ジャーナリスト山本俊明の「眼」    第21回

9条を再生する道=パワーポリティクスを超えて

ウルトラ保守への対抗

 

 

 「護憲派の人たちは大ばか者に見える。何としても戦争を起こさせないというのは、9条を改正したい人たちも同じ思い」

 

 作家でNHK経営委員の百田尚樹氏は5月3日、憲法記念日の改憲を目指す集会で個人の立場としてこう述べたそうだ(5月4日付「東京新聞」)。

 

 今、安倍政権による集団的自衛権の行使容認が、政府見解の修正を通じた実質的な改憲によって進められようとしている。

 

 メディアで報じられているのは、集団的自衛権が必要だとされる事例などをめぐるやりとりが中心で、国際政治や安全保障問題にうとい市民からは「さっぱり分からん」という声も聞こえている。

 

 今回は、議論を分かりやすく理解し、どうすればこの問題の道筋を付けられるのかについて、市民の立場からの私見を述べてみたい。

◇論争の「鳥瞰図」

 

 百田氏のもの言いには、正直、大人げなさを感じてしまうが、戦後日本の一番大きな論争点が、「9条」をめぐる擁護派と改憲派の意見対立であることは正しい認識だ。

 

 ただ、誰がどんな立ち位置でモノをいっているのか分からないので、互いに「賢者とばか者」と非難し合っている不毛な論争が延々と続く。海外から見ると、「日本人は戦略的思考がない」(孫崎亨氏)という不名誉な状態のようだ。

 

 そこで大胆な試みだが、憲法9条を縦軸に、そして日米安全保障条約を横軸にそれぞれプラスとマイナスに評価した図を作成してみた。

 

 この種の表は、これまでにも政治学者らが作成している。今回提示する表は、妥協を許さない原理主義的な価値観を「絶対的」とし、外枠とする一方で、政治という営みには不可欠の妥協や柔軟な思考を容認する価値観を「相対的」として内側に示す、「2重構造」とした点が、筆者のオリジナルだ。

 

 防衛問題をめぐる政治状況の「鳥瞰図」を得たいという狙いで考案したものであり、この問題を議論したり、メディアで発言する政治家や識者の立ち位置を確認したりする際に役立てて頂ければと思う。

 

 もちろん現実の政治は、こんなに簡単な2次元の図式で把握し切れる訳ではない。これに、例えば米国への態度で親米か反米か、あるいは歴史認識・東京裁判への態度、自衛隊を違憲ととらえるか否かなどで3次元、あるいは4次元で考えることもできよう。

 

 護憲派で安保反対なのだが、実は米国は好きだという人と、全く嫌いだと言う人では「本音」が180度違うこともありえる。

 

 各種世論調査では、大半の日本人は「9条」改正には慎重・反対だが、日米安全保障条約には賛成という意見である。それを踏まえ、ここではこの2つの価値軸を使うことにしたい。

 

 読者の方々には、自分はどのあたりに位置するか、また気になる相手がいればどこに位置づけられるのか、なぜ話がかみ合わないのか、どの点の相手とは「連合」が組めそうかなどと考えるツールとして使っていただければ、拙い図と表が多少はお役に立つのではないか。

筆者考案の防衛問題の「鳥瞰図」
筆者考案の防衛問題の「鳥瞰図」

◇自民党と超保守に親和性

 

 まず外枠の「絶対派」から見ていこう。

 

 Aは「9条」死守、安保反対の立場。「絶対的平和主義」と名付けよう。誤解を恐れずに言えば、筆者の両親(80代)以上の高齢者の方に多いと思われる。

 

 青年期に太平洋戦争(注1)を体験した世代で、戦争の恐ろしさ・無益さが身にしみている。また命の尊さを知る女性にも多いように感じる。いうなれば「9条」の価値を信仰のように確信している層だ。

 

 これに対し、Gは戦前の価値観で、軍事・警察国家の再来を目指す人々。当然ながら、核武装もいとわない価値観の持ち主だ。(注2)

 

 余談ながら、現在、70代後半の世代は、小中学校で、それまで軍国主義を唱えていた教師が、終戦後、突然、民主主義を礼賛し、教科書が墨で黒く塗り潰された青少年時代を体験した。大学時代の恩師からは、自分の世代は主義主張の危うさを感じていると聞かされた。(注3)

