ジャーナリスト山本俊明の「眼」 第11回

総選挙と小金井市議会基本条例

代議制民主主義が危うい

 年内総選挙、しかも東京都知事選挙とのダブル選ということで、世の中なにやら騒々しい。与党民主党は、3年前の8月30日の前回総選挙で、単独308議席と大勝利を収めた。しかし離党者が相次ぎ、15日に実質過半数割れになるなど惨憺たる有様だ。

 

 この3年間、沖縄・普天間基地の移設をめぐる混乱、福島第一原発事故の勃発と対応のまずさ、さらに尖閣諸島をめぐる日中関係の緊張、日本の主力産業だった電子産業の凋落、デフレ経済の長期化による生活保護世帯の急増などなど、思い返すだけで胸が苦しくなるような出来事のオンパレードだった。「暴走老人」こと石原慎太郎氏じゃないが「このままでは国がつぶれる」と国民の多数が危機感を抱き始めているのではないだろうか。

 

 ありえない多党化選挙


  ズームを引いて状況を観たい。

 

  日本には政党が少し多すぎる気がする。政党交付金を受けているもの(10月時点、日本共産党は受給していない)では、民主、自民・公明に加えて、みんな、社民、きづな、国民新党、大地、たちあがれ日本、新党改革、新党日本で11もある。

 最近の集合離散で、もっと増えそうだ。

 

 来年の参院選で議席獲得を目指す「緑の党」も出来た。3年前には「2大政党制の到来」と言われたのが、うそのような状況だ。

 

 先日もNHKの日曜朝の政治番組で次々に各党の責任者が出て来た。4党目くらいから主張の違いがよく分からなくなり、他の番組に変えてしまった。多党化現象が行き過ぎていると感じるのは筆者だけだろうか(注1)。

 

 筆者が暮らした2大政党制の根付いた米国や豪州ではこんなケッタイな現象を目にしたことがない。いわゆる「選挙目当ての」政治家が多すぎるのだろうか。 

 

 ナチスのヒトラーの主著「わが闘争」に面白い記述がある。

 

 「現存の政党が民衆の機嫌をそこねて、せん滅的な敗北をまちがいなくこうむることが予想され、大くずれするように思われるといつも大転換が始まる。すなわち議会のねずみたちは、党という船をすてるのである」(第3章)

 

 「わが闘争」で貫かれているのは、ワイマール共和国時代の混乱を背景にした、政党不信・議会不信である。

 

 ワイマール共和国も多党だった。そして第一次世界大戦で一兵卒に過ぎなかったヒトラーと彼を熱狂的に支持したドイツ中産階級は、独裁政治という「第3の道」を選択したのだった。

 

 エリート理論と参加理論

 

 これを観た経済学者のJ・シュンペーターは、「政治問題は非合理的な偏見や衝動に動かされやすく、有権者は必ずしも信頼できない」として、職業政治家の役割を重視するエリート民主主義論を展開した。

 

 有権者に政策を提示する複数のエリート政治家・政党が競い合い、有権者は選挙で、どのエリート政党に任せるかを選び、政治をゆだねるべきだという考え(「競争的エリート民主主義」)であり、 戦後の西洋民主主義国で主流となった。

 

 しかし1960年代後半のベトナム戦争反対運動や大学紛争(スチューデントパワー)など、既存の体制への異議申し立てが盛り上がる中、代議制民主主義への不信感から、「参加民主主義」論が復活の兆しを見せた。エリート民主主義は、市民を脱政治的な存在と位置づけ、暗黙の内に「政治的無関心が政治的安定のための必要条件になる」と仮定している。 

 

 筆者も日本で住民運動が華やかなりし頃、論争の書であるC・ペートマンの「参加と民主主義」などを購読した。

 

 市民参加論がもてはやされた時代で、エリート政治理論を古典にさかのぼりながら批判するペートマンに新鮮な魅力を感じた記憶がある(注3)。 

 

 このところの国会周辺での週末の脱原発デモをどう捉えるかも、2つの民主主義理論のいずれを取るかで見方が変わってくる。

 

 最近の世論調査で、無党派層が7割近いというのも、政党不信の表れだろう。デモをする人たちは無党派層が圧倒的に多い印象があるが、無党派だからといって「政治的に無関心」なのではなく、自分たちの声が政治に反映されないことに怒っているのではないか。代議制民主主義の危機が根底にある。

 

 「公約」は投票行動とは関係なし  

 

 「三田学派」の政治学者・小林良彰氏が近著「政権交代」で、現在の代議制民主主義への不信について興味深い分析を提示している(注2)。

 

 同氏によると、2009年の民主党による政権交代を実現させたのは、「各党の政策を評価して投票する『争点態度投票』ではなく、自民党政権への『懲罰投票』だった」(33ページ)という。

 

 この総選挙では、メディアは、いわゆる「マニフェスト」が大きな争点として取り上げたが、実態は違うというのだ。

 

 日本の政治の仕組みを振り返ると、①選挙の際に候補者が公約を提示②そのなかで、有権者が自分の考えに近いものを選び、投票を決定する-という代議制民主主義が機能すると想定している。

