3.11後の脱原発をめぐって国会周辺で金曜日夕方に行われている反対派の市民デモにする議論が活発に繰り広げられている。
原発擁護の保守系マスコミを中心に「首相は正体の分からない市民代表と会う必要はない」とか、雑誌などで反対派「リーダーの素性」で個人攻撃をしている。根拠が情緒的と感じるのは筆者だけだろうか。
一方、反対派も雑多な人々だから仕方がないのだが、一本通った「主張」のようなものがなかなか見当たらない気もする。この現象、少しズームを引いて、しっかりした枠組みを土台に据えて冷静に考えてみたい。
3.11から4カ月後の昨年7月12日、放射能汚染による子どもの健康への影響や、食の安全などに不安を抱える子育て世代が「子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク」結成集会を千代田区で開いた=写真。
幼い子連れの女性らを中心に約500人が参加。集会後半には、それぞれの居住地毎にグループに分かれて抱えている問題を出し合うなどして、会場は熱気に包まれた。
会は最後に放射能汚染の不安が全国に広がっているとして、汚染データなどの情報を共有し、互いにつながることで「子どもたちを自分たちの手で守るために行動しよう」との設立宣言を採択した。草の根の運動による、初の全国的ネットワークの設立だった。
乳飲み子を抱っこして参加していた若いママさんは、iPadを筆者に示しながら、「海外の友人からもこんな情報が入っている。日本政府の言うことは全然信用できない。粉ミルクは3.11以前のものしか使っていません。今日は自分だけが不安を感じているのではないことが分かって嬉しかった」と興奮気味に語ってくれた。切羽詰まった母親の感情をストレートにぶつけてきたのが新鮮だった。
筆者がこの時感じたのは「これはママたちによる革命であり、大正のコメ騒動や、戦後の杉並の主婦が中心となった原水爆実験禁止署名運動に匹敵する運動に発展するのではないか」という勘だった。
今年4月に、その勘が具体化したようなミニコミが誕生した。その名も「ママレボ mom‘s Revolution」(隔月発行、公称2千部)だ=写真。
編集責任者でフリーライターの和田秀子さんは創刊号で「今後『みんなが安心して暮らせる世界を作る』ために今こそアクションを起こさなければならない」「今、もっとも大きな声をあげ、アクションを起こしているのは、子どもを持つママたちです。『子どもを守りたい』『未来を守りたい』というママの愛で世界を変えよう」と発刊の意義を宣言している。
ソ連・東欧の社会主義体制の崩壊で、「レボリューション」という言葉は死語と化したと思っていた。
確かに世界最初のソビエト誕生をルポルタージュした「世界を揺るがした10日間」(J・リード)で描かれたような派手な革命ドラマはもはや幻想でしかない。
しかし、ママレボの話を聞いて、1970年代初頭に発表された、米政治学者ロナルド・イングルハートの「静かな革命」という有名な政治学論文を思い出した。(注1)
イングルハートは、1968年のフランス5月革命がなぜ起こったのかを問題意識に持った。当時はベトナム反戦運動の昂揚期で、欧米でスチューデントパワーが吹き荒れた時代だ。戦後欧州の経済高成長を背景に、雇用や生存のための「経済的価値よりも、表現の自由・政治参加など「ポストブルジョア的価値」を重視する戦後生まれの高学歴の団塊世代が増加したことが原因であると分析した。
欧州6カ国(英、独、仏、オランダ、イタリア、ベルギー)の世論調査を駆使し、脱工業社会における世代間の価値シフト=「静かな革命」が進行しつつあることを明らかにした実証研究を行った。
当時、日本でもこの論文は政治学の世界でもてはやされた。イングルハートは、このシフトは「今後20年続く」と書いている。
イングルハートのいう高学歴について大学進学率でみると、日本では実は1970年は17%だった。その後1970年代から90年までは20%台で推移したが、バブルを経て94年には30%台に乗せた。その後も上昇は止まらず2002年に40%、そして2009年には50%と半数を超えるまでに至った。
つまり現状はインターネットを駆使し、自分で情報を収集し読み解く力のある20代、30代の若者が大量に生まれ続けているのだ。
価値観も、工業社会特有の軍隊式ヒエラルキーにとらわれぬ、自分と仲間との絆を重視するポストブルジョア的価値観を持った人々が多くなってきているように思われる。
さて、ママレボの和田編集長へのインタビューを紹介したい。
Q ママレボの由来を教えて下さい。
A mom‘s Revolutionの略です。レボリューションというと戦々恐々としたイメージがありますが、あくまで新時代のレボリューションは「関心を持つ、ちょっとしたアクションを起こす、それを楽しむ」という日常の中に溶け込んだものでありたいと、イメージを少し柔らかくするため「ママレボ」と名付けました。
Q「ママレボリューション」に日本の社会をどんな風に変える可能性があると思いますか?
Aこれまでは、お金や名誉、地位といったものが世の中の価値だったかもしれません。これからはたとえ自分の名前が世に出なくても、お金もうけにつながらなくても、時には命を削ってでも『子どもの命を守りたい』という“母性”こそ世の中を変えると思っています。(注2)
Q「ママレボリューション」で自己変革した女性群(男性でも)が今後も増えると思いますか。またどんな風に変わっているのでしょうか?