 

 Hは典型的なノンポリ派を想定。憲法なんて考えたこともない、日本と米国が戦争したことも知らない世代が増えつつある。日本に何かあれば米国は「当然守ってくれる」と信じている。

 

 Dは、「9条」を「改悪」し、事実上無きものにしたい自民党の超保守勢力が目指す立場だ。「ウルトラ保守主義」の立場と名付けよう。後述するように、Gとも親和性がある。

 

 自民党の「日本国憲法改正草案」では、9条は全面削除ではなく、1項の「国権の発動たる戦争の放棄」はほぼ引き継がれている。新設の2項では自衛権の発動を妨げないと規定、9条の2では国防軍の保持などが盛り込まれている。欧米などの「普通の国」を目指す。(注4)

 

 ◇「相対的平和主義」も色々

 

 いよいよ図の中心である「相対的平和主義」の説明に入る。

 

 Bは「空想的平和主義」という立場である。筆者も大学2年(70年代半ば)まではそうだったと思う。小学校から「日本国憲法は平和主義で素晴らしい、自衛隊は違憲な存在、ベトナム戦争反対、アメリカ帝国主義反対」などと学校やメディアで教えられた口だ。1970年代初頭の安保反対運動に関わった団塊世代に多いのではないか。

 

 しかし筆者は、旧ソ連での人権弾圧や国際共産主義運動の建前の下での旧チェコスロバキアへの軍事侵攻(「プラハの春」弾圧)、中ソ国境紛争の現実と社会主義への幻滅、さらに旧ソ連戦闘機の日本の領空侵犯(トウキョウ急行)の頻発などの現実を知ることで考えを変えざるを得なかった。

 

 横道にそれるが、そんな時に出会ったのが京都大学の国勢政治学者、故高坂正堯教授だった。同氏の説明は70年代の日本の安全保障の基本的な考えを代表すると考える。(注5)

 

 同氏は、日本は9条があり自衛隊しか持てない。そこでどうするか。①核武装はできないので米国の「核の傘」に頼らざるを得ない②通常兵器による侵略にはまず自衛隊で初動対応する③その後、米軍が支援に来る。ここで1~2週間持ちこたえる④その間に国連安保理で対応を検討するなど、国際世論を味方にして侵略を食い止める-という説明を受けた。

 

「リアリズム平和主義」とでもいうべきもので、筆者は初めて自衛隊の存在の「意義」と日米安保条約の「意味」をある程度納得した。(注6)

 

 90年代初頭の冷戦終結後も、修正(「日米同盟論」など)はあっても基本線はこれで説明可能だと思われる。

 

 さて図に戻る。「リアリズムに基づく平和主義」は、EとFとCに相当する。リアリズム平和主義といっても一様ではない。表にあるように「市民平和主義」と「国権的平和主義」に分離。後者も、さらに「抑制的」と「拡張的」に分ける。

 

 拡張的というのはCだ。安保条約は維持するが、「9条」にはネガティブな立ち位置で、自民党の右派(安倍氏ら)だ。そして自民党左派(河野洋平氏、野中広務氏ら「護憲派」)はFないしEのライン上にある。最後が「市民リアリズム」のEであり、筆者の現在の立場だ。

筆者による分類
筆者による分類

 

 現在の集団的自衛権をめぐる議論で、国会で圧倒的多数を握る自民党などCが主導権を取っているのだが、うさん臭さを感じるのは、Cが実はDに向かって移動する見通しがあるからだ。

 

 政府見解の修正で集団的安全保障を容認すれば、次はDの改憲を目指す。つまり「9条」を「改悪」することを目指すからだ。

 

 それだけに収まらないのは、集団的自衛権容認・憲法改悪ともなれば、「新帝国主義」思考になってしまった中国(注7)を刺激し、緊張激化、軍拡競争の悪循環に陥り、日本の核武装を唱えるGとDが近接する恐れがあるのではないか。

 

 このため米国でも安倍政権の「本質」に対する疑問の声が上がり、ポツダム宣言と東京裁判の線は譲れない、つまり集団的自衛権も「米国の価値観の枠内」でしか認めないぞというサインが来た。

 