 

 もし代議制民主主義が機能しているのであれば、政治家の行動は、選んだ側の有権者の責に帰することになり、機能していないのであれば政治家の責を問わねばならない。

 

 小林氏は、2009年の総選挙での投票行動を、①有権者が自分の考えに近い公約を提示した候補者に投票したのかどうか(争点態度投票)②選出された政治家が公約通りの活動をしているのか(国会活動と公約が合致しているのか)③選挙で有権者が、政治家や内閣の業績に基づいて投票しているのか(業績評価投票)-を分析の枠組みとして提示する。

 

 業績評価で投票が行われるのであれば、政治家が当選前の公約と異なる国会活動を行うことに歯止めがかかる。そうでないなら、政治家は安心して公約を破ることが出来るためだ。

 

 結論から言うと、日本では代議制民主主義の機能が損なわれている。

 

 同氏の分析からは、

 

1 ほとんどの選挙公約は候補者の得票率や当落に影響していない。どの政党に所属するかが重要な要素となっている

 

2 自民党と公明党は公約と国会活動の一致度合いが高く、民主党は相対的に低い

 

3 候補者がどの政党に所属しているのかや、どのような経歴を持っているのかが選挙に影響を及ぼす。

 

 背景としては、選挙期間がきわめて短く、候補者から有権者への情報提供が、経歴や所属政党については伝わっても、どのような国会活動をしているのか、あるいは前回選挙でどのような約束をし、それを守ったのかという肝心の情報が伝わっていないため-というものだ。

 

 ここから「現在の日本政治では、民主主義の民意付託機能、代議的機能、事後評価機能のいずれにおいても、きわめて限定的な関連しかみることができない。つまり、政治家が有権者に約束した公約から離れて国会活動を行って政策を形成しているために、政治的有効感覚が著しく低くなっている」ため、「日本の代議制民主主義が機能不全を起こしている」と結論付けている。

 

 鳴り物入りの民主党の「マニュフェスト」がやすやすと捨て去られ、公約ではないとされた消費大増税が決まった背景には、こうした有権者の投票行動を織り込んでいる永田町とそれを操る財務省の「暗黙の合意」があるのではないか。


 これへの対抗策としては、「首相公選制」の検討などが検討される必要があろう。

 

 戦前の教訓

 

 これに注目したのも、戦前の2大政党政治の挫折という苦い経験があるからだ。日本近代史は社会常識として一応知っているつもりだったが、筒井清忠・帝京大学教授(元京都大学教授)の近著「昭和戦前期の政党政治」(ちくま新書)を読んで驚かされた(注4)。お薦めの歴史書である。

 

 戦前の政党政治体制(大正デモクラシー)は、1924年の加藤高明内閣から1932年の犬養毅首相暗殺(5.15事件)までの8年間という短い期間だった。

 

 この間、1928年に男子普通選挙が初めて行われるという政治の大改革が行われている(現代は、衆院で1996年の小選挙区比例代表並立制が導入される大改革が行われた)。

 

 また1929年には世界大恐慌が勃発し、昭和金融恐慌などデフレの時代でもあった。現在との単なるアナロジーでは無く、傾聴に値する歴史認識が掲載されている。

 

 例えば、新聞報道による若槻内閣のスキャンダルの暴露など「劇場型政治」の登場、検察の腐敗etc。筆者が知らなかったことのオンパレードで、不明を恥じるしかない。詳細は同書を読んで頂くしかないが、筒井氏は当時の政党政治の問題点をまとめている。

 

1 普通選挙で選挙に多額の資金が必要となった。イメージ選挙のため暴露合戦が頻発。疑獄事件も頻発した。(無節操)

 

2 国会での、買収工作、議事妨害、乱闘騒ぎ。「日比谷座」とか「動物園」とか揶揄された(国会の威信低下)

 

3 地方の政友会・民政会による政党化(党利党略)で、政党への嫌悪感から官僚(将来の軍人)の介入を招いた

 

4 普選前後での政治の劇場化で、大衆動員政治が始まった。「既成政党は腐敗している」「政党政治では駄目だ」という意識を植え込んだのはマスメディアだ。その先には「天皇親政」というムードを醸成した。

 

 筒井氏は「『既成政党批判』と『第3極への渇仰』が招いたのは、大政翼賛会という名の『政党政治の崩壊と無極化』であった」と指摘している。

 

 そして現在、戦後の代議制民主主義の在り方が疑われ、政党不信の中で行われる師走総選挙である。有権者としては、選挙そのものだけでなく、それが日本の民主主義システムに与える影響をも、歴史の教訓を踏まえて、よくよく考えておく必要がありそうだ。

 

 また「政治記者」にも注文を付けたい。

 

 日本の政治記者は政局報道に終わっていると指摘される。ある政治記者によると、「政局原稿というのは、空気のように見えないものを書くことだ」という。つまり「(主要政治家の)空気の変化をつかみ書くことが政治部記者の最大の任務」なのだ。

 

