加藤春恵子(はるえこ)の

もう一つの日本  Alternative Japan 第10回

敦賀・大飯への冬の旅から

 2011年の夏には、とにかく電力は足りないのだから節電に協力しよう、という単純な気持ちが多くの人々に共有されていた。しかし、2012年の夏には、足りなくなる可能性のあるのは真夏の午後のピーク時だけだから、そこを何とかしよう、という新しい「常識」が広がった。それにもかかわらず、関西電力と政府は、早々と電力危機を訴え7月初めに福井県の若狭湾岸にある関西電力大飯発電所の2基の原発を再稼働させた。


 電力不足のリスクをなくすには、再生エネルギーによる発電量を増やし、節電を進めていけばよい、脱原発の運動は他の人に任せて、再生エネルギーや節電関連の動きを推進しよう、そうすれば、おのずと原発の役割は後退し、エネルギーシフトが実現するだろう、と考えていた私は、はてな、と考え始めた。


 不足しなくても不足だ危機だと宣伝して原子力発電を続けようという「力」や「構造」にもっと目を向けなければ、と遅まきながら気付いた。とはいっても、原子力ムラを非難攻撃するだけでは問題は解決しそうにもない。

 

 盛り上がる都会の運動と盛り上がれない設置自治体とのギャップに目を向け、都会で盛り上がってくる反原発・脱原発の声に呼応する声があまり上がってこないように見える、「現地」の状況を知りたい、と思い始めたのである。

 

 

■敦賀へ

 現地に行くといっても、どこにしようか、と迷っていたところ、「2012もんじゅを廃炉へ!全国集会」というビラを手渡してくれた人がいて、インターネットで宿をとることにした。

 

 「12月8日」という日は、1995年に高速増殖炉もんじゅがシビアな事故を起こして以来運転中止状態に陥った記念日、ということで、毎年廃炉を求める人々が全国から現地敦賀市に集まり、集会が開かれている。

 

 琵琶湖の近くを通ってゆっくり考えながら行って来ようと考えて、7日の朝、「こだま」に乗り、米原経由で2時頃に敦賀に着いた。

 

 時々小雪が吹きつける雪国らしい天候なので、駅前ホテルに荷物を置いてから、ミニバスに乗った。港に停泊中の日韓合同の脱原発ツアーのピースボートの人たちなども三々五々乗ってきて気軽に話ができるし、運転手さんも話好きで訊けばいろいろ教えてくれるので、どこにも降りないで町中を一周して駅まで戻ってきた。

 

 原発のある敦賀半島を背に白煙をあげているのは北陸電力の火力発電所で、地元のニーズはこれで十分。原発は関西圏のためのものだという話だ。

 

 北陸電力は温暖化対策に力を入れており、敦賀火力発電所の2号機では石炭にバイオマスを混入させているとPRしている。1号機2号機とも、周辺にある70年代初期にできた原発よりは出力が大きく、現代における火力発電所というもののパワーを改めて知ることができた。

 

 この町は人口一人当たりの飲食店数が多いなど、広い意味でいえば、原発関係で収入を得ている人は少なくないが、直接原発で働く人の中には、地元出身者はそれほど多くはないのだという話だった。

 

 それでも、日本原子力発電の敦賀発電所3基、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉もんじゅ、と合計4基の原発からのお金が入っており、関西電力の美浜発電所も、番地は隣の美浜町だが、敦賀市中心部からはもんじゅより近いくらいの便利な位置にあって、3基の原発がある。まさしく敦賀は原発の町と言ってもよい。

 

 戦前は大陸と結ぶ港町として栄えており、戦後は、目立った産業を興すこともなく、原発を歓迎し、依存度を高めて今日に至っている。それだけに、3.11以後の停止状態や、活断層の指摘に対する市当局のいら立ちは大きいと思われる。 

 

 原発と地元との関係を考えるとき、ともすれば出稼ぎの多かった小さな半農半漁の集落などをイメージしがちなのだが、このような、人口7万ほどのかなり大きな市が原発から大金をえて予算の中にごく当たり前に組み込んでしまっているようなケースもあるのだ、ということをしっかり認識しておくことは必要だ。

 

 柏崎刈羽原発のある柏崎市や島根原発のある松江市などが、国全体の脱原発の枷とならないようにするには、何が必要なのだろうか?

