1号 koganeist(K)市内坂下に住む元々5歳男子の母の夫。
2号 folkway(F)市内坂上に住むムジナ。
【ゲスト】
坂翁(さかおう) 本名・中川湊さん。1932年(昭和7)長野県生まれ。1970年より小金井市に在住。金融機関退職前から坂の魅力に取り憑かれて25年、これまで都内を中心に約1200の坂を制覇。ひとつひとつの坂を丹念に記録し、地形や坂の由来などに詳しい。『坂の途中で会いましょう』では、第11回「三楽の坂、そして坂翁登場」の取材中に運命的な出会いを果たし、第12回「坂翁に訊け!」でロングインタビューを掲載した。“坂翁”というのは、出会った直後から誰ともなく敬意を込めて呼び始めた。
K「ふぅ、やっと終わりました」
F「やっと連載終了? やったー!」
K「違いますよっ。10月13日に開催した、1周年記念公開イベント「坂翁に訊け! ~坂を巡ると見えてくる! 秘話満載の地元再発見ストーリー~」のことですよ」
F「な~んだ」
K「な~んだ、じゃないよ。連載1回費やして予告したでしょ」
F「そうだっけ」
K「秋晴れの空の下、西小金井は三楽集会所に集まった30名以上の坂好きの善男善女が、“坂翁”こと中川湊さん(小金井市内在住)の自在な語りに、目くるめくひとときを過ごしましたよ」
F「説明的だね」
K「説明、もう少し続けます。プログラム前半は、われわれが未公開写真を織り交ぜながらこれまでの連載を振り返り、後半から坂翁が登場、縦横無尽に坂を語っていただきました。今回は、後半の「坂翁に訊け!」の前篇をご紹介します」
F「わかりにくいね」
K「だったら、代わりに説明してくださいよっ(怒)」
前振りはこれくらいにしておいて、イベント報告のはじまりはじまり……
●坂翁登場
坂翁「みなさん、こんにちは。こんな真っ青な空の下で、みなさんと一緒に遊ばしてもらうのは、嬉しいです。楽しいです。いや~、まぶしいですね~」
K「プロジェクターの光が直撃してますが……」
坂翁「ああ、道理でまぶしいわけですね。
ええと、私は中川湊と言いまして、苗字は川に関係して、名前は「湊」で海寄りなんですが、じつは山国の育ちなんです。だから、名前と人物は一致しないものなんですね。
そして実は私は、別名コレなんですよ。なんでしょう、コレ?」
F「……なんすか、ソレ」
坂翁「盃、さかずき、なんです」
(会場より「面白い!」のかけ声)
坂翁「女流作家で「♪めぐる盃~」(荒城の月)を「眠る盃」と思い込んでしまった人がいましたが。向田邦子さんですね(『眠る盃』講談社文庫)。
今日は女性も多いようですが、東京にはやりくり坂というのがあります。今日は私の話を聞いて、消費税があと3%上がったらどうやりくりしようかと考えていただければと思います」
●「私を魅了し続ける東京の名坂ベスト10」
F「はい、では本篇に入ります。坂翁に「私を魅了し続ける東京の名坂ベスト10」を選んでいただきました。でも、ベスト10とは言っても、全部好きなので、どれが1位でも10位でもかまわないということです。というわけで、まず1から順番にお話しいただきたいと思います」
坂翁「ほんとは、僕は、これから並べるいくつかの坂よりも、もっと別の坂が好きなんですよ」
K「えっ?」
坂翁「それは最後にお話ししますから、みなさん帰らないでくださいね。では順番に参りましょう」
《坂翁が選んだ東京の名坂ベスト10》
①汐見坂(千代田区)
②三宅坂(千代田区)
③鷺坂(文京区)
④団子坂(文京区)
⑤道源寺坂(港区)
⑥十貫坂(中野区)
⑦梯子坂(新宿区)
⑧胸突坂(文京区)
⑨此経難持坂(大田区)
⑩たまらん坂(国立市)
①汐見坂(潮見坂、塩見坂/千代田区)
坂翁「まずこの坂、みなさんご存じですか。東京の真ん中にある江戸城の東側、東御苑にあります。ここが一般公開されて、この汐見坂も見られるようになりました。
この坂の上から見ると日比谷の町の先の海まで見えたということで、この名前が付けられたそうです。ちなみに、この横にはお堀があって水が湛えてあります。
この坂の右の方には梅林坂というのもあって、写真好きな方は三脚を立てて写していますね」
K「坂翁の写真は、全部このように裏側に綿密にメモが取られています」