 ここには政治経済理論や歴史を軽視した、話題中心の「劇場型政治」報道につながる危うさがある。特に小泉郵政解散時の「刺客」一色の“偏向報道”は、その後の日本の進路を誤らせた大きな失敗報道だったと考える。

 

 今求められているのは、デフレ・雇用・社会保障対策や領土問題を中心とする外交安全保障などの争点で、各政党と政治家について、多角的な情報と掘り下げた分析を有権者に提示することを要望したい。

 

 小金井市議会基本条例 

 

 もう一つ気がかりなことがある。小金井市の市議会基本条例が先送りになった件だ。

 

 言いたい点は多々あるのだが、条例の核心部分である市民向けの議会活動に関する報告会開催に絞って見たい。


 協議の過程で、ある議員から「地元で支持者らに十分説明している。チラシも配っている。議会報告会を開く必要があるのか」という声が出たという。

 

 筆者は、この議員さんは「勘違い」をしていると思う。

 

1 支持者に手厚く説明するのは選挙で選ばれる政治家としては当然

 

2 しかし、支持者は市民の一部でしかない

 

3 小金井市議会には独自のホームページも無い(「議会事務局」のページはある)

 

4 政党や政治家の後援会にも所属しない圧倒的多数の市民・有権者には議会・議員の活動を知る手段がほとんどない

 

5 議員は「特殊利益の代弁者」であるのと同時に、市民全体にも「政治責任」を負っている

 

――ということが分かっていないのではないだろうか。

 

 地域代表と国民代表の問題点を指摘したのは、18世紀の英国の保守政治家エドマンド・バークの「ブリストル演説」であることは周知の事実だ(注5)

 

 このバークの演説を今回調べてみた。

 

「議会というのは、異なった敵対的な利益関係-おのおのの代表と代弁者としてはこれらの利害は維持すべきものなのだが-、の代表者の集まりではない。議会というのは一つの利益による一国の熟議の集会なのである。その利益は、地方の各利害、偏った見方ではなく、一般善(general good)に導く全体の集会である。あなた方選挙民は実際に、議員を選ぶ。しかしあなた方が彼(注:当時は女性は参政権がなかった)を選んだ時、彼はブリストル選挙区の議員ではなく、議会の議員なのである。もし地域の選挙民が軽率にも、共同体全体の真の善に明らかに反する利害を持つなら、議員はそれを実現する努力から遠い存在であるべきだ」(訳:筆者)

 

 小金井市を一つの「国」と見なすとしよう。市議会選挙区には個別の区割りはない。大選挙区で24人の議員が選ばれる。

 

 バークの趣旨を踏まえれば、各議員は「地元」「支持者」「政党」などの特殊利害は重要で維持すべきものであることは否定しないが、市民全体の「一般善」の実現のためには、自らの支持者の「特殊(個別)利益」を切り捨てても「全体の利益」ために賢明な決断をする必要がある。

 

 バークはフランス革命に否定的な保守政治哲学の父であるが、ブリストル演説の趣旨は代議政治の上では鉄則なのである。

 

 つまり一部の小金井市議は、支持者や地元に情報を説明しているから「十分任務を果たした」のではなく、支持者以外の圧倒的多数の市民にも自らの議員活動について説明責任を果たす機会を設けることが求められるのではないだろうか。

 

 あまり評判が良くない深夜までおよぶ議会の長時間審議などについても、市民が知らない思わぬ誤解があるのかもしれない。

 

 それならなおさら、年に数回は市民に議会活動を説明するべきだと思うが、読者はどのように思われるだろうか。

 

 難しい制度は要らない。議員と理性的な市民が膝をつき合わせて対話する空間があればそれで良い。

 

 今からでも遅くないから、市民への議会説明会の制度だけは現議会の責任で決めて欲しい。次回市議会議員選挙は来年3月24日である。

 

「決められない」なら、説明責任に消極的な議員を選挙で一掃するだけのことだ。党派とは一切関係ない。議員個人として良心的な行動を取って欲しい。

 

 昨年のごみ問題のタウンミーティングで、市民から噴出した議会批判の声が忘れられない。代議制民主主義の危機は国政だけではない。小金井市でも健全な市民参加による代議制民主主義の活性化が求められているように感じる。

(終わり)

 

こがねいコンパス第17号(2012年11月17日更新)

 

《注》

1「異例の多党選挙」東京新聞11月16日朝刊

 

 2 「政権交代 民主党政権とは何であったのか」小林良彰 中央公論新書

 

 3 「参加と民主主義」C・ペートマン

 

 4 「昭和戦前期の政党政治 2大政党制はなぜ挫折したのか」筒井清忠

 

5 「ブリストル選挙民への演説」E・バーク

 http://www.econlib.org/library/LFBooks/Burke/brkSWv4c1.html

 

山本俊明(やまもと・としあき)  
小金井市在住のジャーナリスト。記者歴30年、シドニー特派員、ニューヨーク特派員などを歴任。 
国際問題から地方自治まで幅広い分野を扱う。月刊誌「世界」2012年12月号にルポ「福島畜産 復活への苦悩と闘い」など。 
「一市民」として本コラム陣に参加。

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

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全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
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こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

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