ジャーナリスト 山本俊明の「眼」   第18回

おもてなしファシズムの誘惑

アベノポリティクスを考える  その3

 

 9月7日(日本時間8日朝)、南米ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2020年の第2回「東京オリンピック」開催が決まった。その後、日本中が、祝賀ムード一色に包まれた。正直言って僕も久々に興奮したのだが、「政治的」にはかなり警戒しないといけないと感じている。オリンピックは常に政治利用されて来た苦い歴史があるからだ。

◇オリンピック少年 

 

 1964年10月10日、アジア初の「東京オリンピック」は始まった。地方に住む小学生だった僕は、テレビで毎日、観戦した。100メートルで10秒の米ヘイズ選手や、女子体操の花、チェコスロバキア(当時)のチャスラフスカなど外国選手の活躍にも驚かされたが、何といっても重量挙げの三宅義信、東洋の魔女と言われた女子バレーなどの日本選手の金メダル獲得に家族とテレビを観ながら大興奮した記憶がある。日本国、日本人ということを明確に意識したのもこのイベントだった。

 

 オリンピックが始まる前から浪曲師の三波春夫の「東京五輪音頭」が流れ、大人も子どもも熱気に酔ったかのような至福感(ユーフォリア)にあった。

 

 余談だが、腕白小僧だった僕は、学校のオリンピックをテーマにした課題作文で、開会式のNHKアナウンサーの「ここに世界が集ったのであります」というセリフを引用し、ちゃっかり優秀賞を取ったのだった。無邪気に幸せだった。

 

 今の50歳以下の人々にはその時その場に居ないとなかなか分からない、「巨大なお祭り」ともいうべき時代の雰囲気があった。

(開会中には、旧ソ連のフルシチョフ書記長の失脚や、中国の初の核実験など厳しい東西冷戦の動きもあったが、残念ながら僕の記憶には無い)

 

◇「政治」利用の歴史

 オリンピックは「世界最大のスポーツイベント」で素直に楽しむべきなのだが、その「誘惑」には気を付けないといけない点もある。(注1)

 

 有名なのは、ヒトラーがアーリア人種の優位性とナチスの支配力を演出するために使った1936年のドイツ・ベルリン大会だろう。首都ベルリンの再開発。さらに女流映画監督レニ・リーフェンシュタールによる記録映画『オリンピア』の映像宣伝も記憶されている。古代ギリシャの選手の大理石像が、動き出すシーンの演出はいまでも見事だと思う。

 

 この時日本勢では女子競泳200メートル平泳ぎの前畑秀子が金メダルに輝いたが、「頑張れ前畑」のラジオ放送は誰でも聞いたことがあるだろう。遠い日本で、国民が熱狂したのだ。現代はテレビ・ネット時代であるが、オリンピックの英雄が「ナショナル・プライドや自信、優越感を呼び起こす」(坂上)ことは同じだろう。ナショナリズムの正統性に疑いがなかった時代である。(注2)

 

 近いところでは、1972年のドイツ・ミュンヘン大会のテロ事件があった。次は1980年のモスクワ大会のボイコット事件だ。前年の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻で、J・カーター米大統領が抗議の意味でボイコットを提起したことで知られる。西側は参加で分裂し、変則的な開催となった。

 

 こうして見ると、むしろオリンピックは時々の政治情勢に影響され続けてきたというのが実相かもしれない。政治家がオリンピックの持つ「国民を国家に統合する役割」を意識的に利用した歴史があることを、市民は教訓として記憶すべきなのだと思う。

 

自民党本部のホームページでは「東京開催決定」が全面に
自民党本部のホームページでは「東京開催決定」が全面に

◇まつろわぬ者

 

 現在の安倍自民党にそのような政治利用の意図はないのだろうか。昨日新聞の折り込み広告に入っていた、ある自民党都議の政治ビラを観てやはりぼんやりとした形(日本特有の「空気政治」)ではあるが、あると考えざるを得なかった。そこにはオリンピックを「東日本大震災からの日本復興のシンボル」にしたいと明記されていた。

 

 現代政治学では近年「バイオポリティックス(生権力)」という用語が注目されている。近代以前のむき出しの暴力による権力行使から、学校・軍隊・組織・刑務所などでの規律や、慣習、規則といった内発的なコード(命令)による「管理型」の権力行使への移行をとらえる概念と理解している。

 