 集団的自衛権を求めていたタカ派のアーミテージ元米国務副長官も最近、自民党幹部に「経済優先で行け」とトーンダウンした。

 

 「抑制的」の典型は、憲法の枠内(民主主義体制)で日本の防衛を考えようとする「良心的な自民党左派や官僚」だ。E~Fの間に位置する。

 

 代表格には、最近よくメディアに露出する柳澤協二氏(元内閣官房副長官補)がいる。(注8)

 

 憲法の枠内での「個別的自衛権」で問題が処理できるという抑制した立場で、海外派兵や集団的自衛権の拡大解釈、さらに核武装などに否定的で「抑制されたリアリズム」とでもいうべき立場だ。

 

 同氏は安倍政権の解釈改憲には大反対だが、もし集団的自衛権が必要なら堂々と憲法改正で国民に是非を問うべきだと主張する。法が変わるなら、閣僚としてはその枠内で国民や国家の利益をまもろうという立場だ。

 

 最後にEの「市民的平和主義」に到達した。

 

 個人的には後述するように「9条」を強く尊重するが、一部の憲法学者の主張するように自衛隊を違憲とは考えない。抑制的リアリズムと親和性が高いと思う。

 

 日本国憲法を前文から読んで思うのは、平和主義を貫くには欠くことのできない前提条件があるということだ。

 

 それは①国際機関(国際連合のこと)が紛争解決に機能する②常設国連軍が創設され、各国が主権の一部を国連に譲渡する(日本や各国が軍隊組織を保有する必要がない)③大国を中心に核兵器や通常兵器の軍縮が進む-ことだ。

 

 不幸なことに、戦後の冷戦と、大戦から時間が経つにつれて平和の機運が冷めたことで、①は5大国の拒否権・主権国家としての国益追求で期待された機能を果たしていない。(注9)

 

 ②はまったく実現していない。ドイツとフランス間には共通軍が創設されているが、近い将来、常設の国連軍は期待できない。そして③も一部の核兵器の削減はあったが進んでいない。むしろ通常兵器については、中国の「富国強兵」政策の下での著しい軍拡、東南アジア諸国の軍備などで理想とは逆の方向だ。

 

 つまり前提条件が崩れているので、理想と現実のギャップを埋めるため、国民の生存権を認めるため個別的自衛権と、自衛隊は認める。日米安保条約も核武装しないのだから結ばざるを得ない。

 

 しかし、歴代保守政権のように何でも米国追随(注10)ではなく、「西側民主主義国」と歩調を合わせて、米国が間違っていれば是々非々で修正を求める。

 

 蛇足ながら、90年代に日本社会党が自衛隊を容認したのはBからEへの転換だった。現在、公明党はE(婦人・青年部)ないしF(執行部)で揺れている。安倍政権がCからDに、そしてEと連合することを懸念しているからだろう。

 

 結論としては、安倍政権の暴走にストップを掛けるには、EFを中心としてBやA、Hが自覚的に連合を組む政治勢力を結集し、政権を交代させるしかない。

 

(筆者はEの立場であることを告白したが、もし自衛隊の容認や、日米安保条約を認められないという人がいれば、どのようにして日本の国民=子どもたち=の安全を守ることが出来るのか具体的な考えを示して頂けたらと思う。)

 

◇加筆と言う憲法「改正」

 

 昨年、NKHの安全保障問題の視聴者参加番組を観ていて、気にかかったことがある。

 

 若手の学者だったと記憶するが、「憲法を変えるという人々はどんどん新しいことを主張するのですが、守るという人々は護憲というだけ。これでは若者はついていけない。対抗する案がないと、結局改憲されてしまう」という趣旨の発言をした。少し驚いたが正論だと感じた。

 

 筆者の図で言えば、AとBの連合では改憲はもはや防げないということだ。

 

 ではどうすれば9条を守りながら、日米安保条約も容認するという大半の日本国民の願いを実現できるのか。

 

 昨年、面白い論文が出た。民主党の枝野幸男元官房長官が月刊「文芸春秋」10月号で発表した、「憲法9条 私ならこう変える」だ。

 

 弁護士出身の枝野氏は、安倍首相のような解釈改憲派は許されない、今こそ「第3の道」を探るべきだと提言したのである。

 

