに頻繁に行っていたのですが、彼を元気づけるために、彼が好きな坂本龍馬のTシャツをつくってもっていってやろうと考えました。

 

すごく喜んでくれました。特にお母さんが喜んでくれて。彼もそれが一つのきっかけとなって、元気になってくれた。それをそのまんま商品化したのです。

 

――3年は同じ商売でがんばってみよう、ということでしたが、2002年の日韓ワールドカップが転機になったそうですね。

 
逆にそれまでは、メシが食えていませんでした。月の売り上げが10万円ぐらい。半分以上経費で、事務所も借りていましたから、大赤字です。貯金をどんどん崩しながら生活をしていました。

 

その頃に日韓ワールドカップがあり、漢字TシャツがTBSの番組などマスコミで取り上げられました。それがきっかけで、扱いたいという店が増えました。その時からスタートしたのかな、と思います。

 

当時は、日本にものすごい数の観光客が来ていました。その人たちがお土産に漢字のTシャツを買っていると言うのが話題になったのです。横浜のみなとみらいのフリーマーケットに漢字Tシャツをだしていたら、その横にホテルがあり、宿泊していた外国人が買っていったのです。

 

――漢字Tシャツを企画し、販売しているところは他になかったのですか?

 
そうです。専門にやっているのはうちしかなく、それでマスコミもこちらに取材に来ていたのです。

 

エニシングの会社の前で。もちろん前掛けをしています。
エニシングの会社の前で。もちろん前掛けをしています。

――さて、前掛けとの出会いはどのように?

 
小金井の前は、両国の国際ファッションセンターにオフィスを置いていました。漢字Tシャツをつくっていた時、浅草橋でたまたま無地の前掛けを見つけて買いました。「職人魂」という漢字Tシャツをつくっていたので、これを前掛けにしてみようと、プリントして会社のホームページに載せたらいきなり3枚売れた。

 

同時に前掛けをオリジナルでつくりたいという電話がちょくちょくかかるようになってきました。その時は浅草橋で無地のものを買ってはプリントしてつくっていました。Tシャツと同じ流れですから、無地のものがあればできると考えていたのです。

 

ところが、「東京氷組合」という氷を販売する業者さんの組合から200枚注文が来ました。前掛けには染めでつくる方法もあるということもそのころは分かっていましたが、どこで作ればよいのか分からない。浅草橋からいつまでも買い続けるという方法では供給も安定しない。どこでつくることができるのか知りたい。さらに、ある酒蔵さんからも100枚の注文が来たのです。

 

 大きな注文が二つ来て、「一体、どこで前掛けが作られているのだろう」と調べ始めたのがきっかけです。

 

――なかなか産地が分からなかったそうですね。

 
そうです。群馬に行き、福岡に行き、大阪に行きました。みなさん、「つくっている」というのですが、実際には全部外注に出している。その先が分かりませんでした。

 

調べていると、愛知県の豊橋市で作っているということがようやく分かりました。友人がたまたま染めの学会に出ていたら、隣に前掛けを作っている人が座っていたそうです。それで友人から電話番号を教えてもらい、すぐに訪ねていきました。

 

豊橋の職人さんたちも私たちのことを少しご存じでした。工場を見せてもらった時に、染めの工場の人が「君たちは知らないと思うけど、今東京で面白い前掛けを作っている人たちがいて、その前掛けはうちで全部作らしてもらっているんだよ」という。


「そうですか、ぜひみせてくだい」と、見せてもらうと「職人魂」とか、僕たちの型が並んでいる。

「ああ、これは僕たちのですよ」と、びっくりして声を上げました。

 

東京の問屋さんを通じて福岡でつくっていると思っていたのが、すべて豊橋でつくっていたのですから。ここしか産地がないということが分かりました。

 

その豊橋でもつくっているところは3社しかない。織る、染める、ひもをつけるというように分業です。みなさん、60代、70代、80代の方たち。

 

「俺らも会社で言えば定年の年齢だし、辞めようと思っているから、きみらもあんまり一生懸命やらない方がいいよ」ということを言われました。

 

まあ、そんなもんかなと思っていました。当時は、まだ前掛けをやろうというよりも、注文が来るから需要はあるんだなと感じていたぐらいです。この人たちも辞めるんだったら僕らもTシャツに戻ろうかなと考えました。