 構成員は、ムチで撃たれ仕方なく服従するのではなく、現代ではコードに従うように自らふるまうようになる。高度情報化社会の今日では、テレビなどのメディアを通じた潜在意識による支配の形ともいえようか。

 

 IOC総会での滝川クリステルがプレゼンテーションで繰り広げた「おもてなし」が注目を浴びた。オリンピックという「祭り」のための、「おもてなし」優先のコードが日本人に目に見えない形で埋め込まれ始めていないだろうか。

 

 2020年8月のオリンピック開催に向けて、「おもてなし」コードが強化されはしまいか。「おもてなし」コードには、「オリンピックのためにはやむを得ない。失礼があってはならない」と政府や社会経済権力への批判をやんわりとではあるが許さない危険な誘惑がありはしまいか。

 

 経済面では、東京都心部の再開発への思惑でゼネコン株が急騰、公共事業の増額で識者によっては「150兆円規模の経済的波及効果」があるとの楽観的な予想も踊る。「開発優先」である。

 

 一方、日本人にとっての「祭り」の意味だ。モンスーン気候のアジア全般の農耕社会では「ハレ(祭り)とケ(日常労働)」のサイクルが普遍的な社会・政治の在り方だといえる。例えば、インドネシアのバリ島では「政祭一致」(注3)が極端な形で残されている。祭りのために政治があった。いわゆる「劇場型国家」である。

 

 苦しい労働を繰り返すためには、祭りというのストレス発散の場(時には無礼講も、男女のふれあいも許される)が必要だ。「ハレとケのサイクル」が支配構造に組み込まれている。

 

 日本でも春の田植えから夏の祖先を祭るお盆、そして秋の収穫を祝う祭りと一連のお祭りと、農耕労働のサイクルが今なお日本人の精神構造を深いところで貫いている。

 

 「祭りごと=政ごと」なのである。日本では、稲作の大祭司としての「天皇制」支配を加味しなければならない。

 

 日本では、祭りで「神輿」(復興のシンボル)の進路を妨害する者は、決して許されない。「祭り」=「政り」に「まつろわぬ(従わぬ)者

(注4)は、「非国民」として制裁を受ける恐れがありはしまいか。

 

 メディアを駆使したオリンピックの情報操作には、日本型の「劇場国家」の演出の気配が付きまとう。知る権利や報道の自由を明記しないような秘密保持法案の動きは、嫌~な気持ちにさせる。(注5)

 

 第2回東京オリンピック(注6)は、福島第1原発事故が収束せず、東アジアの軍事的な緊張が高まりを見せる中での開催となる。

 

 確かに個人的にはオリンピック開催はうれしいことだが、少数者と基本的人権が尊重される寛容な社会の維持と、「自制」の効いた健全なナショナリズムにより平和が何よりも優先されることが大前提だろう。

 

 平和の祭典であるべきオリンピックを、憲法改正で実質的な国体(天皇主権)復活を目指す「アベノポリティクス」に利用する意図を許すようなことがあってはならないと感じる。(了)

(注1)「オリンピックの政治学」丸善ライブラリー、池井優著

(注2)「スポーツと政治」山川出版 坂上康博著

(注3)「ハレとケ」については「近代日本の精神構造」岩波書店 神島二郎が詳しい。

  「ヌガラ――19世紀バリの劇場国家」(みずず書房 C・ギアーツ)

 旅行すれば分かるが、現在ではバリ島では祭りは過剰に観光資源化されている。 「劇場国家論は従来の支配被支配という国家概念と違うという指摘もあるが、1906年のバリ・デンパサールの集団自殺事件と、日本の戦中の「玉砕」の間には何かしら共通項があると感じている。

 

(注4)根拠はないが、「まつろわぬ(服わぬ)」という語感には、「祭り=政り」と表裏一体の響きがあるような気がする。

 

(注5)戦前の治安維持法も最初はそれほど厳しくなかったが、徐々に苛烈になったという見方もある。

 

(注6)1940年の幻の「東京オリンピック」を勘定に入れると、3回目となる。この時は日中戦争の泥沼化で日本政府が返上した。今回はむしろこれに似ているのかもしれない。

 

山本俊明(やまもと・としあき) 

 小金井市在住のジャーナリスト。記者歴30年、シドニー特派員、ニューヨーク特派員などを歴任、国際問題から地方自治まで幅広い分野を扱う。「一市民」として本コラム陣に参加。 岩波書店の『世界』2013年9月号にはルポ「福島の子どもたち」を発表。 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

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脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

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「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

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イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

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