変える 試みる 小金井の人たち    file36-1

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音楽家・クラリネット奏者にして

「シカラムータ」「ジンタらムータ」のリーダー・大熊ワタルさん(前編)


ある時は大震災の被災地で、ある時は東チモールの独立記念式典で、またある時は脱原発パレードの先頭で――。

現代社会の問題と真正面から切りむすびながら、自らの音楽表現の領域を広げて行く。権力に押しつぶされそうな弱い市民の側に立ち、音楽によって鼓舞し、励まし、勇気を与える異色の鬼才が、この人。「路上の音楽家」にこだわり続けるのはなぜか。なぜデモに関わり続けようとするのか。ロングインタビューの第1回です。


――小金井市内では「さよなら原発パレード」や、今年(2015年)3月の市民交流センター(宮地楽器ホール)前での「小金井平和の日・市民イベント」で楽隊をやっていただき、市民にとってはとても心強い存在です。デモやパレードを盛り上げる役割を引き受けてこられた例としては、「3・11」から1か月後の4月10日に行われた「高円寺・原発やめろデモ」が有名ですが、あれが初めてだったのですか。


いえ。90年代後半、有事法制や日米ガイドライン改定が問題になっていたころ、知り合いがそういうデモとか抗議集会とかをやっていて、頼まれてデモでチンドンやったのが初めてですかね。


――その時は「ジンタらムータ」と名乗っていたのですか?


まだデモでは何も名乗らずにやっていました。


――大熊さんと知り合いのミュージシャンで、という形ですか。


そうですね。(パートナーで太鼓を担当している)みわちゃん(=こぐれみわぞうさん)に頼みましたね。みわぞうはその頃は、そんなのにまったく興味がなくて、僕が平身低頭してお願いして(笑い)。


熱唱している、こぐれみわぞうさん。左でクラリネットを吹いているのが大熊ワタルさん。
熱唱している、こぐれみわぞうさん。左でクラリネットを吹いているのが大熊ワタルさん。



――へえ・・。では「ジンタらムータ」はいつから?


「ジンタらムータ」というのは、シカラムータ(注)の別ユニットなんですね。最初はライブハウスなどで、シカラムータのメンバーが全員集まらなくても、もっとチンドンベースな・・・そのとき来れる人間で、フットワークの軽いサブユニットをやりたいなと思ったのがきっかけです。


(注)シカラムータ:大熊さんは1994年、クラリネット奏者として自己のグループ「大熊亘ユニット」を始動。97年に「CICALA-MVTA(シカラムータ)」と命名する。名前は、戦前の大道演歌師・添田唖蝉坊の墓碑銘にちなんでいる。「アバンギャルドとチンドンのストリート魂が絶妙にシェイクされた大熊ワタルのクラリネットに、サックス、ヴァイオリン、ギター、トロンボーン、テューバやドラムが刺激的かつ絶妙に絡む」「ロック、ジャズやトラッドと、あらゆるジャンルの垣根は完璧に踏みにじられ、シカラムータの破壊/再生のメリー・ゴーラウンドに乗って、すべては爆笑と号泣の渦に巻き込まれていく」などと評され、その音楽活動は国内外で大きな反響を呼んでいる。


ただ、シカラムータは、メンバーの(政治への)スタンスもあるので、基本的にはそういう政治的な集会にはでません。なんというか・・・(ジンタらムータは)チンドンの原点にある「路上の音楽隊」といいますか。


チンドン屋の面白いところは――少し話が飛びますが――路上の楽隊というのは世界中にあるのですが、宣伝を請け負って演奏するというのは、他にないみたいですね。


それはそれとして面白いのですが、僕はチンドンで10年近くやっていて、パチンコ屋の宣伝とかばっかりなんですね。それは少し残念な気がして、チンドンの面白さを、そのあり方から解放して、デモを賑やかにするのに役立てる――。


まあ、デモじゃなくてもいいんですが、本来は商店街とか祭りを賑やかすといった用途があったのですが、次第に特定のクライアントに頼まれた仕事をするという、ある意味で「先細り」になっていたのです。音楽的にも、業態的にも、ちょっと解放されたチンドンがあったらいいなとずっと夢想していたのです。


それで、デモや集会にも頼まれるようになってきて「あっ、これはチンドン音楽の新しい領域だな」というか、むしろそのために(チンドンの)ポテンシャルがあったんじゃないかという気がすごくしたんです。


――4月10日の高円寺での反原発デモの時には、どなたに頼まれたんですか?