 

 一緒に行った会社のスタッフと帰りの新幹線の中で、「おれたちが作っていた型があそこにあるとは思わなかったね」とか「あそこで見せつけられたものは何だろう」とか話しました。「あの人たちが前掛けづくりを止めて、無くなるのだったらそれはしょうがないかな」とも。

 

しかし、新幹線の中で話しているうちに「いや、これは無くなっちゃだめだ」とすごく感じたのです。

 

江戸時代から続くものが目の前にあって、もう無くなると言われている。それを「ああ、そうですか」とは言えない。そう思いました、見てしまった以上は。

 

「おれたち、一生懸命やってみるか」と話し、そこから本気でやり始めたのです。それが2006年のことでした。

 

――江戸時代から続く日本のものをきちんと残したいという思いからですか。

 
いや、そこまでの気持ちもなかったです。残したいという気持ちよりは、例えばそこで交通事故が起きて倒れている方がいるのに、助けないというような。難しく考えているのではなく、もっとシンプルに。こういう状態の人がいるのならば、助けてあげて病院に連れて行ってあげた方がいいなぐらいな。


――ビジネスの核になるとは?

 
その時にはまったく思っていませんでした。こんなに売れるとは思っていませんでしたので。でも、見て見ぬふりはできないという思いと同時に、誰もやっていないのならばビジネスチャンスはあるかもしれないとは少しは感じていました。

 

――前掛けを売るためにはどのような工夫を?

 
前掛けを欲しい人というのは100人のうち1人、1%ぐらいではないでしょうか。「タダでもいらない」という人は20人ぐらいかも。
残りの79人は「面白ければ買ってみよう」という人たち。政治で言えば浮動層のような人たち。その人たちが、これにどのように興味をもってもらえるかなと考えた時に、たどり着いたのが「ギフト」でした。

 

一枚づつ作ることによって、おじいちゃんの誕生日にとか還暦にとか、そういう需要が生まれるのではないかと考えたのです。実際にそのような注文もありました。

 

「1枚から作れる」をアピールしたら、お客さんが自分で使い方を考えてくれました。そのほとんどがギフトで、女性客が多かったのです。

 

「世界で一枚、感動の贈り物を」というキャッチコピーをどーんとホームページに掲載したら、すーと(売り上げが)増えていきました。

 

売れる仕組みづくりとしては、日常の中で「これだったら買いたいな」という発想に立つことです。逆に言えば「前掛け」からいかに離れることができるか。

 

前掛けとして見ると、こういうのを腰に巻いて仕事をしている人はほとんどいない、必要ないんです。それを1枚からメッセージカード代わりに、言葉も入れられて渡したらものすごく喜んでもらえるもの。そういう見せ方にしたわけです。

 

同時にやったのは、質をどんどん良くしていくことでした。 やはりこの30年から40年、需要がどんどん減っていくなかで、質が落ちていました。安くてぺらぺらなものになっていて、それではますます売れない。

 

しかし、江戸時代の前掛け、大正時代の前掛けをみると、実にしっかりして高級感があるのです。そういう時代のものに戻せないか、高級感を取り戻せないかと職人さんたちにお願いしながらやっていきました。

 

美しい前掛け。エニシングのホームページから
美しい前掛け。エニシングのホームページから

 

「こがねいコンパス」第18号(2012年12月1日更新)

*後編では、小金井に会社を構えた理由やニューヨークで前掛けを売るお話、それにチャレンジ精神の源泉についても聞きます。12月15日発刊の第18号に掲載予定です。

西村和弘(にしむら・かずひろ)さんのプロフィール

1973年7月広島生まれ。2000年11月、江崎グリコを退社し、エニシングを創業。漢字Tシャツを路上などで販売。2006年7月、小金井市中町1丁目に移転。漢方薬局店だった一軒家を改装し、オフィスに。2007年4月、「前掛けを世界へ売る!」と宣言し、米ニューヨークへ行き、一人で飛び込み営業を始める。

中町2丁目在住。趣味は「旅をすること。良い仕事をし、うまい料理と酒を大勢で楽しむこと」

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

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