 

 想像していたのとは違う巨大な「地元」の出現に、考えあぐねながらバスを降りた私は、ビラを頼りに、駅の近くの会館に行って、原発・原子力施設立地県全国交流会に入れてもらい、翌朝のバスの手はずを整えて、宿に帰った。

 

 

■もんじゅへ 

 翌12月8日の朝、氷雨の吹きつける駅前のロータリーで、組合の人たちで満席のバスに乗った。見事な松原や美浜原発の近くを通って、1時間余りで白木海岸に到着。白波の打ち返す海の向こうにもんじゅ=写真=が丸みを帯びた白い姿を見せている浜辺での集会だ。

 

 参加者800人ということだったが、団体バスや乗用車で組合員や私のような市民が続々各地から到着し、主催者側発表よりも多いくらいの人数が集まった。

 

 福井新聞の記者出身で、「原子力に反対する福井県民会議」の事務局長として、長いことこの集会を支えてきた小木曽美和子さんが亡くなられたばかり、ということで哀悼の言葉がささげられ、集会の後、ゆるい坂を15分ほど登ったところにあるもんじゅのゲート前までデモ行進。日本原子力研究機構に対する廃炉要請文を渡し、三々五々浜まで降りてきた。

 

 各地の自治労などの旗が林立するデモの途中で、「南無脱原発」というユニークな旗印を掲げた70歳前後の男性に出会って旗のいわれを聴かせていただいたのがきっかけで、お仲間の女性たちとも知り合って、ほっとする。

 

 このコラムの冒頭にある後ろ姿の写真は、私ではなく、以前私が関西にいたころ教えていた大学の出身だという女性。大きな傘に、脱原発の志をはっきりと示して、私に合わせてみんなの後ろをゆっくりと歩いて下さり、心強かった。


■市民運動の仲間たち 

 次の会場はきらめき港館。強風に飛ばされそうなって会場に入り、ふと見ると、一番前の席に先程の市民グループの人たちが見えたので、そちらへ移動して、日ごろの活動の様子などいろいろ話を伺う。

 

 「南無脱原発」のSさんご夫妻は3.11まではごみ問題などの環境運動をしていたのだが、いまは高槻の近くの上牧という関電の社長の家の最寄り駅の前で、大飯原発の停止を求める「原発ゼロ上牧行動」を呼びかけ、親しみやすいイラスト入りのビラを配るなど工夫して、活動している。

 

 黄色い傘のWさんは、同じマンションの女性と、この運動に参加している。勤め先のある滋賀県の県庁前で週一回行われる集会とデモでも活動を続け、関電支店に抗議し、嘉田由紀子知事に対して大飯稼働停止のための行動を求めるアピールを続けている。

 

 「由紀子さん音頭」という8番まである替え歌もあるとのことで、関西モードの明るくしぶといスタイルで、さまざまな運動が繰り広げられている様子だった。

 

■六ヶ所村ともんじゅ 

 

 やがて大集会が始まり、柏崎からの講演者が吹雪による北陸線不通のため参加できなくなったというアナウンス。それでも、帰途の心配から浮足立つ様子はなく、3人の講師から密度の濃い話を聴いて、居眠りする人もいない真摯な大会が、3時間近く続いた。

 

 中でも印象に残ったのは、青森の核燃阻止1万人訴訟の原告で、歯科医師の佐原恵子さんの講演だった。

 

