変える 試みる 小金井の人たち file 10-2

file10-2 「青のあいのてさん」の倍音音楽家、尾引浩志さん

  低い濁った声が響く。同時に、木枯らしが梢を鳴らすような、あるいは笛のような高い音が聴こえる。それがロシア連邦トゥバ共和国に伝わる「ホーメイ」という歌い方。

 

 声に含まれている高音部の倍音を強調し、一つの口から同時に二つの音を出す。「一人二重唱」とも呼ばれるホーメイの魅力に取りつかれた尾引さんは、トゥバ共和国の弦楽器イギルを奏で、ホーメイを歌い、本場でも高い評価を得た。フォークギターで流行歌を歌っていた小金井の少年が、不思議な音楽世界へと踏み出し、「声の達人」となっていく道のりとは――。

 (連続インタビューの後編です)

 

――音楽を始めたのはいつごろから?

  中学生の時ですね。別に音楽で身を立てようとして始めたわけではありません。親戚とか友だちがギターを持っていたことに影響されたのと、中学生ですから「モテそうだ」とも考えたんですね。買ってもらったフォークギターを掻きならしながら、その時流行っていた歌を歌っていたのが、自分で積極的に音楽を始めた最初です。

 

――高校では?

  高校もそんな感じです。バンドは組みませんでした。音楽的に趣味の合う人がそんなにいなかったんです。

 

――どんな趣味だったのですか?

  僕らが中学三年生、1979年、80年ぐらいは日本ではテクノブームでした。YMOとかプラスチックス、P-MODELとか、それにどっぷりはまりました。ただ、テクノの中でもYMOではなく、ヒカシューだったんですね。ちょっと異端の方かもしれません。

 

 高校生の時にはテクノのようなバンドをやりたいと思っていたのですが、やりたいやつが周りにいませんでした。普段は面白がって一緒に音を出してくれてはいたのですが、高校の学園祭となると、ハードロックとか、もっと「もてそうな音楽」をみんなやりたがる。「変わった音楽をやる尾引はちょっと・・・」と一緒にやってもらえなかったんです(笑)。

 

――大学でも?

  大学に入って音楽のサークルに入ろうかなと思ったのですが、あまり魅力的なサークルがなく、友だちに誘われるままに放送研究会に入りました。放送研究会には音楽好きが大勢いて、また大学だと色んなところから色んな人が集まっているので、音楽的に趣味のあうやつを見つけることができたわけです。ちょっと主流ではない音楽なので、よけいに仲良くなりますよね。そこでようやく自分のバンドをつくることができました。

 

――テクノですか?

  テクノというより、ニューウエーブですね。僕は主にボーカルを担当し、オリジナル曲をやっていました。曲を作るとか、詩を書くとか、自分ではできないと思っていたのですが、バンドをやるようになってメンバーが作っているのをみると、「なんだ、簡単じゃん」と思い、作り始めたら曲作りも面白くなってきたわけです。詩を書くのは実はあまり得意ではなかったのですが。

 

小金井でのコンサートで
小金井でのコンサートで

――大学卒業後もバイトをしながら音楽を続けていたそうですが、ホーメイにはどのように出会ったのですか?

  ホーメイとの出会いは・・・。ボーカリストなのでもともと声にはすごく興味がありました。そしてさきほどもちょっと出てきましたがヒカシューのボーカル、巻上公一さんがすごく好きだったのです。巻上さんの声は独特で、かつ独特の歌唱法です。音楽を自分でやりたいと思ったのは、ヒカシューとの出会いと言ってよいと思います。

 

 自分でロックバンドやニューウエーブのようなバンドを組んだり、解散したりしていたのですが、そうこうするうちに「こんなことを続けていても、一生このままかな」と思うようになったり、ライブハウスにおカネを払って出演して、バンドを組んだ最初の頃は「尾引が新しいことを始めた」と言って聴きに来てくれるのですが、みんな友だちとかですから。何回もライブを繰り返すうちにそういう観客も減っていったりする。一方、コンテストに出るのは僕はあまり気が向かなかった。

 

 それで「このままやっていてもなあ」という思いが続いていた頃、しばらく忘れていたヒカシューの巻上公一さんのチラシをたまたま見たのです。ボイスパフォーマンスというワークショップのチラシでした。

 

 それまでも、もともと声には興味があり、モンゴルに「ホーミー」という同時に二つの声を出す音楽があるというのを聞いて「一体、どんなものだろう」と、CDを聞いてみたりはしたのですが、その時点で自分がこれをやろうとは全然考えていませんでした。真似はしてみましたが、それが自分の音楽の中心になるとはとても思わなかった。

 

 巻上さんのボイスパフォーマンスのチラシに「トゥバ共和国のホーメイなどを取り入れ」と書いてあり、ホーメイとはモンゴルのホーミーと似たものなのかな、同じなのかなと思った。

 

 でもとにかく、自分が音楽家としてどうしていいか分からなくなった時にそのチラシを見たので、「これに参加したら何か自分の中で変化が起きるかもしれない」と考え、参加したのです。今まで僕は音楽学校に行ったこともないし、人に音楽を習ったこともありませんでした。少し勇気を出して行ってみようと思ったわけです。

 

 自分の大好きだったヒカシューの巻上公一さんがいろいろな声を出すなかでホーメイをやっているのを聞いた時に、「あっ、あの巻上さんがこんなことをやっている」と。自分にとってホーメイが身近になった気がしました。

 

 そして巻上さんがトゥバからホーメイ歌手を日本に招いてコンサートを開き、そのホーメイを聴いた時に、完全にノックアウトされました。こんなカッコ良い音楽が世の中にあるんだ、と。

 

 それでどんどんとホーメイに方に自分が傾倒していきます。当時はロックバンドもやっていて、そこでホーメイとか口琴を取り入れるようにしたのですが、メンバーがあまりそれを喜んでいないんですね(笑)。

 

 しかし、どんどんホーメイ、口琴という倍音の世界に引き込まれました。僕が一番興味をもっているものを受け入れてくれない人と一緒にバンドをやっていてもまるで意味がないと考え、その時のバンドは解散しました。頼まれてやっていたわけではありませんしね。

 

――口琴も倍音がきっかけなのですか?