F「読めないくらい綿密ですね!」
K「ほめてます?」
坂翁「「我庵(いお)は松原つづき海近く 富士の高嶺を軒端にぞ見る」
これは、江戸城を作った太田道灌の歌です。この坂から富士山が見えたということですね。
東京には富士山が見えた坂はたくさんありまして、だいたい17~18の富士見坂というのがあります。最近、富士山の見える最後の富士見坂が消えたそうですが、それは森まゆみさんが書かれている「谷根千」の近く、道灌山のほうにあります。
高層ビルができるというので、その町の人は反対したけれど、けっきょくできちゃったので、富士見坂ではなくビル見坂になっちゃいました」
②三宅坂(千代田区)
坂翁「これはぼくの好きな坂です。三宅坂といって、東御苑の反対側、つまりぐるっと回って、小金井に近い側ですから、東に対して……ええと……西か」
F「東の反対は西ですよ」
K(方角には弱いのかな……)
坂翁「フランスの有名な詩人で外交官だったポール・クローデルが勤めていた大使館が九段坂の近くにあって、ここから見た景色が最高だというので、毎日この周りを歩いたそうです。たぶん石垣を見て気に入ったんでしょうね。外国にはあまりこういう石垣がないのかもしれません」
③鷺坂(文京区)
坂翁「ああ、この坂は一番最初に二岡さんに会ったときに……」
FK「二岡さん?」
坂翁「いやあ。隊長と副隊長に初めてお会いしたときに、お二人ともご出身が「岡」に関係あると聞いたんで。うっかりすると二岡さんと覚えちゃうんです」
F「どうもー、岡山で~す」
K「静岡で~す」
FK「二人合わせ……」
坂翁「それで、二岡さんにお会いしたときに、鼠坂をご存じですか、と聞いたんですね」
FK(スルーかよ!)
坂翁「そうしたら、副隊長さんが「知ってます」とおっしゃった。その鼠坂のちょっと先の方にあるのが、この鷺坂です。
ちなみに鼠坂というのは東京に3か所あって、一つはこの文京区、もう一つは島崎藤村が一時住んでいたという飯倉(港区)の方です。あとの一本は、ぼくがたまたま転勤で市ヶ谷のほうに勤めていたときに、大日本印刷の裏の方にありました。
さて、この鷺坂ですが、坂下から上がっていくと、きゅっと曲がって、くっと上がっていく坂です」
K「きゅっ? くっ?」
坂翁「何か他に説明は要りますか」
F「え? 説明? いえ、いいです。次行っていいですか?」
坂翁「よし、じゃあ次に行っちゃいましょう」
④団子坂(文京区)
坂翁「団子坂は、坂の途中にお団子屋さんがあったので、この名前で呼ばれています。同じ団子坂でも、団子がころころ転がるくらい、というので団子坂と言われているところもあって、名前の由来もいろいろですね。
薬缶(やかん)が転がるので薬缶坂というのもありますよ」
K「薬缶って転がるんですか」
F「さあ……」
⑤道源寺坂(港区)
坂翁「これは、道源寺坂です。皆さんも小説で読んだかもしれませんが、永井荷風が一時住んでいた家があったところです。ペンキ塗りの建物だったので偏奇(へんき)館と名づけられていましたが、戦災で焼けてしまいました。
その偏奇館の近くにあるのがこの道源寺坂で、風情のあるなかなかいい坂ですね」
⑥十貫坂(中野区・杉並区)
K「次は十貫坂です」
坂翁「はあ?」
F「……ご存じありませんか」
坂翁「ああ。カーブしている坂なんですが、このカーブが、小金井の質屋坂とも似ています」
(会場「似てる、似てる」)
坂翁「質屋坂は、曲がり方が農作業で使う鎌に似ているというので、別名「鎌坂」とも呼ばれますね。埼玉県の志木からずっと鎌倉のほうまで、人々が行ったり来たりした志木街道というのがありますが、質屋坂は志木街道で一番高低差のある坂として有名なんです。
この十貫坂は中野区と杉並区の境にあって、昔の金持ちが10貫文(銭10,000枚)のお金を瓶に入れて、この土地に埋めて隠したそうです。鍋屋横丁という有名な繁華街のそばですね。
質屋坂に似てるなあ、と思ったんで、ひとつ入れてみました。それだけのことなんです(笑)」
F「それだけでベスト10入りですか」
K「質屋坂の説明のほうが詳しかった気がします」
F(質屋坂の方をベスト10に入れれば……)
⑦梯子坂(新宿区)