 佐原さんは、使用済み核燃料の再処理を行う六ヶ所再処理工場と高速増殖炉での発電を目指すもんじゅが、まるで兄弟のように、プルトニウム利用計画の中に位置づけられ、地域社会の崩壊・感情のもつれ・大事故の危険・環境汚染などを背負わされている状況を解き明かし、これ以上使用済み核燃料を発生させない、環境を汚さないことを強く求めていこうと、切々としたメッセージを広い会場の隅々まで沁み渡るように発信した。

 

 全国にある13の原発設置道県の中でも、使用済み核燃料の運びこまれてくる六ヶ所村と東通原発の位置する青森県の人々と、高速増殖炉もんじゅを含む13基の原発の位置する福井県の人々が、日本の核政策の中で負わされているリスクの大きさに、改めて言いようのないもどかしさを覚えた。

 

■ストップ大飯原発連絡会
 翌朝バスで大飯原発に行くグループがこれから集まるのだと聞いて、大集会終了後、関西の人たちと一緒に昨夜と同じ会館に出かけた。

 

 7日夜の集会が組合系の人の多いフォーマルな感じの集会だったのと対照的に、8日夜の集会は各地の脱原発運動に参加している市民の集まりという感じで、愛媛からのジューシーなミカンを食べてから3時間ほど内容豊富な報告会が続いた。

 

 まず、小林圭二さんがもんじゅの問題点を報告。小林さんは、伊方原発の設置許可取り消しを求める訴訟以来、京大原子炉実験所の仲間と協力しあい、昇進をなげうって住民サイドに立ち続けてきたことで、市民から敬愛されている原子力研究者だ(注1)。

 

 続いて、全国各地の原発の地元からの報告(注2)を聴くうちに、大飯原発の地元のおおい町から、僧侶の宮崎宗真夫妻が到着し、最新の状況を報告。寿司とピーナツとビールが出て1000円会費の交流会。総選挙が近づく中で、厳しい結果を覚悟しつつ、状況に立ち向かっていこうとするパワーが会場に溢れた。

 

■大飯原発

  若狭湾の東寄りには敦賀市・美浜町に位置する原発群があり、西寄りにはおおい町(注3)・高浜町に位置する原発群がある。東のほうは会社が3つに分かれているが、西のほうは関西電力の牙城で、関東が東北の原発からの電気で活動してきたように、関西は専ら福井からの電気で活動をしてきたのである。

 

 若狭湾の中央にある小浜市(注4)は、強力な反対運動が奏功して市内に原発はないのだが、何れかの原発に大事故が起これば被害圏外にはとどまれない距離にある。その小浜市を通って、バスはおおい町に入った。


 細い陸地でつながっている島のような半島に設置された大飯原発へは、橋を渡っていく。他に県道もあるのだが、これも決して広いとはいえない。橋から原発のゲートまでの間には田畑や小さな港や集落があり、海水浴場や民宿も、原発に向かう道から少し入ったところにある。

 

 ゲート前に着くと、すぐ前にトンネルが見える。原発はその向こうにあるのだが、免震棟もないので、ひとたび地震・津波が起これば、職員は対岸の町に退去して見守るしかなさそうだ。といっても、道路状況から見て、住民も職員も、避難できるかどうか定かではなく、活断層についても疑いありとして調査が繰り返されている。選りによって、安全とは程遠いことが一目瞭然、といったところを再稼働したものだと実感した。


 ゲート前では、脱原発運動のテント村をつくり支えて、過労で急逝された吉岡史郎さんを悼みつつ、集会が開かれた。7月の再稼働阻止のための座り込みのシーンを話してくれる人もいて、臨場感があった。稼働停止を要望する文書を渡して、バスは対岸に戻り、昨夜敦賀で会ったばかりの宮崎夫妻に迎えられた。

 

 人口8千500人ほどのこの町の人々は、原発事故の不安を抑圧してなかなか声を上げようとせず、脱原発のための運動体は成立していないのだが、宮崎さん夫妻は、町の人々に寄り添って、さまざまなかたちで活動を続けている。

 

 都会での運動が続いているからこそ、私たちの活動が続けられるのだ、という趣旨のことを、この日は、住職夫人が切々と訴えられたのが今も耳に残っている。

 

■地元からの脱原発提案

  原発の設置されている現地で運動しにくいことはよくわかる。「反原発」を「脱原発」に変えてソフトに表現したとしても、現地の地域社会の中では、よほど周到な具体策を伴わない限り、原発廃棄のためなら目の前にいる隣人たちが職を失い、地域の経済・財政を弱体化させてもかまわない、と叫んでいるように響いてしまうのではないだろうか?