  そうです。口琴も最初、巻上さんから存在を教えてもらいました。口琴は世界中に広がっている楽器です。日本でもアイヌ民族の伝統楽器ムックリがあります。江戸時代には江戸でも流行ったそうです。

 

 ホーメイに関心があると、自分のアンテナがそっちの方に向くのですね。口琴をつくっている人にたまたま会ったこともありました。口琴が好きになり、口琴で夢中になって遊んでいるうちに習得していきました。口琴がすごく盛んな(ロシア連邦共和国)サハ共和国の教則ビデオがあるのですが、それを買って研究しました。あまり人に教わったという記憶はないですね。

 

――倍音好きな4人で1999年に結成したユニット「倍音S」はどうやって誕生したのですか?

  巻上さんが呼んだホーメイ歌手によるワークショップ「ホーメイを習いに行こう」という場で出会ったのです。その頃、ちょっとしたホーメイブームで70人ぐらいが集まったのですが、目だった人たちと声を掛け合い、次の日には4人で結成していました。

 

 全体のワークショップが終わった後、「個人レッスンも相談すればできるかもしれません。ホテルに行っておカネを払って、個人レッスンを受けたい人いますか」と聞かれた時、はいっと手を挙げたのがこの4人でした。

 

――翌年の夏にはトゥバ共和国に行かれたわけですね。

  はい。巻上さんは、ホーメイを日本に広めたい気持ちがすごく強くて、日本とトゥバのパイプ役をやっています。その年に巻上さんと行くトゥバ・ツワーみたいなものがあり、倍音Sのメンバー全員で参加しました。

 

――現地でのコンテストでグループ部門第2位、尾引さんは個人部門で観客賞を受賞されました。

  そうですね。観客賞をもらいましたね。良く分かりませんが、観客の反応が良かったということでしょうか。グループでやった時はトゥバの曲を1曲と、倍音Sでやっていた「倍音Sのテーマ」をやりました。個人では、インプロビゼーションでホーメイをやりました。

 

――倍音Sは今は?

  メンバーが次第に辞めていき、僕以外は全員辞めてしまったので、今は一人です。

 

  音楽性の違いとか、家庭の事情とか。倍音Sがツアーとか行くようになり忙しくなり、仕事と両立できないといった理由です。

 

 ということでずっと一人で「倍音S」をやっているのですが、ただ、一人で「倍音S」と言い続けるのもどうかなと、ちょっと思ってもいますが。

 

――ホーメイや口琴の倍音の魅力とは何でしょうか?

   うーん、言葉ではなかなか難しいですね。そうですね、まずは気持ち良いということですね。そして不思議な感じがすることです。

 

――「あいのてさん」の活動のほかは、日頃はどんなことを?

  他のユニットに参加していることもありますし、一人でライブをやったりしてもいます。バンドをやっていた頃には音楽はバンドでやるものだと思っていたのですが、倍音Sでメンバーが次第にいなくなっていく時、すごく心細かったのですが、でも一人でもできると信じてやっているうちに、一人が結構楽しくなっていきました。一人であっちこっちに旅しながら毎日ソロのライブをしていた時期もありましたね。

 

――ところで小さいころはどんな子どもでしたか?

  うーん、音楽は好きでしたが、学校の成績は普通。やはり音楽好きの姉はピアノを習っていましたが、僕は習いませんでした。ただ、リコーダーだけは上手くなりたくて一生懸命に練習したことは覚えています。叔父さんが実家のすぐ近くの蛇の目ミシン工場に務めていたので、その敷地の中にある広い庭に入れてもらい、よく遊んでいました。(終わり)

「こがねいコンパス」16号(2012年11月3日更新)

 

尾引浩志(おびき・ひろし)さんのプロフィール

 1965年2月生まれ。尾引家は祖父の代に栃木から小金井へ。祖父が始めた「尾引石材店」は叔父が引き継いでいたが2012年に惜しまれつつ閉店。

 

 小金井市生まれ育ちで、一時期、吉祥寺で暮らしていたこともあるが現在は小金井市本町に在住。妻、小学生の男の子との3人家族。

 

 ホーメイ、口琴、イギル演奏家。1999年に倍音楽団「倍音S」を結成。音楽劇「コーカサスの白墨の輪」(2005年)、「コクーン歌舞伎」(2006年)など舞台の演奏でも活動。2006年度にはNHK教育テレビで異色の幼児向け音楽番組「あいのて」に、音の精=あいのてさんとしてレギュラー出演した。番組終了後も音楽ユニット「あいのてさん」として全国各地や海外で活動を続けるほか、ソロのライブ・ワークショップや、様々なジャンルのアーティストとのコラボレーションも数多くこなしている。  

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

写真をクリックすると大きくなります
写真をクリックすると大きくなります
全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 5.3 MB

こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから

小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

こちらから

メルマガ登録をどうぞ!

「こがねいコンパス」からのメルマガをご希望の方は以下にメールアドレスをご入力ください。新しい「市政フラッシュ」の掲載や、次号の主な内容などについてご連絡します。

コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

 ご連絡は koganeicompass@gmail.com まで。