坂翁「松本泰生さんという方の『東京の階段』(日本文芸社)という本があります。東京中の階段を廻って書いた本ですが、その表紙に使われているのがこの梯子坂です。
上るときに途中で一休みできるように、「おどり場」があります」
K「坂翁、おどって見せてくれてます」
坂翁「階段の寸法は高すぎても低すぎてもいけないので、蹴上げ(上面)は23センチ以下、踏み面(奥行き)は15センチ以上にしなきゃいけないと決まっているそうです(住宅用)。こないだ役所に行って聞いてみたけど、よく知らないみたい。
ちなみに、これに関係するんですが…いや関係しないかもしれないけど……」
F「どっちなんですか」
坂翁「愛宕山でも何でも、上っていくのに階段がのっぺらぼうだといけないので、「雁木」と呼ばれる丸太ん棒を設置した坂があって、雁木坂と呼ばれますが、これも東京中にあります」
⑧胸突坂(文京区)
坂翁「これは胸突坂といって、皆さんも行ったことがあるかもしれません。
わかりやすくいうと目白の田中角栄さんのお宅の近くで、写真では右側が細川家の永青文庫です。
下った突き当たりには神田川があって、水の神様が祀ってある水神社や、松尾芭蕉の関口芭蕉庵もあります。古池やかわずとびこむ水の音、という有名な句の由来になった池もあります」
⑨此経難持坂(池上本門寺・大田区)
F「次は……副隊長どうぞ」
K「自分が読めないからって人に振らないでくださいよ」
F「で、読めるの」
K「……読めません」
坂翁「これは「し・きょう・なん・じ」坂と読みます。法華経に偈文(げぶん)というのがあって、これが96文字から成っているそうですが、それにちなんで96段あります。この石段は加藤清正が寄進したといわれています。上の方には力道山のお墓があって、桜の名所なので僕も2~3回行ったことがありますよ。
坂の名前というのは、非常にカンタンに富士見坂とか付けられたのも多いですが、此経難持坂なんていうのは、ちょっとわかりませんね。
僕の好きなのでは二合半坂というのがあります。その坂下に酒屋を開いて「二合半まで飲んだら、それ以上飲ませません」というお店を作れば、儲かるんじゃないかと思います」
K「……儲かるでしょうか」
坂翁「話が飛びますが、新聞を見てたら、関西の方では酒で乾杯するそうですね。東京にはビール坂なんてのもありますが。
……どうも話が横に行っちゃっていけません。坂の話になると元気が出ちゃって」
F「元気が一番ですよ」
⑩たまらん坂(多摩蘭坂/国立市)
坂翁「これは小金井の西、西小金井よりももっと西の方です。
評論家の川本三郎さんが、東京の西の方ではたまらん坂というのが有名だと書いていますが、忌野清志郎さんが「多摩蘭坂」という歌を作ったので、知られるようになりましたね。清志郎さん自身は国立駅の北側に住んでいたそうですが、この坂は南側にあります。
たまらん坂というのは、昔、東京商科大学(今の一橋大学)の学生が、国分寺から来るときに、雨の日などはつるつる滑って「たまらんな~」と。地元の人や商売をやる人も「これではたまらん」というところからついた名前らしいですね」
K「つけたもん勝ちみたいな名前ですね」
坂翁「でも実は、別の話もあります。坂の途中に大学生が下宿していて、そこを通って坂を上がっていった女学生が坂上でコスモスの花を愛でていたら、下宿の2階からお嬢さん方のあれが見えちゃうらしんだよね。それで、「あ~、こりゃたまらん!」と」
F「坂翁、たしかに元気になっちゃってます」
K「ちなみに、写真の裏には地図が書いてありますね」
坂翁「坂の上から下まで行くだけじゃなくて、坂の途中を右に左に行ってみるとどうなるかというのが、探検隊ならではの遊びかもしれませんね」
K「あれ? もうベスト10まで終わりましたね」
F「以上、「私を魅了し続ける東京の名坂ベスト10」でした。坂翁、どうもありがとうございました! パチパチパチパチ」
(会場(ザワザワ))
F「え?」
K「えっと、まだ、坂翁の「本当に好きな坂」が登場してませんよ」
F「ああ」
K「ああ。じゃないでしょ」
坂翁「つづきは次回の番外篇でお話ししましょう。乞うご期待!」
FK「司会ありがとうございます!」
●というわけで、以下、後篇に続きます。