 具体的には、①9条には手を加えず、「これに続けて新たな規定を追加するのが、形式としては最も適切だ」と、加筆改憲を主張②その際、9条の2として、自衛権を明文化するとともに、自衛の名を借りた侵略を防止するために自衛権の3要件も明文化する(歯止め)③9条の3として、国際平和活動への参加を明記する――としている。

 

 残念なことに、枝野提言は、AやBなどの立場から、ネット上でバッシングを受けているようだ。

 

 筆者も長年、加筆修正を考えてきたのだが、枝野提言では、本当に「9条」の精神を活かしていくのだとBやEの人たちを説得できるのか不安が残る。

 

 自民党の憲法改正(改悪だが)草案とどこが違うのか今ひとつはっきりしないためだ。

 

 そこで筆者は、枝野提案に加えて、3つの提案を追加したい。

 

 自衛権を認めれば論理必然的に核武装が問題となる。そこで「国是」ともいうべき、「非核三原則(作らず、持たず。持ちこませず)」ならぬ「新非核3原則(作らず、持たず、持たせず)」を憲法に追加する。

 

「持ちこませず」というのは日米安保を前提とする限り、あり得ないことは周知の事実だ。米軍の爆撃機や艦船に核兵器があるかないか分からない状態にしたたままでというのが、日本国政府の「英知」だったわけで、実態は「非核2.5原則」だった。そこで日本が先頭を切って世界核軍縮を目指していく「持たせず」に変更し、「新非核3原則」とし明文化したい。

 

 もう一つの「国是」である「武器輸出禁止」も、但し書きで、西側諸国との協調と、国際紛争防止の条件(注11)以外では認めない「武器輸出禁止」を明文化する。

 

 最後に、日本国政府や国民が9条1、2項の理想を実現するために、日本国政府と国民が「行動する責務」を負っていることを明文化する。

 

 つまり、加筆改憲によって、戦争に近付けるのではなく、国連憲章や民主主義国家と連合して、恒久平和を追求することを義務付ける。9条は「理想」とするものの、死文化して棚上げにするではなく、追求する目標とするのだ。

 

 新非核3原則で核軍縮を政府・民間そろって国際世論に訴える義務が生じる。

 

 また「死の商人」国家にはならない宣言をすることで、アジアで進行する武器ビジネスに待ったを掛ける行動を起こす責任が生じる。

 

 この3つが加筆されれば、自衛権・国際平和活動を憲法で認めても、日本が「戦争する国家体制」に向かう危険性の芽は摘み取られ、さらに国際軍縮の先頭に立つことが可能と考えるが、いかがだろうか。

 

 それが実現してこそ、沖縄などの米軍基地問題を全面的に解決する道が開けて来ると考える。

 

 つまり集団的自衛権という狭い争点で憲法9条を殺させるのか、加筆改正によって9条を本当によみがえらせる道を選択するのかということだ。(注12)

 

 護憲を唱えるだけではなく、リベラル左派の立場からも実質的に「9条」を守るための「攻め」に転じるべき時が来たと思うのは筆者だけだろうか。

 

 それはリアリズムに裏打ちされた「市民的平和主義」しかないと信じる。また海外の平和を求める市民とも連帯する道ともなろう。パワーポリティックスを超える主体は、世界市民なのだと考える。

  

 最後に剣聖、塚原卜伝の百歌の一首とされる歌を御紹介する。

 もののふのはしる刀をさすこそは

       持たぬ敵を持つと知るべし

 刀は人を切るためにさすのではなく、身を守るためであるという教えだそうだ。刀は武力・軍事力とも置きかえることもできる。「抑止」は外交の次に語るべきものだろう。安倍政権やウルトラ保守の「軍事オタク」達に聞かせたいものだと思う。(了)

 
こがねいコンパス第52号(2014年5月17日更新)

(注1)先の大戦については、日本ではそもそも用語が確定していないのですが、ここでは感情的にニュートラルに近い第2次世界大戦、あるいは太平洋戦争とします。

(注2)靖国神社の就遊館では植民地支配からアジアの国を救うための正義の闘い「大東亜戦争」と表現していたと記憶します。まだ行ったことがない方には、参拝ではなく、就遊館の映画を観てその主張(聖戦)を確認されることをお勧めします。