 

 福島の事故を経て廃炉の可能性が見えてきた時だからこそ、「脱原発」が地域にもたらす変化とその解決策を具体的に示してほしいのに、政治家はそれを示すことができなかった。

 

 一方で、「脱原発」を掲げない候補は、変わらざる日常が続き、さらには繁栄が復活することを保証した。

 

 保守派の保証にも根拠はなかったのだが、過去の経験をもとにしたイメージだけに、わかりやすかった。だから、「脱原発」を掲げた候補は、福井でも、他の設置自治体でも、大多数が落選し、全国的に見ても、「脱原発」を掲げた党が敗れ、世論調査に示された多数の意思とは違う選挙結果が出たように思う。

 

 設置自治体の運動の中から、それぞれの自治体の特性を踏まえて、雇用問題を軸に据えた廃炉過程のロードマップと地域再生の未来像が生み出され、示されて来なければ、人々は納得しないだろう。

 

 そんなことを考えながら、帰京後、持ち帰った資料を整理していると、2日目の夜に配られた「美浜町への政策提案」というレジュメに気付いた。敦賀のとなりの美浜町在住の松下照幸さんが町に対して行った提案に関するものだ。何しろ情報量が多い旅だったので、重要性に気付かないまましまいこんでいたのだ。

 

 ネットで検索してみると、松下さんの依頼で2012年9月に、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんがつくった、美浜町町長に対するプロジェクトの提案書「美浜モデルの構築――自然エネルギーであふれる町に!(廃炉後の自立した美浜町の経済や財政を目指して)」と、飯田さんの提案作成のための資料にもなったのではないかと思われる、松下さん自身による町長あての長文の文書が出てきた。(注5)

 

 それらの文書の中には、美浜原発廃炉のための具体的なロードマップと地域再生の未来像が、地域の合意を創りだすためのコミュニケーションの進め方に関する提案まで添えて書かれている。

 

 少年時代は原発推進の立場だったという松下さんは、地元の青年の死をきっかけに、原発に疑問を抱くようになり、原発反対を掲げて町議になったこともあるという。しかし、2004 年8月9日に身近な美浜原発で死者5人という日本の原発史上最もシビアな事故(注6)を経験した町だというのに、3.11 以後、美浜町の人々の中から脱原発を求める声は上がらない。


 何故だろうと思いつつ町の人の想いを聴くうちに、一人一人の住民の心の中に「原発があることへの不安」と「原発が無くなることへの不安」がせめぎ合っており、その複雑な「不安を表現できない苦痛」に人々がさいなまれていることを実感するようになった。

 

 そして、このような、地震への恐怖と脱原発後の雇用不安を,、まるごと受け止めて解決するには、住民が協力してとりくむ廃炉事業についての具体的な提案と、廃炉後の町のありかたに関する明確なビジョンと、地に足をつけた財政運営の方策が必要だ、と松下さんは痛感する。

 

 溢れる想いを具体的なプランに表すためには、プロの力が必要だということを自覚して、松下さんは、環境政策研究所に依頼して提案書を作成し、町に提出した。具体性と細かな配慮に溢れた2点セットの文書は、美浜町にはもちろん、脱原発に取り組む多くの設置自治体の人々の参考になるものと思われる。

 

「脱原発」には、トップダウンだけに期待するのではなく、ボトムアップで進めるというイメージが大切ではないだろうか?