主催者が友人で、相談を受けていたんですね。「何かできますかね?」と振られたのですが、僕はあまり時間もなかったので、どのくらいのことができるか自信がなかったんです。でも、その時は、みわぞうが急にスイッチが入って、知り合い中にどんどん連絡をとったんですね。


――なぜでしょう?


彼女は、あの3・11でものすごく危機感を感じたようですね。「これは何かやらないと殺されちゃう」と。その時は、むしろみわぞうがすごく活躍しましたね。


――高円寺に1万5000人が集まるという驚異的なイベントになりましたね。


ええ。あの人数はだれも予想してませんでしたね。直前のツイッターへの反応がよかったので、「3000人ぐらい行くかな」と思っていたぐらいでした。あとで聞いた話ですが、デモの届け出を警察署に申請する時に(集まる人数は)「1000人から2000人くらい」と説明すると、杉並署の担当署員に鼻で笑われ、「君たちの実力だったら500人ぐらい」と言われたそうです。


――あれが「3・11」が起きた後の初めての大きなデモだったのでしょうか? 3・11直後はあまりの被害の大きさに茫然自失という空気が漂っていたような気がします。


そうですね。個別には東電本社の前で抗議活動をしていた人たちもいましたが、面的な広がりをもった大きなアピールとしては4・10が初めてだったかもしれません。

2011年4月10日の高円寺・反原発デモ
2011年4月10日の高円寺・反原発デモ

――あるインタビュー記事で大熊さんは当時の思いをこう話されています。

《強く思ったのは、メディアや政府の情報のコントロールへの怒りだよね。本当に腹が立った。音楽に対しても、どうやっていいかわからない時期があった。震災の後、三月の下旬に前から決まっていたライヴをやったんだけど、ライヴハウスで。その時は曲を変更して東北の民謡を入れたりして。でも全然やった気になれなかった。圧倒的に世の中は変わってしまったから、ライヴハウスの中でやってることにリアリティが感じられない。音を鳴らしても、外の世界と乖離してる感覚というか。とにかく息苦しかったんですよね》。

ライブをやるという感じではなかったんですか?


そうです。吉祥寺でライブをやったんですが、やった気に全然なれなかったですね。


――なぜでしょう?


うーん。それはもう圧倒的な状況でしたからね。個別にやっていてもラチが明かない。そんな気分でした。横のつながりが必要でした。


――「4・10デモ」は、多くの人が「横のつながり」が確認できた最初の一歩ということで大きな意味をもったのかもしれませんね。


そうでしょうね。


――あの時は『不屈の民』とか『平和に生きる権利』を演奏されたんですよね。この選曲の意味は?

(注)『不屈の民』:1973年、労働者階級から支持されたアジェンデ政権下のチリで生まれ、同年、ピノチェト率いる軍部のクーデターによって軍政が敷かれた後は、独裁政権と闘うラテン・アメリカの民衆の“革命の歌”となり、今では世界中の社会運動で歌われている。

  『平和に生きる権利』:チリの「新しい歌」を代表する歌い手ヴィクトル・ハラが、1971年4月に発表した曲。ベトナム戦争に反対し、世界中の全ての民族が有する「平和に生きる権利」を訴えている。ハラは1973年9月11日に軍事クーデターが起こった直後、収容されたサンティアゴ市内のスタジアムで殺害された


4・10は抗議の場でしたから、僕らにとってのプロテストソングの定番を選びました。メロディーが力強く、知らない人でも共感しやすい曲ですし。


――『平和に生きる権利』は、3月の小金井平和の日・市民イベントでも演奏されました。この曲との出会いは?


初めて聞いたのは、80年代後半ですね。ヴィクトル・ハラのレコードを友人に紹介されて知ったんですね。ただ、その時は感銘は受けたのですが、自分がやろうとは思っていませんでした。もうちょっとのんきな時代だったのかもしれません。


――『平和に生きる権利』は、「ソウル・フラワー・ユニオン」の中川敬さんが歌詞をつけて歌っていますね。


そう・・。そこに至る間には僕もちょっと関与していますね。A-Musik(アー・ムジーク)という、竹田賢一さんがリーダーのバンドがあり――竹田さんというのはポスト全共闘世代の音楽家・批評家で、社会的な問題と音楽を結び付けてずっとやってきて、坂本龍一さんとも古い仲間なのですが――彼のプロジェクトで古今東西のプロテストソングをやったりしていました。


それの流れで、中川君のボーカルで『平和に生きる権利』をやろうというアイデアが出たのです。ただ、彼は彼で、すでにやっていて、A-Musikを(自分のコンサートに)ゲストとして呼んだりしてイメージの交換はあったのですね。90年頃ですね。