(注3)キリスト教作家の三浦綾子氏は、戦中、代用教員として軍国主義を教えました。戦後は自分の行いを悔い、教師を辞めた上、荒れた生活をし、大病を患ったと聞きます。

(注4)「普通の国」という場合、日本では依然、上からの統治が基本。しかし欧米では「普通の民主主義国」であり、市民の下からの政治統制が基本でベクトルが真逆。この点は「相対的」で説明します。

(注5)哲学者の高坂正顕氏を父親とする同教授は吉田茂研究でも知られ、京都学派の中心的な論各だった。

(注6)このころ高坂氏以外に、戦後米国に留学・国際政治の実際に触れた永井陽之助氏ら若手中堅政治学者が、丸山政男氏ら民主主義啓蒙世代に「反旗」を翻し、現実主義を唱え出した。教えられるところは大きかったが、しかし金権まみれの自民党や国軍再興・戦前回帰を夢見る超保守派の主張にはまだ納得がいかなかったのも事実です。

(注7)中国の変化については色々な見方があります。ここで「帝国主義的」と言うのは、マルクス主義の「帝国主義論」ではなく、米国の国際政治学者、Hモーゲンソーが唱えた「現状の打破、すなわち2国ないしそれ以上の国家間の力関係の逆転を目的とする政策」(「国際政治学」上巻131ページ=岩波文庫)を念頭に置いた定義。余談ながら、パワーポリティックスの学説ながらモーゲンソーはベトナム戦争が「国益」に合わないと米政府を批判した。その弟子がリアリズムのSホフマン氏であり、孫弟子が日本でもよく知られるJナイ氏です。

中国は2014年に貨幣購買力換算でGDP(国内総生産)で米国を抜くようです。最近の海洋進出、米国との「G2」論で、西太平洋を自分の勢力圏にして太平洋を米国と分割しようという、まさに19世紀の復活を目指すような動きを見せています。これはパワーポリティックスそのものではないでしょうか。(「権力政治」とは訳しません。国際政治は形式上平等な主権国家間の政治で、正統性がないので権力とは訳さない。むき出しの実力の支配する政治という意味で「パワーポリティックス」とカタカナ表記するのが決まりです)これは反省してもらわないといけません。21世紀の国際関係にはなじまないでしょう。

(注8)「亡国の安保政策」=安倍政権と「積極平和主義」の罠=

柳澤協二著(岩波書店)

(注9)筆者を含め戦後世代(恐らく昭和45年ごろまで生まれ)は、信仰ともいうべき国連への期待感を植えつけられました。

(注10)オーストラリアでもベトナム戦争当時は保守政権が、米ジョンソン政権を支持してベトナムに派兵したが、「ベットまで共にするのか」と批判されたそうです。イラク戦争でも欧州からは厳しい批判が出ました。筆者も米国が好きな方だが、何でも追随は行き過ぎです。

(注11)AやBの立場の人には理解が難しいかもしれないが、逆説的には武器の共通化(インターオペイラビリティー)、共同開発は世界的な流れとなっている現実を認識して欲しいと思います。

(注23)砂川事件の最高裁判決が、自民党の高村副総裁から集団的自衛権容認の根拠として持ち出されています。

 田中耕太郎最高裁長官の補足意見をつまみ食いして、「集団的自衛権を容認している」というのが保守派の主張だ。革新系の憲法学者は、田中長官には米国寄りだったと否定的な見方をする人が多いようです。田中長官はキリスト者(カトリック)でもあり、「憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立つて、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない」としているところから観ると、筆者には「自由主義者」であり、戦前の軍国・警察国家に戻ることを考えていた人とは思われません。読者には先入観を持たずに自分で砂川判決を読むことをお薦めします。

砂川事件の最高裁判決文
最高裁判決.pdf
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山本俊明(やまもと・としあき)氏のプロフィール 

 

  小金井市在住のジャーナリスト。記者歴30年、シドニー特派員、ニューヨーク特派員などを歴任。 国際問題から地方自治まで幅広い分野を扱う。雑誌『世界』の2014年1月臨時増刊号でルポ「放射能ごみと民主主義」が掲載された。こがねいコンパスには「一市民」として本コラム陣に参加している。

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

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小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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