 

 それぞれの設置自治体の内部から、具体的な提案が集められ、町議会・市議会といった制度的な意思決定の場を補完するような、開かれた対話や議論の場が設けられて、「合意」と「事実」がつくりだされて行くという形で、進んでいく可能性があるのではないだろうか? 

 

 美浜の原発は設置年代が古く、3基がそれぞれ42年・40年・36年を経過している。この意味からも、廃炉による地域の再構築という国家的なプロジェクトの先頭に立つ可能性はあるのではないだろうか。

 

 美しい海と三方五湖を与えられ、滋賀県との県境まで続く森林に恵まれた美浜町が、自分たちの手で廃炉のプロセスを進め、自然エネルギーに溢れた新しいまちを創っていく、「設置自治体におけるまちづくり」の先駆けとなる日を期待したい。

 

 美浜町だけではなく、今回行った敦賀市の海辺も、おおい町の海辺も、本当に美しい。下の写真は、大飯原発の近くの海辺に立てられていた表示なのだが、言葉の真の意味で、楽しい海を取り戻してほしい。豊かな海を育むはずの森林が、放射能の貯蔵庫になったりすることのないよう万全を期して、「美しい国」を創っていきたいものだと思う。

 

こがねいコンパス20号(2013年1月5日更新)

(注1) 小林圭一編著『「熊取」からの提言――怒れる六人の原子力研究者たち――』世界書院 2012年2月 参照。

 熊取とは、京都大学原子炉実験所のあるところの地名で、小林圭一氏、小出裕章氏ら6人は、「熊取6人衆」「6助手」等と呼ばれて、敬愛されたり非難されたりしてきたのだという。

 

(注2)反原発運動全国連絡会編『脱原発、年輪は冴えていま――フクシマ後の原発現地――』七つ森書店2012年10月 参照。

 所在地や年表など日本各地の原発に関する基礎的情報を添えて、運動に携わってきた人々の報告を集めた本書は、私のような原発問題のビギナーにとって大変有益で、今回参加させていただいた会合の意味を理解するうえでも役立った。

 

(注3)原発の名称には「大飯」が用いられているが、町名は現在「おおい」と表記されている。

 

(注4)福井新聞が2011年11月16日~12月2日に連載した「若狭原発群を廻る地域の歴史」は、小浜市の市民の運動を含めて若狭湾原発 群を廻る地域の歴史が述べられていて興味深い。(「原発ゼロを目指す湖西ネット」資料欄への転載を参照)

 

(注5)『プロジェクトの提案書「美浜モデルの構築――自然エネルギーであふれる街に! 廃炉後の自立した美浜町の経済や財政を目指して』【環境エネルギー政策研究所 飯田哲也】2012年9月

    「政策提案プロセスと美浜町の「合意形成」に関する提案――美浜町を自然エネルギーで溢れる町に――」(松下照幸)2012年9月

 いずれも松下照幸氏が運営している「森と暮らすどんぐり倶楽部」のホームページに公開されている町長あての文書である。

 なお、毎日新聞2012年10 月5日付大阪夕刊によれば、9月23日に飯田哲也氏は美浜町町長と2時間会談し、町長は同新聞の取材に「再生可能エネルギーには取り組みたいが、日本は原発をやめられる段階にはないと思う。政策提案は断った」と話したという。

 

(注6)原発事故の重大性は、一般には、直接的な死傷者の数というミクロな視点によってではなく、よりマクロな視点からランク付けされる。そうした観点からすれば,2004年8月9日の、関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故は、「レベル0+ 」とされており、遠隔地の人々の記憶からは消えがちになっている。

 たしかに、福島原発事故のように多くの人々に影響を与えた事故を重視し、高いランクを付けて警告を発することは重要であるが、人為的なミスなどによる直接的な人身事故を重視し、心にとどめていこうとする姿勢も、大切ではないだろうか。

 今回、インターネットで当時の地元紙の報道などを読んで、私自身反省するとともに、マクロな尺度とミクロな尺度との関係を再考したいと考えた。

 