A徐々にに増えているし、今後ももっと増えると思います。これからは「自分で考え、自分の良心に従って選択・行動する」という、ごく当たり前のことがしやすい世の中になるのでは。今はこんな当たり前のことが非常にしづらい世の中で、そのためか、みんなだんだん自分で思考することを止めてしまいました。自分で思考し、行動することを取り戻したいと思います。
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実に豊かな感性の表現だと感じた。自分の頭で考え行動するというポストブルジョア的価値観を大切にする、「静かな革命」の担い手の「思想表明」といっても間違いではないのではないだろうか。
いま和田さんのような新しい価値観を持った若い高学歴の世代が、原発事故で自分や子どもたちが生存さえ脅かされている感じたことをきっかけに政治の重要性に目覚め、アクションを起こし始めたのではないか。日本で「静かな革命」が進行していると捉えたい。
今回の国会デモは、60年安保以来といわれる。
デモに否定的な見解を述べる保守系新聞は、当時の岸信介首相が「声なき声」という主張をし、日米安保改定を選択したのは正しかったという「歴史の教訓」を引き合いに出し、今回の反原発デモでも一部の少数派が非理性的な主張をしているといわんばかりの論陣を張っている。
野田首相の「色々な声を聞いています」という言葉についても、岸首相の対応を念頭に、最初はむしろ評価する論調があった。確かに当時、西欧東欧の国際政治のせめぎ合いや、ソ連などの社会主義陣営の人権抑圧や、生産性に乏しい計画経済の実態を十分理解していた大学生・学者・市民は少なかったと思う。(ここでは日米安保体制についての是非は論じない)。
当時の世論調査でも「安保条約の改定」について「知らない」が50%に上り、「どういう点を変えようとしているのか」を答えられたのは11%に過ぎなかったという。
情報の入手しやすさのレベルが現在と格段に違うことは理解できよう。しかし当時反対運動が盛り上がった背景には、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸首相のあまりの対米追従姿勢と、自衛隊出動によるデモ隊鎮圧を画策するといった戦前のような高圧的な政治手法への反発で、スローガンだった「安保反対」から、「民主主義を守れ」「岸内閣退陣要求」という争点の転換があったと思われる。(注3)
「声なき声」の英訳は「サイレント・マジョリティー(多数派)」である。騒いでいるのは少数派で、多数派は静かなだけでトップを支持しているということが暗黙の前提だ。
岸首相は「新聞報道には現れない声なき声にも耳を傾けなければいけない」と、多数派が安保改定を支持していると都合良く主張した。
よく言われるのはデモの最中に神宮球場では、プロ野球の観客が満員だった(安保には関心がない人々)ということだ。
今回の国会デモはどうか。各種世論調査では脱原発支持が圧倒的に「多数」だとされている。原発事故後はっきりしたのは、「原子力ムラ」を中心とする産官学界の声ばかりが大きくて、エネルギー戦略の公共性が長きにわたり著しく歪められてきたことだ。
枝野経済産業相は、デモ呼び掛け人と首相との会合を「前例がない」として異議を申し立てたとされるが、逆にこれまでの産官学界の言い分ばかりを前提とした態勢に、公共政策の決定過程の公平さで問題がなかったのかと問いたい。
想定も出来ない事故が発生したのであれば、デモに参加している人々の主張にこそ耳を傾け、「公共性の公平さ」を取り戻すのが政治の責任ではないのか。
60年安保闘争では、一部の大学生による「革命幻想による武力闘争路線」があった。その中で樺美智子さんの圧死事件も引き起こされた。
「反動」という見方もあるが、当時在京7新聞が「暴力を排し、議会政治を守れ」と共同宣言を出した。それほど荒れていた。
今回、デモ参加市民は子連れで平穏な行進を行い、警備の警察官にも賛同を呼びかける精神的な余裕さえ見せている点が、50年後の民主主義の成熟を感じさせる。
現在の「声なき声」とは、3.11で生存そのものを脅かされたことで、情報を収集し、自分たちでアクションを起こしたママさんや普通の市民という、多数派が上げている声なのだ。
岸首相の御都合主義の「声なき声」と同じ視点ではこの現象の説明が出来ないではないか。
流行語で言えば、したたかで柔軟な「マルチチュード」の登場である。40年前のイングルハートの分析では、高学歴の戦後世代は出身階層を問わず「保守的な政党」から「LEFT(左翼政党)」を志向する傾向が指摘された。
しかし現在は、社会主義なる左翼への幻滅と新自由主義という新保守革命の挫折という、2重の体験を経て、支持政党なしが圧倒的多数を占めている。
自分で物事を考えアクションを起こす「静かな革命」の担い手たちが、「熟議の民主主義」を選択するか、大阪維新ブームのようにメディアを駆使し世論を操ろうと試みる「疑似保守革命」に踊らされるのか、まだ状況は混沌としている。
革命にはドラマが付きものだ。衆議院解散が迫る状況から目が離せそうにない。(了)
「こがねいコンパス」2012年9月15日号
(注1)Ronald Inglehart 「The Silent Revolution in Europe:Intergenerational Change in Post-Industrial Societies」The American Political Science review Vol.65
(注2) この質問の回答は、岩手日報4月19日「命守るママの活動発信」を参考にして下さいと和田さんから指定がありました。http://momsrevo.blogspot.jp/2012/04/blog-post_21.html
(注3) 久野収「政治的市民の成立」 (「政治的市民の復権」潮選書1975年)
高畠通敏「日本市民運動の思想」(「自由とポリティーク」筑摩書房1976年)
それにしても新安保条約の批准文書交換後、岸首相が退陣を表明した後、デモが急速に収束してしまったのはなぜか・・・。
山本俊明(やまもと・としあき)
小金井市在住のジャーナリスト。記者歴30年、シドニー特派員、ニューヨーク特派員などを歴任、国際問題から地方自治まで幅広い分野を扱う。「一市民」として本コラム陣に参加。