――『平和の生きる権利』というのは、70年代のベトナム戦争をテーマにした歌なんですね。テーマの割には、非常に大衆的な、なじみやすいメロディーですね。


そうですね。ヴィクトル・ハラは、世界で初めて選挙で樹立された社会民主主義のチリ・アジェンダ政権の下、「ヌエバ・カンシオン」、つまり「新しい歌」運動に取り組んでいました。これは日本のニューミュージックとは180度違っていて、民謡とかフォークロアを掘り起こして、リニューアルしていくというムーヴメントでした。それがとてもポピュラリティ(大衆的人気)をもっていたのです。


――新しいアイデンティティ探しだったのでしょうか?


新しい、というよりは自分たちのルーツを掘り起こし、欧米的な価値観と対抗するために編み直していく。そんなベクトルだったのでしょう。その中で『平和に生きる権利』は数少ないオリジナル曲だったのです。フォークロア的な風合いをたたえた、新しい歌ですね。


――ところで、デモやパレードに参加してみて感じるのは、音楽があるのとないのではずいぶんと印象が違うな、ということです。つまり、ノボリ旗が林立し、街宣車から鋭い声ばかりが流れているだけだと、そのグループに参加していない市民からは、ある「距離」があるような感じを受けるのですが、そこに音楽があるとぐっと親近感を増すような印象を受けます。


僕もずっとデモというものに興味はありましたが、入りずらい何かを感じていました。97年に友人たちが誘ってくれた時に、その意味で違うものになればいいなと思ったのです。誰でも「ちょっと入ってみたいな」と思うような。その可能性も感じてはいたのです。


――デモへの敷居が高くなり、入るには覚悟が求められていると感じられる今、チンドンの音楽の祝祭性がそれを乗り越える可能性を持っているということでしょうか。


「政(まつ)りごと」と、祭りごとを無理やりかもしれませんが、よりあわせているのかもしれません。


――デモには、マーチング・バンドよりも、むしろチンドンの方がふさわしいような気がします。


ええ、力こぶを脱臼させるというか(笑い)。マーチはもともと軍隊の行進ですからマッチョになりやすいのですね。それは対峙している警官とかにとってもマッチョなイメージで、どんどん(空気が)硬直していくと思うんです。やっている方も強い音を出そうとすると、どうしても力ずくになりがちです。


チンドンとか、僕たちが出会った音楽は「風景」になる音。ねじ伏せるのではなく、共存できる音だと思います。なおかつ、遠くに届く。そういうものを感じていました。


(デモの周囲を)たまたま通りを歩いている人とか、下手をすると「迷惑だな、この人たちは」と見ている人。そうした人たちにもちょっと耳を開かせる――。そういったものでありたいと思っています。


(前編終わり)

こがねいコンパス第71号(2015年6月13日更新)


大熊ワタルさんのプロフィール

1960年、広島県三原市生まれ。学生時代にバンド「絶対零度」に参加、音楽活動を始める。 

1983年、「ルナパーク・アンサンブル」での活動開始。1985年、映画「山谷(ヤマ)やられたらやりかえせ」に篠田昌已氏と音楽提供。この頃、篠田氏を通じてチンドン屋の世界に触れ、街頭でクラリネット修行を開始。


1994年、クラリネット奏者として自己のグループを始動、97年、「シカラムータ」と命名。 この頃より「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」「ソウル・フラワー・ユニオン」に参加。大震災の神戸被災地などにモノノケサミットで多数の演奏(大阪市「咲くやこの花賞」受賞)。1999年、映画「豚の報い」(崔洋一監督)音楽担当。

 

2000年、シカラムータで 6週間、8カ国にわたるヨーロッパツアー。2004年、モノノケ・サミットでフランスツアー、東ティモール独立記念式典に参加。2007年、 映画『サイドカーに犬』(根岸吉太郎監督)音楽担当。 2010年、 東京で沖縄の基地問題などを考える音楽イベント「沖縄~東京 ピースカーニバル2010」主催。2011年、 「3・11」後、ジンタらムータで、4・10高円寺など反原発デモ・イベントに積極的に参加。大きな反響を呼ぶ。2015年、6月、ニューヨークで開催のナショナル・イーディッシュ・シアター(現存最古のユダヤ文化劇場)100周年のフェスティバルにジンタらムータで招待参加(非ユダヤ系としては唯一)。東京都小金井市在住。


 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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