 

 

加藤春恵子(かとう・はるえこ)さんのプロフィール

  『女たちのロンドン』『広場のコミュニケーションへ』『女性とメディア』『福祉市民社会を創る~コミュニケーションからコミュニティへ~』など、社会学者としての仕事を重ねて、定年後の現在は「ケアサポート湧」、「トランジション・タウン小金井」など、小金井の様々な非営利・市民活動に参加している。桜町在住。     

 

 11月8日(日)

  第73号の主な内容

(随時更新されます)

《市政の焦点》

■12月小金井市長選特集

☆白井とおる市議が立候補表明(2015年11月8日更新)

 

☆白井市議の立候補記者会見に40人以上の市民が参加(2015年11月8日更新)

 

☆4陣営の対決構図に 財政健全化への具体策が焦点(2015年11月8日更新)

 

≪酒好きのたわごと≫

その15 越後の酒と謙信(2015年10月17日更新)

  うれしいニュース!

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」が発行している「としょかん通信」(中・高校生版)2015年6月号の《今月のブックトーク》に『まちの力 ひとの力 ――変える 試みる 小金井の人たち』がとりあげられました。

 1人でも多くの中学生、高校生にこの本を読んでもらえたら、と思います。感想文も送ってもらえると、とってもうれしいですね。

 以下にその部分を貼り付けました。筆者は、ほそえさちよさんという子どもの本の編集者だそうです。タイトルは、「生きるために つながる」。

写真をクリックすると大きくなります
写真をクリックすると大きくなります
全体はこちらから
としょかん通信「今月のブックトーク」.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 5.3 MB

こがねいコンパスのインタビューシリーズ《変える 試みる 小金井の人たち》をまとめた本『まちの力 ひとの力』が図書出版クレインから刊行されています。ウェブ版では読めない、取材秘話などを明かす4本の「エピローグ」と、やまさき薫さんの素敵なイラスト付き。定価1500円+税です。市内の各書店でお買い求めください。クレインでも注文できます。

毎月第1・第3土曜日が定期発刊日です。こがねいコンパスは市民のための羅針盤を目指し、市民とともにつくる地域メディアです。ご意見・ご感想・情報提供などを、koganeicompass@gmail.comへおねがいします。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから。

詳しくはイベントカレンダーのページをご覧ください。こちらから

小金井市のイベント情報は、小金井市地域情報サイトのさきナビでも見ることができます。バナーをクリックしてください。

 この人に聞く

脱原発社会への道筋を探る

民間の英知を結集して「脱原子力政策大綱」をまとめる「原子力市民委員会」の舩橋晴俊座長。

前編はこちらから。

後編はこちらから。

*船橋晴俊さんは2014年8月15日、くも膜下出血で急逝されました。ご冥福をお祈りするとともに、船橋さんの思いを少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。(編集長・佐藤和雄)

 

「敗北」を語る

民主党小金井支部幹事長

村山秀貴さん

前編はこちら

後編はこちら

 

イラクから問い続けてきたもの

映画監督・鎌仲ひとみさん

こちらから

メルマガ登録をどうぞ!

「こがねいコンパス」からのメルマガをご希望の方は以下にメールアドレスをご入力ください。新しい「市政フラッシュ」の掲載や、次号の主な内容などについてご連絡します。

コンパスは「羅針盤」です!

 

 『こがねいコンパス』は、小金井市政や小金井の人たちが関心をもつテーマを分かりやすくお伝えするインターネット新聞です。市民団体「こがねいコンパス編集部」が発刊しています。

 

 『コンパス』は、羅針盤を意味します。辞書によれば原義は「ともに歩くこと」です。市民が市政をより深く理解するための一助となり、よりよい小金井市政のあり方を考えるときの羅針盤でありたい。市民のみなさんと一緒に歩んでいきたい。そんな思いを込めています。

 

 

 ご連絡は koganeicompass@gmail.com まで。